
孫娘が4歳になったクリスマスに「ことわざかるた」を贈った。
あの頃は、日本の「ことば」を身近に過ごしてほしいと思い、あれこれ絵本選びを工夫した。「かるた」もその一環だった。
五十音もろくにわからない子が、「あたまかくしてしりかくさず」「ねこにこばん」「ぬかにくぎ」などと読みあげると、回を重ねるごとに〈絵札を覚え〉、札を取る速さも増していく。
小さな手が上に重なっているのに、早いのは自分だと手のひらの下から札を抜き取る強引さも見せた。
こういう子が、ことわざと一致させて絵札を覚えていく過程はどう考えればいいのかと思っては見たのだが、面倒になった。


「想像力は言語の発達と関係がある。言葉が潜在していてイメージを絵にすると思うから、絵を描くことよりも言葉が先ではないか」と坪内捻典氏が話されたことがあった。
また、加藤典洋さんが『大きな字で書くこと』の中で、
「『考えること』の前に『言葉とのつきあい』があり、その前に『言葉との遊び』がある」と書かれていた。
これを逆にたどってみるなら、まずは「言葉との遊び」があって、その次に…。
ああ、やっぱり不思議だなっと終わっておこう。
今一つ日常の心持ちが戻せなくて、のらりくらり気ままな時間が過ぎる。
何もしたくないのではなく、何もする気が起きないのだ。
けれど、『緋の天空』(葉室麟)を読んでいる。
まあるく冴えたお月さんを見あげた。
そろそろ再開しようかなとカメラ片手に散歩もしてはいるのですが・・・。
kei様からコメントを頂き,覚えていて下さったのだと嬉しく感謝の思いでいっぱいになりました。
「ことわざカルタ」今は高校生になった孫娘に買い与えたものと同じで懐かしく,札が取れなくて泣いて悔しがる様など当時を思い出させていただきました。
言葉があってその上で絵がイメージされるのでしょうか?三歳半になる孫娘の頭の中を覗いてみたいものです。
後になりましたが,ご心配いただき有難うございます。一病息災で何とかやり過ごそうと・・・。
引き続きよろしくお願いいたします。
人ってすばらしい力を持っているものですね。
年が改まり、お気持ちを前に進めるには良い機会です。
踏み出す力はご自身の中に!!
皆さんも再会(再開)をお喜びになるはずです。
お訪ねいただいたことがわかって、どれほど嬉しく思いましたことか。
弾みがつけば嬉しいことです。
同じかるたで楽しんでいたのですね。
明るくかわいい絵はお気に入りで、取るのも早かったです。
ことわざの意味などそっちのけでしたが、不思議ですね、絵札を上手に取りました(笑)
ほんと、どういう仕組みなのかのぞいてみたいです。
どうぞくれぐれもお身体ご自愛なさってください。
ブログアップも日々の励みになるかもしれませんね。
お待ちしております。
Keiさんらしい贈り物ですね。
現代日本の今の若者はこのかるたを
どのように見るでしょうか。
明治半ば生まれの祖母はたくさん諺の類を
日常に使っていました
「葬式の提灯」昔は紋をいれず無地だったようで
「文無し」を意味したようです。
「極楽の余り風」なども暑い夜に使っていました
「朝吹く風は父の風 夜吹く風は母の風」等々
ほとんど忘れましたが、今になってメモしておけばよかったと思っていますが、後の祭りです。
弥勒シリーズ、ようやく読み終えました
次巻刊行が待ち遠しいです。
『緋の天空』葉室麟さんはかなり読んだつもりですが
これはまだ読んでいないはず。
(最近はボケ気味です)
動けることがありがたいと私も思うようになりました。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
おっとがってんしょーちのすけー
なにかよーかここのかとおか
などと、面白可笑しく使いまわしていましたのもいっときでした(笑)
今、高校では日本語の授業を選択していますが、
日本語でのレポート提出には苦労するようです。
「朝吹く風は父の風 夜吹く風は母の風」ですか、初耳です。
文無し、紋無し、音が重なるせいでしょうか…。
文庫化まで、待ち遠しいですよね。
「緋の天空」は「孤鷹の天」を読みあえたあと、解説で教わった一冊でした。
アマゾンでないと手に入らないかと思っていましたら、新刊書店にありました。
好きな時代背景で楽しんでいます。
また、楽しみに訪問させて頂きます。
今後とも宜しくお願い致します。なおとも
幸せに日々を生きてらっしゃるといいですね。
生きてらっしゃると想像しています。
こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。