「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

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必読、平成25年長崎平和宣言  田上富久長崎市長 被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移せ

2013-08-10 09:45:47 | 戦争と平和
 田上 富久長崎市長の平成25年長崎平和宣言は、素晴らしい文章です。

 その一方、核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会での署名拒否や、NPTを形骸化につながるおそれのあるインドとの原子力協定交渉の再開など日本政府の対応には、失望するとともに、恥ずかしい思いです。

 国防軍を憲法改正で盛り込むことをいそぐよりも、安倍政権がなすべきことは、我が国の非核三原則の法制化ではないでしょうか。

 被爆国としてのリーダーシップをみせていただきたいものです。


*****長崎市 ホームページより*******


平成25年長崎平和宣言
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/


 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します
 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
  非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます

 核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
 しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。
 地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
 長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
 先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上 富久
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憲法10条 自民党改憲案の問題点 今後、在留外国人の権利制限の強化に注意を

2013-08-10 03:37:58 | 国政レベルでなすべきこと
 8月10日、自民党改憲案の問題点の分析は、10条です。

 10条から、第三章の人権規定に入ります。

 いろいろな人権が、自民党改憲案により、侵害されているため、注意が必要な章です。
 おかしな9条以上に、おかしな条文が続いているため、この第三章も、大いに議論すべきです。

 10条は、幸いにして同じ内容です。
 文章の品格として、自民党案が劣っているぐらいです。

*************************
日本国憲法
第三章 国民の権利及び義務
第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。


自民党改憲案
第三章 国民の権利及び義務
(日本国民)
第十条 日本国民の要件は、法律で定める。
************************

 「日本国民たる要件」とは、日本国民の構成員たる資格(日本国籍)を有する要件を意味します。

 日本国籍の取得と喪失に関する事項は、法律で定めることを規定しています。

 その法律は、「国籍法」です。
 最後に全文を掲載します。

 「国籍法」の2条1号、3条1項はそれぞれ問題がありましたが、両者改正(2条1号:昭和59年改正、3条1項:平成20年改正)されました。


 なお、間違ってはならないのは、日本国民にだけ、日本国憲法の人権を保障するのではなく、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ」(マクリーン事件)とされています

 判例で「権利の性質上」外国人に及ばないとされた権利:
 ○入国の自由、在留権(最大判昭和53・10・4マクリーン事件)

 ○再入国の自由(最一小判H4・11・16森川キャサリーン事件)

 ○国会議員の選挙権(最二小判H5・2・26ヒッグス・アラン事件)

 ○地方議会議員の選挙権(最三小判H7・2・28)

 ○公権力行使等地方公務員(管理職)への就任権(最大判H17・1・26)
 など




*****国籍法 全文*****
国籍法

 昭和二十五年五月四日 法律第百四十七号
 施行 昭和二十五年七月一日
 改正 昭和二十七年七月三十一日 法律第二百六十八号
    昭和五十九年五月二十五日 法律第四十五号
    平成五年十一月十二日 法律第八十九号
    平成十六年十二月一日 法律第百四十七号
    平成二十年十二月十二日 法律第八十八号

