平成2年11月25日、母を見送りました。25年にもなります。
まだ父も健在で、私は二人の子供たちを連れて実家に戻っていたため、父と一緒に最後の最後まで母の傍に寄り添って…。近くにいて、日々細やかに両親を気遣い支えていてくれた弟が、たまたま自宅に戻ったその合間のことで、母は息を引き取りました。
母を思うとき、この頃思い出すシーンのほとんどが、この病院で看取った最後の時間です。母が懐かしい、「懐かしい」のひと言です。一緒に過ごす時間があまりにも少なかった、と思えてなりません。昨日は東本願寺にお参りしようと思いながら諸用があって時間がとれず、一日遅れて参拝してきました。
阿弥陀堂から、北隣に御影堂
東本願寺では21日から報恩講が勤まっていて、この期間中には修復中の阿弥陀堂内部が公開されています。
「浄土の世界を表すというお堂の中心空間の内陣は、天井から柱まで全てに金箔が押され、黄金色のまばゆい光を放っている」と新聞記事にあったそのまんまの荘厳さ。すごい! 感想とは言えない感想ですが、ただ「すごい!」
この機会を逃せば絶対に立ち入ることなどできない外陣にまで進んで、内陣の天井から壁面、柱…をじっくり拝見。
「横30m、奥行き10m、高さ 8m」「本間を中心に3室あり、約11センチ角の金箔約30万枚(約7.5キロ)を使用して床面以外を黄金色に彩った」とも書かれてあります。御本尊は隣の御影堂に安置されていて、来年の3月31日にお戻りとか。なので、須弥壇の上の空殿にはただ今ご不在。
この末の報恩講を目の前にして、しばらくはちょっと気張らないといけません。
私も母は来年で25年になります。
最近は夢に出て来ても、自然に話したりします。
以前は夢に出てくれば、あの世の人という感じで
一言も話してくれなかったのに~。
私との距離が近くなってきたのかな~。
土・日と、報恩講を勤め気ぜわしくしておりました。
亡くなった義母の廊下を急ぎ歩く大きな足音、これまた大きな話し声などが思い出されます。
今月始め、25年で初めて両親がそろって夢に出てきまして驚いています。
話すことはないのですが、そもそも1、2度しか夢でも会ってませんでしたので。
浄土はまばゆい世界なのでしょうかね。
お母様を偲ばれお参りされてお気持ちも安らいだことでしょう。
もう25年の月日が過ぎたのですね。
私の母は アメリカ貿易センターがテロに空爆された年亡くなりました。
病室で一緒にテレビを見ていた強烈な思い出があります。
両親も夫も夢にはでてきません。何故でしょう?
両親を亡くすと、帰る場所がなくなりますね。故郷といいますか、拠り所がなくなるのを実感します。
テレビといえば、今上天皇が即位されて、その祝賀パレードを観たいと言っていたのを思い出しました。
今月初めの夢に初めてそろって出てきて、かえってどうしたのかと慌てさせられます。
供養が足りないのかなあと思ったりしていました。
がらんとした空間だけに、そこを飾った金箔の荘厳が見事でした。
母上を早くに亡くされて、どんなにかお淋しかったことでしょう。
いつまでもいてほしいと思っても仏様のところへ・・・こればかりは。
肉親に縁の薄い私は、誰の夢も見る事が有りません。
顔を知らないと無理なのかしら?
阿弥陀堂の金箔が素晴らしいですね。
京都に住まわれていて羨ましいです。
前年の5月には両親そろって私どものところへ遊びに来ておりました。
帰宅後、母の様子がおかしく入院、手術、…入退院を繰り返して1年と少しでした。
考えますと、親と暮らす時間は一生の内でもわずかですね。親姉弟で暮らした頃がやけに懐かしいです。
俗っぽい表現ですが、キンピカ。見事な荘厳でした。
御本尊が遷座して、春の法要の頃の参拝を楽しみにしております。