何度も繰り返しますが、君が代斉唱の「是非」を述べることを目的としていません。
この問題の考え方の筋道を示していくことを目指しています。
その考え方も、決して、「条例で決められているから」とか、「最高裁判決で出ているから」とか、単なる結果をだけで見るのではなく、どのような経過で最高裁判決が出されたかそのプロセスや検討課題も考慮に入れつつ、考えて行かねばならないと思う次第です。
教育論がここで留まっていては決してなりません。
なぜならば、君が代日の丸の問題を考えつつも、さらに論議すべき大事な教育の問題が多数山積みであり、それらを論議することも私たちは合わせて行って行かねばならないからです。
もう一歩前に、進んで行かねばならないからです。
様々なテーマで、論議し、子ども達の心も体も健やかに育つ、そして、自己の可能性に気付き最大限伸ばせる環境を与える教育を作り上げていきたいものです。
という前置きをしつつ、君が代斉唱問題の解決への考え方として、以下。
******君が代斉唱の考え方*********
第1 君が代が思想信条に該当するか
君が代斉唱に思想性があるかが、まず、入り口論としてあります。
単なる歌であり、歴史的にみると、「君=あなた」という意味であったことを重視すると、思想信条に該当しないことになります。
その一方で、君が代が、特定のイデオロギーや軍国主義をほうふつさせるものであり、戦前は、「君=天皇」という解釈をとっていたことを重視すると、思想信条に該当することになります。
第2 最高裁判例 戒告処分取消請求事件 での議論の内容
(最高裁判所第3小法廷判決/平成16年(行ツ)第328号 判決日付 平成19年2月27日)
1事案の概要
市立小学校の音楽専科の教諭であるXが,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを内容とする校長の職務上の命令に従わなかったことを理由にY都教委から戒告処分を受けたため,上記命令は憲法19条に違反し,上記処分は違法であるなどとして,Yに対し,上記処分の取消しを求めている事案
2それぞれの主張
(1)X
ピアノ伴奏=世界観(信念、主張)であり、ピアノ伴奏職務命令は、その世界観に直結する
(2)Y
一般論として、
ピアノ伴奏≠世界観(信念、主張)であり、ピアノ伴奏職務命令は、その世界観に直結しない
3判決の論理構造
(1)多数意見
1)職務命令→ピアノ伴奏
2)ピアノ伴奏≠世界観 世界観にはつながっていない
3)世界観へつながっていない以上、憲法19条に反しない
(2)那須弘平裁判官 補足意見
1)職務命令→ピアノ伴奏
2)ピアノ伴奏→世界観 世界観へつながり一定の緊張関係を惹起させる
3)しかし、組織として決定されたものに協力する義務をXは負う
(3)藤田宇靖裁判官 反対意見
1)世界観自体をまず分析
2)ピアノ伴奏と世界観の関係を分析
3)もって、ピアノ伴奏の職務命令の是非を判断すべき:確定された内容の「思想及び良心」の自由とその制約要因としての公共の福祉ないし公共の利益との間での考量
*多数意見と藤田宇靖裁判官反対意見との論理の発想の順序がまるっきり逆であるところに着目する必要があり、まさに、藤田宇靖裁判官の意見する順序で分析をしていく必要が有ると私も考えます。
第3 裁判例は、教師の場合であったが、では、生徒児童への指導のあり方の憲法学的な考え方
:君が代を公立学校の教育において、児童・生徒に歌うように指導することは、憲法第19条思想良心の自由の観点から、児童・生徒の人権を侵害するか。
第1で述べた入り口論があり、その入り口論の結論により、思想良心の自由に該当するかどうかで結論が変わってきます。
強い嫌悪感、強い忌避感を持っている者を救済する必要があるという観点からは、思想・良心の内容を広く解する内心説・広義説が妥当であると考えられます。
よって、歌わない者に対して、懲戒処分や欠席扱い等にすると、思想による制裁になり、同様に、歌いたくない者に無理やり歌わせることは、思想の強制にあたります。
そして、歌いたくない者が、退席あるいは不起立などで、目立ってしまうような式典の在り方は、思想の告白強制にあたることになります。
第4 憲法19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
意味するところは、内心の自由は次の3つの侵害から保障されると解されます。
1)思想に基づく制裁:特定の思想を有することを理由に不利益を受けること。
2)特定思想の強制:特定の思想を抱くように相手に強制すること。
