京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「大きな他力の中」

2017年10月25日 | 日々の暮らしの中で

明日26日は父の祥月命日。あいにく組み込まれた予定は変更できず、一日早くお参りし、東本願寺にも参拝してきた。

母を見送ってから3年のあいだ父のひとり居は続いた。かかりつけ医院で診察待ちの間に倒れ、救急病院に運ばれた。くも膜下出血だった。受診はたいていが心臓のほうでだったのだけれど。
目覚めた時、息子や娘の認識はとんでしまっていた。それでも私を「お寺のおくさん」とはよぶものだから、何かがオバーラップしているのを弟と笑ったことがある。妻(母)が亡くなった記憶は失われたが、「かあさんは?」とは口にしていた。入院生活は1年未満、退院の話も出かけたさなか、平成5年、父は74年の生涯を閉じた。

末弟夫婦が一緒に住まないかと気遣ってくれていたが、父は住み慣れた家を離れることはなかった。父とは幼馴染だった姑も、こちらに父を呼んだらどうか、近くに住む選択肢もあるのではないかと提案してくれていたものだ。私が頻繁に行き来できる距離だったら、父はもっと長生きできたのだろうか。寿命、こればかりは如何ともしがたくおまかせだし、父が望む、満足した日々を過ごせたかどうかだってわからない。わからないけれど、もっと強く呼び寄せてもよかったのかな、という思いは残された。


母が11月。末弟が12月、と祥月が巡ってくる。
          (下の写真はボールペンで描かれているとか。駅地下通路で出会った額入りの展示作品)


コメント (4)
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