    (この法律の目的)
   第一条 日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる
    (出生による国籍の取得)
   第二条 子は、次の場合には、日本国民とする。
    一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
    二 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。
    三 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を
     有しないとき。
    (認知された子の国籍の取得)
   第三条 父又は母が認知した子で二十歳未満のもの(日本国民であつた者を除
    く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、
    その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつ
    たときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。
   2 前項の規定による届出をした者は、その届出の時に日本の国籍を取得する。
    (帰化)
   第四条 日本国民でない者(以下「外国人」という。)は、帰化によつて、日
    本の国籍を取得することができる。
   2 帰化をするには、法務大臣の許可を得なければならない。
   第五条 法務大臣は、次の条件を備える外国人でなければ、その帰化を許可す
    ることができない。
    一 引き続き五年以上日本に住所を有すること。
    二 二十歳以上で本国法によつて行為能力を有すること。
    三 素行が善良であること。
    四 自己又は生計を一にする配偶者その他の親族の資産又は技能によつて生
     計を営むことができること。
    五 国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと。
    六 日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政
      府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て、若
      しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したこ
      とがないこと。
   2 法務大臣は、外国人がその意思にかかわらずその国籍を失うことができな
    い場合において、日本国民との親族関係又は境遇につき特別の事情があると
    認めるときは、その者が前項第五号に掲げる条件を備えないときでも、帰化
    を許可することができる。
   第六条 次の各号の一に該当する外国人で現に日本に住所を有するものについ
    ては、法務大臣は、その者が前条第一項第一号に掲げる条件を備えないとき
    でも、帰化を許可することができる。
    一 日本国民であつた者の子(養子を除く。)で引き続き三年以上日本に住
     所又は居所を有するもの
    二 日本で生まれた者で引き続き三年以上日本に住所若しくは居所を有し、
     又はその父若しくは母(養父母を除く。)が日本で生まれたもの
    三 引き続き十年以上日本に居所を有する者
   第七条 日本国民の配偶者たる外国人で引き続き三年以上日本に住所又は居所
    を有し、かつ、現に日本に住所を有するものについては、法務大臣は、その
    者が第五条第一項第一号及び第二号の条件を備えないときでも、帰化を許可
    することができる。日本国民の配偶者たる外国人で婚姻の日から三年を経過
    し、かつ、引き続き一年以上日本に住所を有するものについても、同様とす
    る。
   第八条 次の各号の一に該当する外国人については、法務大臣は、その者が第
    五条第一項第一号、第二号及び第四号の条件を備えないときでも、帰化を許
    可することができる。
    一 日本国民の子(養子を除く。)で日本に住所を有するもの
    二 日本国民の養子で引き続き一年以上日本に住所を有し、かつ、縁組の時
     本国法により未成年であつたもの
    三 日本の国籍を失つた者(日本に帰化した後日本の国籍を失つた者を除
     く。)で日本に住所を有するもの
    四 日本で生まれ、かつ、出生の時から国籍を有しない者でその時から引き
     続き三年以上日本に住所を有するもの
   第九条 日本に特別の功労のある外国人については、法務大臣は、第五条第一
    項の規定にかかわらず、国会の承認を得て、その帰化を許可することができ
    る。
   第十条 法務大臣は、帰化を許可したときは、官報にその旨を告示しなければ
    ならない。
   2 帰化は、前項の告示の日から効力を生ずる。
    (国籍の喪失)
   第十一条 日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日
    本の国籍を失う。
   2 外国の国籍を有する日本国民は、その外国の法令によりその国の国籍を選
    択したときは、日本の国籍を失う。