3)思想の告白強制:どのような思想を有しているかを強制的に告白させること。
この問題の考え方の筋道を示していくことを目指しています。
その考え方も、決して、「条例で決められているから」とか、「最高裁判決で出ているから」とか、単なる結果をだけで見るのではなく、どのような経過で最高裁判決が出されたかそのプロセスや検討課題も考慮に入れつつ、考えて行かねばならないと思う次第です。
教育論がここで留まっていては決してなりません。
なぜならば、君が代日の丸の問題を考えつつも、さらに論議すべき大事な教育の問題が多数山積みであり、それらを論議することも私たちは合わせて行って行かねばならないからです。
もう一歩前に、進んで行かねばならないからです。
様々なテーマで、論議し、子ども達の心も体も健やかに育つ、そして、自己の可能性に気付き最大限伸ばせる環境を与える教育を作り上げていきたいものです。
という前置きをしつつ、君が代斉唱問題の解決への考え方として、以下。
******君が代斉唱の考え方*********
第1 君が代が思想信条に該当するか
君が代斉唱に思想性があるかが、まず、入り口論としてあります。
単なる歌であり、歴史的にみると、「君=あなた」という意味であったことを重視すると、思想信条に該当しないことになります。
その一方で、君が代が、特定のイデオロギーや軍国主義をほうふつさせるものであり、戦前は、「君=天皇」という解釈をとっていたことを重視すると、思想信条に該当することになります。
第2 最高裁判例 戒告処分取消請求事件 での議論の内容
(最高裁判所第3小法廷判決/平成16年(行ツ)第328号 判決日付 平成19年2月27日)
1事案の概要
市立小学校の音楽専科の教諭であるXが,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを内容とする校長の職務上の命令に従わなかったことを理由にY都教委から戒告処分を受けたため,上記命令は憲法19条に違反し,上記処分は違法であるなどとして,Yに対し,上記処分の取消しを求めている事案
2それぞれの主張
(1)X
ピアノ伴奏=世界観(信念、主張)であり、ピアノ伴奏職務命令は、その世界観に直結する
(2)Y
一般論として、
ピアノ伴奏≠世界観(信念、主張)であり、ピアノ伴奏職務命令は、その世界観に直結しない
3判決の論理構造
(1)多数意見
1)職務命令→ピアノ伴奏
2)ピアノ伴奏≠世界観 世界観にはつながっていない
3)世界観へつながっていない以上、憲法19条に反しない
(2)那須弘平裁判官 補足意見
1)職務命令→ピアノ伴奏
2)ピアノ伴奏→世界観 世界観へつながり一定の緊張関係を惹起させる
3)しかし、組織として決定されたものに協力する義務をXは負う
(3)藤田宇靖裁判官 反対意見
1)世界観自体をまず分析
2)ピアノ伴奏と世界観の関係を分析
3)もって、ピアノ伴奏の職務命令の是非を判断すべき:確定された内容の「思想及び良心」の自由とその制約要因としての公共の福祉ないし公共の利益との間での考量
*多数意見と藤田宇靖裁判官反対意見との論理の発想の順序がまるっきり逆であるところに着目する必要があり、まさに、藤田宇靖裁判官の意見する順序で分析をしていく必要が有ると私も考えます。
第3 裁判例は、教師の場合であったが、では、生徒児童への指導のあり方の憲法学的な考え方
:君が代を公立学校の教育において、児童・生徒に歌うように指導することは、憲法第19条思想良心の自由の観点から、児童・生徒の人権を侵害するか。
第1で述べた入り口論があり、その入り口論の結論により、思想良心の自由に該当するかどうかで結論が変わってきます。
強い嫌悪感、強い忌避感を持っている者を救済する必要があるという観点からは、思想・良心の内容を広く解する内心説・広義説が妥当であると考えられます。
よって、歌わない者に対して、懲戒処分や欠席扱い等にすると、思想による制裁になり、同様に、歌いたくない者に無理やり歌わせることは、思想の強制にあたります。
そして、歌いたくない者が、退席あるいは不起立などで、目立ってしまうような式典の在り方は、思想の告白強制にあたることになります。
第4 憲法19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
意味するところは、内心の自由は次の3つの侵害から保障されると解されます。
1)思想に基づく制裁:特定の思想を有することを理由に不利益を受けること。
2)特定思想の強制:特定の思想を抱くように相手に強制すること。
3)思想の告白強制:どのような思想を有しているかを強制的に告白させること。