京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

いやになることなく努める

2022年12月15日 | 日々の暮らしの中で
つつましい日常生活の中にも充実感はある。
パラッと開いた『漢語日暦』(興膳宏)の、12月の章に言葉はあった。
『論語』述而篇の一章にある孔子の言葉を引いて。


月に一度、子や孫にもあたる年代の人たちと出会い、世代を超えて文章仲間が集う。
楽しみに待つには、合評を得るために自分の作品を仕上げておくという前提をクリアーしておきたいのだけれど、それができなくて(書けなくて)、ひと月スルーということも、まあ、たまには生じてしまう。

今年最後の例会後、この1年の互いの努力をたたえ合おうと、ささやかな懇親会を開く。
互いにどう結び付けばよいのか、考えさせてもらうことは多いが、きっと何かを生み出していると信じている。

時節柄プレゼント交換をとなっていて、北風が冷たい日になったが、3人で待ち合わせて四条へ出た。
金額の上限を決め、お金はかけずに気持ちを包むことを約束してある。思いの品を三様に手に入れて、あとは目的のないお喋りが待っていた。


〈才不才は生まれつきのことであるから、人の力ではどうしようもない。しかし大抵は、不才の人といっても怠らずに努力し続けさえすれば、それなりの功はある。学び方には、そう深くこだわる必要のないものだ。結局のところ、学問においては長い年月、いやになることなく励み努めることが肝要だ〉
本居宣長さんが言っていたのを思い出す。不才でも努力次第ということであれば、私でも…。
努力の日々にも充実感はあるものよ。
コメント (6)
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