   第十二条 出生により外国の国籍を取得した日本国民で国外で生まれたもの
    は、戸籍法(昭和二十二年法律第二百二十四号)の定めるところにより日本
    の国籍を留保する意思を表示しなければ、その出生の時にさかのぼつて日本
    の国籍を失う。
   第十三条 外国の国籍を有する日本国民は、法務大臣に届け出ることによつて、
    日本の国籍を離脱することができる。
   2 前項の規定による届出をした者は、その届出の時に日本の国籍を失う。
    (国籍の選択)
   第十四条 外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有すること
    となつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、そ
    の時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国
    籍を選択しなければならない。
   2 日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法の
    定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨
    の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。
   第十五条 法務大臣は、外国の国籍を有する日本国民で前条第一項に定める期
    限内に日本の国籍の選択をしないものに対して、書面により、国籍の選択を
    すべきことを催告することができる。
   2 前項に規定する催告は、これを受けるべき者の所在を知ることができない
    ときその他書面によつてすることができないやむを得ない事情があるとき
    は、催告すべき事項を官報に掲載してすることができる。この場合における
    催告は、官報に掲載された日の翌日に到達したものとみなす。
   3 前二項の規定による催告を受けた者は、催告を受けた日から一月以内に日
    本の国籍の選択をしなければ、その期間が経過した時に日本の国籍を失う。
    ただし、その者が天災その他その責めに帰することができない事由によつて
    その期間内に日本の国籍の選択をすることができない場合において、その選
    択をすることができるに至つた時から二週間以内にこれをしたときは、この
    限りでない。
   第十六条 選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければな
    らない。
   2 法務大臣は、選択の宣言をした日本国民で外国の国籍を失つていないもの
    が自己の志望によりその外国の公務員の職(その国の国籍を有しない者であ
    つても就任することができる職を除く。)に就任した場合において、その就
    任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認めるときは、その者に対
    し日本の国籍の喪失の宣告をすることができる。
   3 前項の宣告に係る聴聞の期日における審理は、公開により行わなければな
    らない。
   4 第二項の宣告は、官報に告示してしなければならない。
   5 第二項の宣告を受けた者は、前項の告示の日に日本の国籍を失う。
    (国籍の再取得)
   第十七条 第十二条の規定により日本の国籍を失つた者で二十歳未満のもの
    は、日本に住所を有するときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の
    国籍を取得することができる。
   2 第十五条第二項の規定による催告を受けて同条第三項の規定により日本の
    国籍を失つた者は、第五条第一項第五号に掲げる条件を備えるときは、日本
    の国籍を失つたことを知つた時から一年以内に法務大臣に届け出ることによ
    つて、日本の国籍を取得することができる。ただし、天災その他その者の責
    めに帰することができない事由によつてその期間内に届け出ることができな
    いときは、その期間は、これをすることができるに至つた時から一月とする。
   3 前二項の規定による届出をした者は、その届出の時に日本の国籍を取得す
    る。
    (法定代理人がする届出等)
   第十八条 第三条第一項若しくは前条第一項の規定による国籍取得の届出、帰
    化の許可の申請、選択の宣言又は国籍離脱の届出は、国籍の取得、選択又は
    離脱をしようとする者が十五歳未満であるときは、法定代理人が代わつてす
    る。
    (省令への委任)
   第十九条 この法律に定めるもののほか、国籍の取得及び離脱に関する手続そ
    の他この法律の施行に関し必要な事項は、法務省令で定める。
    (罰則)
   第二十条 第三条第一項の規定による届出をする場合において、虚偽の届出を
    した者は、一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。
   2 前項の罪は、刑法(明治四十年法律第四十五号)第二条の例に従う。
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日本国憲法第三章 人権規定を理解するために、まずは、「人権」とは何か。

