1)「もしかして危険性が発生するかもしれませんが、発生してもいいかな。」ぐらいの認識で、行為をした場合、故意有りと見なされるでしょうか。
2)「法的評価」の誤りは、故意なしとして許されるか。わいせつとわかっていても処罰されないと思っていたような場合。
3)法律を知らなかったから、許されるでしょうか。
1)~3)いずれの場合も、故意有りとして、処罰の対象として、判断されていきます。
そもそも、「故意」とは、なんぞや。
故意のありなしで、罪の重さも雲泥の差が出ます。
結果的に同じ人が死ぬという場合でも、
*殺人の故意があれば、→刑法199条
(殺人)
第百九十九条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
*殺人の故意まではなくて、怪我をおわせてしまい、死んだ→205条
(傷害致死)
第二百五条 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期懲役に処する。
*殺人の故意がなかったが、人が死んだ→210条、211条
(過失致死)
第二百十条 過失により人を死亡させた者は、五十万円以下の罰金に処する。
(業務上過失致死傷等)
第二百十一条 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
2 自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。
故意のありなしで、刑の重さが、まるっきりちがってくることがわかります。
よって、故意のありなしがたいへん重要になってきます。
その1:故意とは?
刑法では、故意は、以下、規定されています。
*****刑法***************
(故意)
第三十八条 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
2 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
3 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
*********************
故意とは、罪を犯す意思をさします。(刑法38条1項)
一方、過失犯の場合は、同法1項ただし書きにより、法に規定がなければ、罰せられません。
罪を犯す意思たる故意は、結局、どのような事実の認識をいうのか。
どういう相手に、どのような行いをして、どのような結果が、どのような因果関係のもと生じるのかという事実(これらを「構成要件該当の事実」「構成要件の客観的要素」と言います。)の認識を言います。
事実の認識の内容と程度、それは、故意と過失の違いにも通じ、とても重要になります。
故意かか、過失かで、刑の重さが大きく異なります。
人の思いは、連続性があるはずで、はっきりと故意と過失は分かれませんが、故意のぎりぎりの下限、過失の上限というものが存在します。
故意のぎりぎりの下限と、過失の上限にあるそれぞれの意識は、「未必の故意」の下限と、「認識ある過失」の上限の境であります。
判例実務の立場では、その限界は、以下のように説明します。
「未必の故意」:犯罪事実を認識・認容している場合、「もしかして発生するかもしれないが、発生してもまあいいか。」
「認識ある過失」:認識しているが認容していない場合
判例では、その境をはっきりと定義をしていませんが、それらしいことを以下の判例で述べています。
「もしかして発生するかもしれないが、発生してもまあいいか。」という認識を、「「或は賍物ではないか」との疑を持ちながらこれを買受けた事実が認められ」たということで、「故意有り」と判断しました。
****最高裁判決S23.3.16 ********
賍物故買罪(ぞうぶつこばいざい=盗品に関する罪)は賍物であることを知りなからこれを買受けることによつて成立するものであるが、その故意が成立する為めには必すしも買受くべき物が賍物であることを確定的に知つて居ることを必要としない或は賍物であるかも知れないと思いながらしかも敢てこれを買受ける意思(いわゆる未必の故意)があれば足りるものと解すべきである故にたとえ買受人が売渡人から賍物であることを明に告げられた事実が無くても苛くも買受物品の性質、数量、売渡人の属性態度等諸般の事情から「或は賍物ではないか」との疑を持ちながらこれを買受けた事実が認められれば賍物故買罪が成立するものと見て差支ない
**********************
その2:規範的構成要件としての故意
犯罪の内容によっては、規範的なことがら(規範的構成要件要素)を認識するその内容や程度が重要になる場合があります。
「事実」認識の誤りか、「法的評価」の誤りかという問題に通じ、「事実」認識の誤りなら救済しますが、「法的評価」の誤りであれば、救済されません。
わいせつとわかっていなかったら、刑法175条にあたりませんが、わいせつとわかっていたが、処罰されないと思っていた場合、処罰されます。
通常一般人の理解する程度の社会的意味がわきまえられていれば足りることになります。
人の認識のレベルは、
1)裸(生)の事実:当該文書という物体の認識
↓
2)社会的意味の認識:いやらしい本だとの認識
↓
3)違法性の認識:法律上許されないとの認識
↓
4)具体的条文の認識:175条に当たるという認識
と認識が専門的になっていきます。
規範的な事柄を犯罪とする場合、1)、2)の認識があれば、足りるとされています。
****刑法175条****
(わいせつ物頒布等)
第百七十五条 わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
2 有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
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実際のわいせつ図書頒布販売の事件では、以下のように判示されています。
******最高裁昭和32年3月13日 チャタレイ事件*****
しかし刑法一七五条の罪における犯意の成立については問題となる記載の存在の認識とこれを頒布販売することの認識があれば足り、かかる記載のある文書が同条所定の猥褻性を具備するかどうかの認識まで必要としているものでない。かりに主観的には刑法一七五条の猥褻文書にあたらないものと信じてある文書を販売しても、それが客観的に猥褻性を有するならば、法律の錯誤として犯意を阻却しないものといわなければならない。猥褻性に関し完全な認識があつたか、未必の認識があつたのにとどまつていたか、または全く認識がなかつたかは刑法三八条三項但書の情状の問題にすぎず、犯意の成立には関係がない。
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その3:違法性の認識の可能性
最後に、故意にとって、「違法性の意識の可能性」がどう影響するかということですが、
刑法第三十八条 3項で、法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。とありますが、故意は、事実の認識だけあれば、成立するというのが判例の立場です。
よってこの3項は、「法律を知らなかったからと言って免責しませんよ、知らなかったからと言って許してくださいは、なし。」を言っています。
実際は、事実認識の段階で、「違法性の意識の可能性」の観点も入れ、過酷な結果は生まないように調整されていると考えられています。