8月9日は、9条。(その前提に、憲法前文も必要なので、先のブログhttp://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/971da48ecc09ee6fb477d8c30d41a436で記載をしました。)
自民党案の9条、皆さんご存知の通り大問題。
自民党案は、「国防軍」を創設します。
ついでに、第2章「戦争の放棄」だった章の題名を、こっそりと、「安全保障」という聞こえのよい題名に置き換えています。自民党にとって、「戦争の放棄」はどうも都合が悪いようです。
9条において、おわかりにように自民党は、日本を戦争をする国にしたいと言っています。
現行憲法が掲げる三つの基本原理のひとつ「平和主義」と、それゆえに、戦争は放棄し続けるのか、
はたまた、自民党に賛成して、戦争を許容するのか、
判断は、私達国民ひとりひとりに委ねられています。
まずは、日本国憲法9条を、憲法学的に解釈します。
****日本国憲法 9条*****
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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日本国憲法9条の通説的な解釈は、
1条において
「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」する戦争の放棄の動機の下に、
「国際紛争を解決する手段として」、すなわち、国家の政策の手段として
1、国権の発動たる戦争
2、武力による威嚇
3、武力の行使
この3つを放棄する。
ここで、侵略戦争は放棄することをまず掲げています。
自衛戦争は、1条では放棄されていません。
2条において
「前項の目的を達成するため」、すなわち、戦争を放棄するに至った動機である 「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」する目的のため、
「陸海空軍その他の戦力」の一切の戦力の保持を禁止、交戦権も否認します。
このことより、自衛戦争も行うことは禁止されることになります。
日本国は、平和主義を国の基本理念に掲げ、侵略戦争も自衛戦争も、一切の戦争を放棄しています。
ただし、「自衛権」は独立国家であれば当然有する権利であり、「個別的自衛権」として厳格な自衛権の発動要件のもとに認められています。
「集団的自衛権」は、他国に対する武力攻撃を、自国の実体的権利が侵されなくても、平和と安全に関する一般的利益に基づいて援助するために防衛行動をとる権利であり、日本国憲法の下では認められません。日米安保上条約の定める相互防衛の体制も、日本の個別的自衛権の範囲内のものとされています。
<自衛権を発動するための3要件>
1、防衛行動以外に手段がなく、そのような防衛行動をとることがやむをえないという必要性の要件
2、外国から加えられた侵害が急迫不正であるという違法性の要件
3、自衛権の発動としてとられた措置が加えられた侵害を排除するのに必要な限度のもので、つり合いがとれていなければならないという均衡性の要件
「日本国憲法でも、このような自衛権まで放棄したわけではない。しかし、自衛権が認められているとしても、それにともなう自衛のための防衛力・自衛力の保持が認められるかどうかは、…重大な争いのあるところである。」(『憲法 第5版』岩波書店 芦部信喜 60ページ)
そこで、政府は、自衛権を行使するための実力を保持することは憲法上許されるとしています。
「自衛のための必要最小限度の実力」(=「他国に侵略的な脅威を与えるような攻撃的武器は保持できない」)は、憲法で保持することを禁じられる「戦力」にあたらないと政府は説明をしています。
自衛力・自衛権の限界については、学説上も、裁判所でも争われているところです。
〇自衛力の限界は具体的にはどこにあるか
〇自衛権がどこまで及ぶか
〇自衛隊の海外出動
⇒「自衛隊の海外出動が合憲か否かは、武力行使の有無と深くかかわるが、それは自衛隊の憲法適合性という本質的な問題を措(お)いて論じることはできないであろう。いかに国際貢献という目的であっても、憲法9条の改正なくして、現状のまま自衛隊が部隊として(とくにPKFに)参加する出動を認めることは、法的にはきわめて難しい。」(『憲法 第5版』岩波書店 芦部信喜 65ページ)
戦争を放棄する私たちの国は、自衛権の行使は、厳格な要件のもと許されています。
このことを原点に、国際協調主義のもと、世界への人的、物的な支援等による「人間の安全保障」を積極的に生み出していくことこそが、今の日本には大切であると考えます。
以下は、頭が痛くなる自民党案です。
時代に逆行した、国防軍の創設を言っています。
第二章を、「安全保障」というなら、国防軍をもつことだけが、安全保障であるわけではなのであるから、そのほかの安全保障に役立つ規定も盛り込むべきでしょう。
それができないのであれば、「安全保障」のような聞こえのよい章の題名をつけて、国民を欺くのではなく、真正面から、「国防軍」という題名にすべきと考えます。
章の名づけかたから、問題であり、一貫性に欠けます。
******自民党案******
第二章 安全保障
(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
(国防軍)
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。〔新設〕
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保す
るために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
(領土等の保全等)
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。〔新設〕
**********************************
自民党案を解釈するなら
9条1項で、国際紛争を解決する手段としては戦争を放棄するが、それ以外は戦争を放棄していません。
9条2項で、自衛権の発動を認めています。自衛権の発動を認めると明文規定するなら、厳格な発動要件も明記すべきでしょう。この要件なき明文規定は、危険です。
9条の2
第2項「国会の承認その他の統制」このような、「その他の統制」のようなあいまいな文言はさけるべきです。巧みに、国会をすりぬけることができる手法まで、厳格な運用が求められる条文に盛り込まないでいただきたい。
第5項「国防軍に審判所」というが、当事者だけで裁判されると「懲役300年」のようなおかしな判決が出される可能性があるから、裁判所に審判所を置くなど、正当な裁判が担保できる規定をおいていただきたい。
9条の3 「その資源を確保」が前面に出てくる危険性はないだろうか。厳格な発動要件を満たすことなく、資源確保を旗印に、戦争が正当化されるおそれがあるから、この文言は問題である。いつも戦争は、「資源の確保」のために実質起こってきたのではないでしょうか。
8月9日、自民党改憲草案 9条。
9条には、憲法前文も強く関係するので、まず、前文も比較してみます。
(前文は、法律の最初に付され、その法律の目的や精神を述べる文章です。)
さて、日本国憲法と自民党改憲草案の前文を、両者、どちらがどちらの前文かを明らかにせず、ならべます。
皆様は、どちらの前文をもつ憲法をもつ国の国民でありたいですか?
