代々木上原に住む友人とランチをすることになったので検索してみると、ちょっとおもしろそうな店が引っかかった。
すぐ近所に住んでいるはずの友人に聞いてみると、「店は知ってるけど入ったことがない」と言うのでそちらへ。
Cafe Room Basis A
場所は代々木上原と幡ヶ谷のちょうど中間あたり、静かな住宅街で、友人と一緒でなければ迷子になりそう。
小さな黒板はたくさん出ているが、食べ物屋というよりちょっとした雑貨屋さんのような外観の店に入ってみると
右手には壁で囲われたキッチンスペース、左手には2人掛けの小さなテーブルが一つ。その間をすり抜けて奥に入ると4人掛けテーブルが一つにカウンターが2席というとても小さなお店。
壁際にはスリランカのお菓子や優しい感じの小物などが並んでいて、一人で店を切り盛りしているらしい女性の趣味趣向がよくわかる。
食事はメインのカレーが選べるサブジ定食だけだが、選択肢がカブと菊芋のカレーかダルスープだけだったので野菜カレーを選択。
友人とおしゃべりしながら待つことしばし
やってきたプレートの色鮮やかさに声を上げる。
ご飯を中心に白菜や小松菜、ニンジン、カリフラワー、大根、かぼちゃと、それぞれ甘かったり、酸っぱかったり、あっさりしていたり辛かったり、と味に変化を付けた野菜がいっぱい。
カレーの隣の豆は意外にも揚げた大豆で、ニンニク強めながらカリカリと楽しい食感。
青菜の下にあるのは銀杏と干しエビなどを合わせたもの。
そしてメインのカレーは優しい味で、これらを混ぜ合わせながらいただくと複雑な味と食感になっておいし~。
これに食後のチャイが付いてランチは1300円。
一つ一つのおかずに手がかかっているから、これはお得。
今まで入ったことはなかったと言う友人も気に入ってくれて、「これからもちょくちょく来るわ」って、近所でいいなあ。
食後は静かな住宅街をキョロキョロしながらお散歩して、徒歩10分ほどのところにある東京ジャーミーへ。
近所にあることは知っていたが来たことはなかったので、旅仲間の友人が案内してくれたのだ。
誰でもウェルカムという入口を入るとトルコ風の暖炉があり、ロビーにはトルコの小物もいろいろ並べられている。
このモスクはタタール系トルコ人商人たちによって建てられたので現在も所属はトルコ大使館とのこと。
そのため置かれたパンフレットの中にはタタール語やオスマントルコ語、さらにはヒッタイト語講座なんてものまであって、そのマニアックさが素敵すぎる。
2階に上がって礼拝堂に入り、上を見上げれば、おお、ここはトルコか。
小さならせん階段を上ると上は女性用の礼拝場所。
ここから見下ろせば美しい礼拝堂が一望できる。
ランプやら、トルコらしく小さなチューリップの入った壁のカリグラフィーまでかわいくて、つい先日ヨーロッパのキリスト教教会に浸かって来たばかりだが、やっぱりイスラムはもっと好きかも。
ここからまたてくてく歩いてお茶をするところを探すうち、NHK裏の渋谷アップリンクまで来てしまった。
そう言えばここで上映中の映画がちょっと見たかったということで、お茶してちょうどいい時間になったので2階の小さな映写室へ。
「聖者たちの食卓」 Himself He Cooks
インドのアムリトサルにあるシーク教の総本山、黄金寺院。ここの一日を、毎日10万食供されると言う無料の食事を中心に、セリフもナレーションもなしに紹介するベルギーのドキュメンタリー。
「毎日10万食うんぬん」という説明も最後の最後に字幕が一枚出るだけなのだが、65分のこの短い映画がすこぶる興味深い。
それというのも数年前、シーク教の聖地であるヘムクンドに行った。(その時の旅行記はこちらから)
その巡礼路で大勢のシーク教徒に親切にしてもらい、シーク寺院ではこの映画のように無料の食事をふるまわれてすっかりシーク教徒のファンになっていたから。
それにしても総本山の巡拝者数は半端じゃない。
10万食をどうやってさばくかと言うとすべて信者のボランティア。
黙々とにんにくの皮を剥いたり、玉ねぎを切ったり。ひたすらチャパティをこねる人、伸ばす人、焼く人と大勢が役割分担して、その様はその作業自体が修行のよう。楽しそうにしているわけじゃないが、つらそうでもない。無念無想で、自分も延々とにんにくの皮むき作業を手伝ってみたい。
映画は宗教的なことにはほとんど触れず、ひたすら作業する人々、食事する人々を映すが、玉ねぎで涙を流す人がいたり、チャパティをひっくり返す様が見事だったりと、そこはかとないユーモアがある。
カメラをじーっと瞬きもせずに見つめる人も多くて、そんなところにもインドらしさを感じる。
ところでなぜこの映画の中心が食事かというと、大人も子供も、男も女も、異教徒でさえもシーク教の寺院では一緒に食事をするから。
あのガンディーでさえも家人に低カーストの人と一緒に食事をさせることはできなかったと言うぐらい、これはインドでは大変なこと。
シーク教はヒンドゥーのカーストを否定するところから始まっているので、これこそ教義の中心思想の一つなのだ。
短いけれどとても良くできたドキュメンタリーだと思う。
ふるまわれる食事はもちろんカレー。
帰りのデパ地下でまたカレーを買いそうになった。