2013-08-10 03:36:40 | 国政レベルでなすべきこと
 自民党改憲案の問題点、一日一条ずつ考えています。

 8月10日は、10条で、第三章 国民の権利及び義務 に入ります。
 すなわち、「人権」の規定の章にです。

 憲法学的に「人権」とは何かを理解した上で、自民案の問題点を見て行きます。
 人権とは何か、Q君とA先生の会話を通して概観します。
 芦部『憲法』の「五章 基本的人権の原理 二 人権の観念」の部分に該当します。

(かつてのブログを再掲http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/bcebbac6e7eac3c121fb8da99610ec73)
**************************************
Q君 人権の固有性とは何ですか?

A先生
人権は、憲法や神から恩恵として与えられたものではなくて、人間であることにより当然に有するとされることをいいます。
つまり、「もともと、生まれつき持っていた」ということです。
条文としては、11条と97条を参照してください。

第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。



Q君 人権の固有性から新しい人権が導き出されることの意味を説明してください。

A先生
 憲法に明文で書いていなくても、新しい人権が認められる余地があることです。
 たとえば、プライバシーの権利は、憲法上に明文がないが、判例上確立しています。これは、新しく人権を作ったと考えるよりも、国家の人権侵害の形態にあわせて(個人の尊厳を蹂躙する形態が変化して)、個人の尊厳を尊重するために、人権の保障の形を追加・変更したと考えるべきであろうと思われます。
 憲法の具体的な条文がなくても、13条が保障する個人の尊厳が、蹂躙・侵害される場合は、判例の展開や立法によって、新しい人権が保障されるようになります。
 個人の尊厳という、人権の源泉があって、そこから、国家の干渉・侵害の形態に応じて、新しい人権が発生すると考えて下さい。一方、憲法第3章に規定する人権は、憲法成立時までの、国家の侵害の形態を示した歴史と考えることができます。


Q君 次に、人権の「不可侵性」です。
  人権侵害を行う存在は「誰・何?」であると想定しているのでしょうか。

A先生
 人権侵害を行う存在は、公権力であると想定しています。
 ただし、現代では企業などの私的団体による人権侵害の重要性も高まっています。


Q君 
 なぜ「公権力」に対して不可侵性を主張するようになったのでしょうか。

A先生
 以下の理由が考えられます。
  1)歴史的にみて、国家が一番多くの場面で人権を侵害してきた。
  2)近代立憲主義では、国家からの自由が問題となった。
  3)自由主義経済思想が普及した。税金、関所などといった国の干渉を排除することによって、経済が発展すると、近代国家では考えられていた。
  4)国家法人説の影響(国家法人説は、人権・自由というのは、神ではなくて、国が国民に対して与えるもの、と考える。)

 民法と異なり、憲法の場合は、権利行使の対象は、国家です。
 人権は国家に対して請求するものという点をまず押さえておくことが、とても大切です。


Q君
 公権力とは具体的に何を指すのですか。


A先生
 行政権・立法権を指します。冤罪などは、司法権による人権侵害であります。

 また、不可侵性からは、憲法を改正しても、基本的人権を削除することはできない、ということが導かれます。


Q君
 人権が不可侵である以上、人権は絶対無制約であることを意味するのでしょうか。

A先生
 人権には一定の限界が存在する。最低限人には迷惑をかけてはいけない、という制約があります。

 財産権のように、公共の利益のためには、人権は制約される場合があります。すなわち、合理的な理由がある場合は、人権の制約が許容されるということです。

 判例は、自衛隊の官舎内に立ち入ってビラ配りをしたことが住居不法侵入に問われた事件(判例集P225-2参照)でも、表現の自由は重要であるが、絶対的に無制約ではなく、他人の権利を不当に害するものは許されない、とされています。
 加持祈祷事件(判例集P128)も、基本的人権は、公共の福祉に反しない限り、立法その他、国政の上で最大限の尊重を必要とする、と述べています。

 まとめますと、不可侵性から導くことができることは次の点です。
 1)人権は、合理的な理由がない限り、国家により侵害されることはない。
 2)人権の中には、絶対侵害できないものがある。(後述の切り札としての権利)


Q君
 人権の普遍性とは何ですか。憲法上、その例外はありますか。

A先生
 人間である以上、誰に対しても、遍く(あまねく)人権が保障されるということです。

 普遍性とは、「いつでも、どこでも、誰にでも、どんな場合でも人権は保障される。」ことを意味します。

 ただし、天皇は、普遍性の例外であります。外国人も、日本国民と全く同じように人権が保障されるというわけではありません。

Q君
 普遍性の例外をどのように考えるべきですか。


A先生
 人権の保障は、次の二つのレベルで論じることになるということです。
1)そもそも人権が保障されるか、否か。(人権保障の有無)
2)仮に保障されるとしたら、どの程度が保障されるか。(人権保障の程度)

 普遍性は、1)を論じています。
 天皇や外国人は、1)の問題については、肯定されますが、2)の問題では、一般の国民と比較すると、人権保障が十分ではない、ということになります。

Q君 
 なぜ、普遍性が問題となるのでしょうか。

A先生

 人権が十分に保障されない集団、特に、社会的マイノリティーの人権侵害が問題となるからです。
 普遍性で問題となるのは、マイノリティーの人権です。

 なぜ、マイノリティーの人権を守らなくてはならないのか、その意味をよく考えることが大事です。
 社会的に差別され、政治過程、経済過程に影響力を行使することができないことが理由のひとつとしてあります。