*****前文******
(前文)
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。
(前文)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
************
後者が、現行の日本国憲法の前文です。いつもと順番を逆にしてみました。
私は、迷わず、後者を前文とする憲法を持つ国の国民でありたいと思います。
自民党案である前者も、一文一文の中には、至極当然の内容も含まれていますが、こうあるべきという理念がまったく伝わってきません。つけてはったような前文です。
問題なのは、自民党案の主語をよく見てください。
自民党案:日本国は⇒我が国は⇒日本国民は⇒我々は⇒日本国民は
日本国憲法:日本国民は⇒日本国民は⇒われらは⇒日本国民は
自民党案では、三段落目になって、ようやく日本国民が主語になります。
その三段落目、自民案では、しかし、「日本国民は」の述語は、残念ながら述語は、「国家を形成する」であって、やっぱり「国」のこと。
あれっ?と思って、四段落目、「我々は」の主語で始まって、期待をもたせるも、結局述語は、「国を成長させる」。
とどめの最後の五段落目、自民案は、「日本国民は」に続く、目的は、「国家を末永く子孫に継承するため」とあって、憲法を制定すると結び、やっぱり「国」のこと。
結局、すべての段落で言いたいのは、「国」のことです。
主語が国民となったとしても、結局、「国」のことで終わっているのです。
自民改憲案、本当に大丈夫?と疑いたくなります。
自民党案に本当に国民を守る意思がありますか?
一方、日本国憲法は、すべてにおいて主語は、日本国民です。
日本国憲法は、日本国民を守ろうとする理念が伝わってきます。
では、どういう理念であるか、それがどこに入っているかを、日本国憲法前文を再度掲載し、見てみます。()内に赤字で理念を記します。
もちろん、基本原理は、
〇国民主権
〇基本的人権の尊重
〇平和主義
〇国際協調主義
*****日本国憲法 前文******
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢(人権尊重主義)を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意(平和主義)し、ここに主権が国民に存することを宣言(国民主権)し、この憲法を確定する(民定憲法性)。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する(国民主権、代表民主制)。これは人類普遍の原理(憲法改正の限界)であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する(憲法改正の限界)。
日本国民は、恒久の平和を念願(平和主義)し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない(国際協調主義)のであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ(目的達成の誓約)。
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9条には、憲法前文も強く関係するので、まず、前文も比較してみます。
(前文は、法律の最初に付され、その法律の目的や精神を述べる文章です。)
さて、日本国憲法と自民党改憲草案の前文を、両者、どちらがどちらの前文かを明らかにせず、ならべます。
皆様は、どちらの前文をもつ憲法をもつ国の国民でありたいですか?
*****前文******
(前文)
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。
(前文)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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後者が、現行の日本国憲法の前文です。いつもと順番を逆にしてみました。
私は、迷わず、後者を前文とする憲法を持つ国の国民でありたいと思います。
自民党案である前者も、一文一文の中には、至極当然の内容も含まれていますが、こうあるべきという理念がまったく伝わってきません。つけてはったような前文です。
問題なのは、自民党案の主語をよく見てください。
自民党案:日本国は⇒我が国は⇒日本国民は⇒我々は⇒日本国民は
日本国憲法:日本国民は⇒日本国民は⇒われらは⇒日本国民は
自民党案では、三段落目になって、ようやく日本国民が主語になります。
その三段落目、自民案では、しかし、「日本国民は」の述語は、残念ながら述語は、「国家を形成する」であって、やっぱり「国」のこと。
あれっ?と思って、四段落目、「我々は」の主語で始まって、期待をもたせるも、結局述語は、「国を成長させる」。
とどめの最後の五段落目、自民案は、「日本国民は」に続く、目的は、「国家を末永く子孫に継承するため」とあって、憲法を制定すると結び、やっぱり「国」のこと。
結局、すべての段落で言いたいのは、「国」のことです。
主語が国民となったとしても、結局、「国」のことで終わっているのです。
自民改憲案、本当に大丈夫?と疑いたくなります。
自民党案に本当に国民を守る意思がありますか?
一方、日本国憲法は、すべてにおいて主語は、日本国民です。
日本国憲法は、日本国民を守ろうとする理念が伝わってきます。
では、どういう理念であるか、それがどこに入っているかを、日本国憲法前文を再度掲載し、見てみます。()内に赤字で理念を記します。
もちろん、基本原理は、
〇国民主権
〇基本的人権の尊重
〇平和主義
〇国際協調主義
*****日本国憲法 前文******
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢(人権尊重主義)を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意(平和主義)し、ここに主権が国民に存することを宣言(国民主権)し、この憲法を確定する(民定憲法性)。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する(国民主権、代表民主制)。これは人類普遍の原理(憲法改正の限界)であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する(憲法改正の限界)。
日本国民は、恒久の平和を念願(平和主義)し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない(国際協調主義)のであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ(目的達成の誓約)。
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