京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

ぼんやりとした時間の中で

2008年10月23日 | 日々の暮らしの中で

丹波橋まで行く用事ができてしまった。小雨が降っている。

先に座っていた学生らしき男性、全く顔を上げることなく30分以上は本を読んでいた。そのきれいな顔立ちに見入っていた私。やがて、読書は中止、イヤホンを取り出した…。

隣のおじいちゃん、週刊誌を広げていたのですが、気付くと小声が聞こえてきます。4コマ漫画を読んでいる。覗いてしまう。
アメリカに端を発したこの金融危機、「将軍様、我が国とは全く関係ないことですね」「国民は皆貧乏なままですから」…。

わずかな隙間に入り込んできたのはおじさま。いくら傍がいいたってそんなにべったり狭すぎでしょう!
もう嫌だなあ…
体制を整えると、数センチはあろうかという分厚い本を開き、ラインを引いている。3段組みだったか細かな文字が連なる本、2駅程で降りて行った。どういう方でしょう。
地下鉄では目のやり場も少なく、それとなく“観察”です。

やがて電車は地上に出ます。
かすかに色づき出している木々。家並みのあいまに、わずかな季節の移ろいを感じ取りながら、ぼんやりと考え事をして電車内での時間を過ごします。贅沢でちょっぴり高尚な時間だと思っているのです。
ぼーっとしていて、受け身ではない時間。
心の中を洗いながら?考えたり感じたりして「自分」でいられる時間です。

「一時間きっかり」計ったように欠かさずジョギングに出る家人。
走りながら風景を楽しみ、街角の変貌に気付き、「走る」という時間の中で自分と付き合い、ちょっとした構想を練ることもあるそうな。
耳を傾ければ聞こえる声もあるのです。虫の音、鳥のさえずり、風のささやき、転がる落ち葉の笑い声…。

黙々と歩きながら、「自分」でいる時間を豊かなものにしていけたら…、ぼんやりもいいものです。
実は、あの揺れで心地よい眠りに落ちることは多いのです。

(写真は先日見つけた梶の木)

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2 コメント

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梶の木の実 (yattaro-)
2008-10-24 22:16:30
梶の木の実、真っ赤になるんですね。初めて見ました。カー君はともかく、小2の兄ちゃんが目にしたら、よじ登ってでも実をもぎ取らないと治まらない色合いですね。珍しいです。
若いきれいな顔の男性には目が行きますよね、お陰で退屈な時間が、心地よいぼんやりの時間に早変わり。
そんな人の気も知らず、無粋な奴め!

目的に向かっている時の一瞬の余裕って心地いいですよね。ジョギングも慣れてくるとそれなりのゆとりで、世間の諸々が見えるのでしょうね。ぼんやりって大切なエネルギー供給源かも…ですね。
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初めてです (kei)
2008-10-24 23:38:27
私も初めて見たのです。珍しいらしいようですね。
落ちているのを触ってみると、まあ、ブヨッとした感じで、それなりに重さがあるものでした。ピンポン玉ほどですよ。イチジクのようなあの集合花みたいで球状、です。

何かしなくちゃではなく、「何もしなくてもいい時間」っていいですねえ。
電車に乗ってるときはそうです。ボーっと、な~~んとなく何か考えていたり、何かを見つめていたり?
目の保養?です…
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