Q君 
 人権が保障される根拠は、何ですか。なぜ、人権は保障されなければならないのでしょうか。

A先生

 人間が社会を構成する自律的な個人として自由と生存を確保し、その尊厳性を確保するためです。個人の尊厳を保障するためです。
 「人が人間らしく生きることができるために存在する。」別のいい方をすると、「人格的生存」を保障するために、権利が保障されるのであります。

 ところで、人権の保障の根拠には、もう一つ別の側面が存在します。
 それは、社会全体の利益を理由として保障されている人権が存在する、ということであります。

 後者の権利は、場合によっては、他の社会的利益が大きい場合は、権利保障が後退される可能性を秘めているということです。極論をいえば、社会にとって、有益ではない、または利益を与える可能性が低いと、判断されると、権利保障が後退する、という危険性をはらんでいます。

 たとえば、学問の自由は、研究者の自己実現としての研究の自由を与えています。しかし、大学等の高度な研究機関に在籍する者に特に与えられている理由は、研究の成果が社会に大きな恩恵を与えるから、という説明も可能であります。そうすると、社会に害悪を与えそうな場合は、研究を制限することもありうる、ということになります。

 したがって、人権保障の根拠は、第一に個人の尊厳であり、第二に、社会・公共の利益促進という順になるであろうと考えられます。



Q君

 「切り札(注 トランプのジョーカーのようなもの)としての人権」が行使される場面は、具体的には、どのような人権をどのように用いたときですか。

A先生

 切り札とは、トランプのジョーカーのように、状況に関わらず、有無を言わせずに権利行使を行うことを指しています。

 近代の自然権的権利、たとえば、信教の自由・政治的表現の自由のように、国家権力の妨害に対して、有無を言わせずに権利を行使するような場面であります。

 つまり、ほぼ、制約を認めずに、権利が絶対的に近い状況で保障されることを指します。
 切り札としての権利は、多数者の意思に対して、少数者の自由を保障するという局面で重要な意味をもちます。

 例えば、仏教徒の学生が、キリスト教施設の見学、神社の参拝などを公立学校の学校行事の一環として、強制された場合、本人がそれを強く忌避したいときには、信教の自由が「切り札」の人権として機能する(この場合は参加拒否)可能性があるということです。

 つまり、人権という全体集合の中には、基本的人権があり、基本的人権の中に、さらに、「切り札」としての人権という部分集合がある、と考えて下さい。
 そして、この「切り札」としての人権は、個人の尊厳・人格的生存に直結するものが該当します。例えば、信仰の自由のように、侵害されると、「人間らしい生き方ができなくなる」ものが該当します。


以上、
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幸福追求権・平等権・自由権・受益権・参政権・社会権、法律の留保と制度的保障

2013-08-10 00:00:02 | 国政レベルでなすべきこと
 人権を理解するために、基本的概念を整理しておきます。

 芦部『憲法』の「五章 基本的人権の原理 三人権の内容1 自由権・参政権・社会権」です。

(かつてのブログ記載 http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/e150510278c454256e3f9090cd53fa1c)
**************************

Q君 
 自由権とは何ですか。

A先生
 国家が個人の領域に対して権力的に介入することを排除して、個人の自由な意思決定と活動とを保障する権利です。
 「国家からの自由」と言われます。


 自由権は、三つに分類されます。

 精神的自由 思想良心の自由・表現の自由・信教の自由・学問の自由
 経済的自由 職業選択の自由・財産権
 身体の自由 人身の自由・刑事手続の保障


Q君
 精神的自由を、内面的と外面的の二つに分ける理由は何ですか。

A先生

 外面とは他者に働きかける作用をもつという意味であり、内面とは、あくまでも個人の心の内部の問題であり、他者に対しては、少なくとも「自ら」働きかけることはありません。

