京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

よい呼び名は

2023年06月01日 | 日々の暮らしの中で
今朝六月。


2階の高さにゆうに達した高木に積雪かと見まがうヤマボウシ。
白く見えるのは苞というものであって、花は中心の黄緑色の玉のような部分。法師の顔を白い頭巾が包む…、で、ヤマボウシという名を頂戴したらしい。
もう少し「花」らしい呼び名はなかったのかしら。

所用で外出の帰りに京都御苑内を南から北へと歩き抜けた。
木偏に「夏」と書けば「榎」。この木大好き、御苑に見事なエノキがある。

良覚僧正と申し上げる天台宗の大僧正がおられました。宿坊に大きな榎の木があったので、人は「榎の僧正」と呼んでいたようです。
この僧正、「腹あしき人」だったらしく怒りっぽい。自分をそんな名で呼んでほしくない、けしからん! と怒って木を切ってしまったそうです。でも根が残りました。すると人は「きりくい(切り株)の僧正」と呼んだそうです。ますます腹を立てた僧正は、切り株を掘って捨てたそうで、するとその跡が大きな堀になって残りました。そこで人はまた…。

『徒然草』に榎の僧正の話があったことを思いだしたわけです(岩波古典文学大系 45段)。

いくらなんでもひどいではありませんか、と兼好さんは紹介している。
同情ではなく、ひんしゅく気味に。
西国武者が京に多く住む地域ができつつあって、思いやりが行き届かない人が都に増えている。都人はこんな呼び方をしませんよ、と抗議でしょうか。
時代が変わりつつあることの現れでもあるようです。

ところで、問題です。
良覚僧正は自分のことをどう呼んで欲しかったでしょうか。
怒りんぼさんは、どう呼んだら怒らなかったでしょう。(本名を呼ぶことはタブーなのです)

そう言えば私もまだ答えを出していなかった。



コメント (6)
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