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すぐ近所に住んでいるはずの友人に聞いてみると、「店は知ってるけど入ったことがない」と言うのでそちらへ。
Cafe Room Basis A
場所は代々木上原と幡ヶ谷のちょうど中間あたり、静かな住宅街で、友人と一緒でなければ迷子になりそう。
小さな黒板はたくさん出ているが、食べ物屋というよりちょっとした雑貨屋さんのような外観の店に入ってみると
右手には壁で囲われたキッチンスペース、左手には2人掛けの小さなテーブルが一つ。その間をすり抜けて奥に入ると4人掛けテーブルが一つにカウンターが2席というとても小さなお店。
壁際にはスリランカのお菓子や優しい感じの小物などが並んでいて、一人で店を切り盛りしているらしい女性の趣味趣向がよくわかる。
食事はメインのカレーが選べるサブジ定食だけだが、選択肢がカブと菊芋のカレーかダルスープだけだったので野菜カレーを選択。
友人とおしゃべりしながら待つことしばし
やってきたプレートの色鮮やかさに声を上げる。
ご飯を中心に白菜や小松菜、ニンジン、カリフラワー、大根、かぼちゃと、それぞれ甘かったり、酸っぱかったり、あっさりしていたり辛かったり、と味に変化を付けた野菜がいっぱい。
カレーの隣の豆は意外にも揚げた大豆で、ニンニク強めながらカリカリと楽しい食感。
青菜の下にあるのは銀杏と干しエビなどを合わせたもの。
そしてメインのカレーは優しい味で、これらを混ぜ合わせながらいただくと複雑な味と食感になっておいし~。
これに食後のチャイが付いてランチは1300円。
一つ一つのおかずに手がかかっているから、これはお得。
今まで入ったことはなかったと言う友人も気に入ってくれて、「これからもちょくちょく来るわ」って、近所でいいなあ。
食後は静かな住宅街をキョロキョロしながらお散歩して、徒歩10分ほどのところにある東京ジャーミーへ。
近所にあることは知っていたが来たことはなかったので、旅仲間の友人が案内してくれたのだ。
誰でもウェルカムという入口を入るとトルコ風の暖炉があり、ロビーにはトルコの小物もいろいろ並べられている。
このモスクはタタール系トルコ人商人たちによって建てられたので現在も所属はトルコ大使館とのこと。
そのため置かれたパンフレットの中にはタタール語やオスマントルコ語、さらにはヒッタイト語講座なんてものまであって、そのマニアックさが素敵すぎる。
2階に上がって礼拝堂に入り、上を見上げれば、おお、ここはトルコか。
小さならせん階段を上ると上は女性用の礼拝場所。
ここから見下ろせば美しい礼拝堂が一望できる。
ランプやら、トルコらしく小さなチューリップの入った壁のカリグラフィーまでかわいくて、つい先日ヨーロッパのキリスト教教会に浸かって来たばかりだが、やっぱりイスラムはもっと好きかも。
ここからまたてくてく歩いてお茶をするところを探すうち、NHK裏の渋谷アップリンクまで来てしまった。
そう言えばここで上映中の映画がちょっと見たかったということで、お茶してちょうどいい時間になったので2階の小さな映写室へ。
「聖者たちの食卓」 Himself He Cooks
インドのアムリトサルにあるシーク教の総本山、黄金寺院。ここの一日を、毎日10万食供されると言う無料の食事を中心に、セリフもナレーションもなしに紹介するベルギーのドキュメンタリー。
「毎日10万食うんぬん」という説明も最後の最後に字幕が一枚出るだけなのだが、65分のこの短い映画がすこぶる興味深い。
それというのも数年前、シーク教の聖地であるヘムクンドに行った。(その時の旅行記はこちらから)
その巡礼路で大勢のシーク教徒に親切にしてもらい、シーク寺院ではこの映画のように無料の食事をふるまわれてすっかりシーク教徒のファンになっていたから。
それにしても総本山の巡拝者数は半端じゃない。
10万食をどうやってさばくかと言うとすべて信者のボランティア。
黙々とにんにくの皮を剥いたり、玉ねぎを切ったり。ひたすらチャパティをこねる人、伸ばす人、焼く人と大勢が役割分担して、その様はその作業自体が修行のよう。楽しそうにしているわけじゃないが、つらそうでもない。無念無想で、自分も延々とにんにくの皮むき作業を手伝ってみたい。
映画は宗教的なことにはほとんど触れず、ひたすら作業する人々、食事する人々を映すが、玉ねぎで涙を流す人がいたり、チャパティをひっくり返す様が見事だったりと、そこはかとないユーモアがある。
カメラをじーっと瞬きもせずに見つめる人も多くて、そんなところにもインドらしさを感じる。
ところでなぜこの映画の中心が食事かというと、大人も子供も、男も女も、異教徒でさえもシーク教の寺院では一緒に食事をするから。
あのガンディーでさえも家人に低カーストの人と一緒に食事をさせることはできなかったと言うぐらい、これはインドでは大変なこと。
シーク教はヒンドゥーのカーストを否定するところから始まっているので、これこそ教義の中心思想の一つなのだ。
短いけれどとても良くできたドキュメンタリーだと思う。
ふるまわれる食事はもちろんカレー。
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