 内面的自由は、基本的に国家からの制約を受けないが、外面的な自由は国家から制約を受ける可能性があるから分けられます。

 たとえば、憲法20条の信教の自由は、内面の信仰の自由と、外面の宗教活動の自由・宗教的な結社の自由を含みます。
 カルト宗教の活動を見てもわかるように、外面的な自由としての宗教行為の全てが保障されるわけではありません。

 なお、その他、精神的自由を、内面、外面でとらえてみると、

 19条は、内面の自由のみ。
第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 20条は、信仰の自由は内面の自由。その他は、外面の自由。
第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 21条は、外面の自由のみ。
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 23条は、研究の自由は内面の自由。その他は外面の自由。
第二十三条  学問の自由は、これを保障する。


Q君
 「参政権は、国家への自由とも言われ、自由権の確保に仕える。」とは、具体的にどういう意味ですか。

A先生

 国民が政治に参加することによって、国政に民意が反映されると、国民の望まない立法、国民の権利を侵害する立法がなされる可能性が低い、ということです。
 ただし、多数者の意思が反映されて、少数者の人権が保障されない可能性があります。
 一方、国会で公開された論争がおこなわれる以上は、極端な人権侵害立法が生まれる可能性は低いとも言いうります。
 端的に言うと、この文は、「自ら代表者を選んだ以上は、自分の首を絞める(自由を侵害する)立法を行う可能性は低い。」という意味であります。



Q君
 社会権が保障される意義は何ですか?なぜ、生存権は保障されるのですか。


A先生
 資本主義社会の弊害であるところの、失業・貧困・労働条件の悪化などの弊害から、社会的・経済的弱者を保護し、その個人の尊厳を保障すること。つまり、資本主義・自由競争社会のセイフティーネットの構築を国家に求めることにあります。

 もう少し詳しく言うと、「憲法学1」に述べた人権保障の二つの意義がここでも当てはまります。

 �各個人が経済的な側面で個人の尊厳を保つことができるようにすること、�能力があり発展可能性のある個人の能力を発揮させる土台作り(社会的な基盤の形成)をすること、の二つが社会権保障の意義であります。
 �が重要であり、�は補充的な意義であります。


Q君 社会権では、「憲法の規定だけを根拠として権利の実現を裁判所に請求することのできる具体的な権利ではない。」とはどういう意味ですか。

A先生
 例えば、生存権を例にとって述べます。
 生活に困っている人が、裁判所に生活保護を求めても、裁判官が最低限度の生活の内容(実体要件)や支給条件(手続要件)を決定することは困難です。
 あくまでも、生活保護法の決めた基準がないと、裁判による救済は難しいという意味であります。
 つまり、「25条は、裁判所が依拠する規範とはなりえない。」という意味です。
 25条は、生活保護法の制定を求める権利(抽象的権利)である。ということです。
 


****2 分類の相対性*****

Q君、 人権を分類するとどうなりますか。

A先生 以下、6つに分類できます。

 包括的基本権(総則的規定)13条 幸福追求権
 法の下の平等(総則的規定)14条 平等権
 自由権 精神的自由 19条 20条 21条 23条 
     経済的自由 22条 29条
     人身の自由 18条 31条以下
 受益権 17条 32条 40条
 参政権 15条(公務員の選定権・選挙権)・国民投票をする権利
 社会権 25条 26条 27条 28条

Q君 「知る権利の自由権的性格と社会権的性格」を説明してください。


A先生
 メディア(新聞等)を例にとって説明します。

 メディアの知る権利は、自分の情報の獲得を国家から妨害されないという、自由権的側面を有します。
 また、一方で、国家に対して情報公開を求めて(社会権・請求権的性格)いかないと、適正な取材を行って、政府の活動を監視するという重要な役割を担うことができなくなります。


Q君 「生存権の自由権的側面が侵害される場面」とは?

A先生

 住民税の滞納者に対して、納税を促すために、水道などのライフラインの供給を市役所が停止する場合などがそれに該当します。健康で文化的な最低限度の生活が、ライフラインの停止によって、「自由に」営むことができなくなります。

 あるいは、財政上の理由から、生活保護の支給額を大幅に切り下げることも、自由権的側面を侵害する可能性があります。


Q君「もっとも、社会権及び社会国家の思想を過大に評価すると、・・・・自由権の領域にまで国家が介入することを認める結果になるおそれが生じる。」とは、どういう意味ですか。


A先生
 生活保護を例にとって考えてみます。

 最低限度の経済生活を営むことができるように、生存権が保障され、生活保護の支給を受けることは、個人の尊厳を保障するという意味で十分に意味があります。
 しかし、生活保護を受けることと引き換えに、生活全般が国家の管理のもとにおかれることになります。社会的に更生するために、各種の指導を受けざるを得ず、自由な生活がかなりの程度制約されることになるのです。これが、自由の領域にまで国家が介入することなのである。
 また、充実した福祉社会を実現するためには、増税が必要になる。そうすると、消費など自由な経済活動が、その分、阻害されることになる。この意味でも、社会権・社会国家の強調は、国家の介入を招くということが説明できます。
 社会権の拡大は、自由権の後退という側面があることを理解することがとても大切です。


******3 制度的保障********


Q君 制度的保障とは?

A先生

 具体例(~の自由を保障するための・・・・)としてあげます。

 信教の自由を保障するための政教分離原則(判例の見解~ただし芦部説は否定的)
 学問の自由を保障するための大学の自治
 経済的自由を保障するための私有財産制


Q君 制度的保障は何のために存在するのですか。

A先生
 ある自由を保障するために、立法によってもその核心ないし本質的内容を侵害することができない特別な保護を与えるために存在します。
 簡単にいうと、制度的保障とは、ある自由を保障するために、当該人権の侵害をブロックしてくれると期待される制度を保障することを指します。
 学問の自治と大学の自治の関係が分かりやすい例です。かつては、学問の中心は大学であったので、自由な研究活動を保障するためには、人事その他を含めて、大学への国家権力の介入を排除することが必要でありました。

Q君 
 法律の留保とは何ですか。

A先生
 法律の範囲内で、人権が保障されるという形の、人権保障のあり方です。
 
 例えば、「表現の自由が、法律の範囲内で保障される」という規定が存在するとすれば、法律によって、表現の自由を大幅に制限することも可能ということになります(マイナスの側面)。
 しかし、法律によらないかぎり自由が制限されない(勅令や政府の命令では制限できない)という意味もあります(プラスの側面)。
 また、法律を制定する国会が、公正な選挙で選出された議員から構成され、メディアも正常に機能しているとすれば、権利を不当に制約する法律は制定されない、はずであると期待されます。

Q君
 法律の留保と制度的保障はどのような関係にあるのですか。


A先生
 制度的保障は、法律の留保に対抗する法理論です。

 法律の留保の下では、法律によって人権が大幅に侵害される可能性がありますが、制度的保障があると、人権の核心部分の侵害が防止できます。


Q君 「制度が人権に優越し、人権保障を弱める機能を営む可能性すらある」とはどのような場合でしょうか。

A先生
 政教分離を例にとると、政教分離原則の内容が不明確であったり、政教分離が十分に行われないものであったりする場合、国家の宗教への関わりを抑止することができず、そのために、(社会の少数派の)信教の自由が制約される可能性があるということです。
 「仏作って魂入れず」という諺は、仏(この場合は仏像のこと)を大事にするばかりで、大事な魂(信心のこと)の方がおろそかになる傾向にあるという意味であるが、制度的保障も、仏としての「制度」だけを作って、魂であるところの「自由」が保障されないということになりがちなのです。
 なお、テキストP87*を読むと、芦部説では、政教分離原則を制度的保障とすることに消極的であります。芦部憲法学�でも、制度的保障の議論は日本では不要としています。

以上
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