曇、25度、94%
主人の父は、この九月で91歳になります。私にとっては舅と嫁の間柄、同居でもしていない限りは、どちらかというと距離のある関係ではないでしょうか。ましてや、私たちは近くに住んだことすらありません。若い頃は年に数回、最近は2月に一度は顔を合わせます。
90を越していますから、それ相応に、物忘れも多くなってきました。以前から耳が遠かったので、会話が成り立たないこともあります。足が弱って来ましたが、それでも、身の回りのことは自分でします。私が「ただいま」といってリビングのドアを開けると、いつも決まった場所に座っています。そこは、ずっとずっと昔から義父の場所です。「よく来たねえ。」色の白い義父がめがね越しに笑ってくれます。そして必ず主人の様子を尋ねます。気になるのは息子のことです。息子といったって、もう60近いのに、いつまで経っても息子です。
義父は、北原白秋の町、柳川の出身です。お酒が好き、お魚が好き、よく食べる人でした。近頃は、食が進みません。無理強いすることもありません、好きなものを少しでもと思います。そこで、私はケーキを運びます。「あとで、食べてね。」と冷蔵庫に入れようとすると、ニッと笑って、指をひとつ立てます。ひとつ頂戴の意味です。好きなものを食べる時は、どんな人もいい顔です。義父がケーキを食べる時の顔を見ると私まで嬉しくなります。みんながまだ若かった頃は、私たち家族が行くと、それはそれは信じられないほどの海老、蝦蛄、蟹が振舞われました。ところが、食べるのは好きなのに、殻を剥くのが苦手な私のために、義父はいつもセッセと殻を剥いてくれます。義父だって大好物の蟹や蝦蛄です。義父がお皿に載せてくれるのを私は黙々と食べました。
先日、朝早く主人の実家に行きました。父はいつもの椅子に座ったばかり、私の姿を見ると、あれこれと用事を言いつけてくれます。小さな用事です。これして、あれしてと言われると、私は内心嬉しく思います。「ズボン持って来て。」と義父。義母に場所を聞いて義父の椅子のところに持って行きました。ところが、立って履こうとしないのです。「履かせようか?」と聞くと、頷きます。屈んで、ズボンの裾を繰り上げて片足片足入れてやります。細い細い足首です。思わず涙がこぼれました。腰を少し浮かせて、ズボンを履き終えました。ずいぶん軽くなった体です。
この家に嫁いで来た37年前、義父にズボンを履かせる日が来るとは思ってもいませんでした。俳句が好きで、沢山の賞をいただいた義父です。句集をと言う話もあったのに、もう元気がありません。側にいれば、句集を作る手伝いも出来るだろうにと思います。私が今日は香港に帰るからと言うと、いつもの椅子に座ったまま、小さく手を挙げて見送ってくれます。そして、必ず、主人によろしく伝えてくれと、やはり息子のことを気遣います。この息子、私の主人です。
今頃、義父はいつもの椅子に座って庭を眺めながら、新聞を読んでいるはずです。私の両親が他界した今、私が福岡に戻る一番の楽しみは、この義父、義母の顔を見ることです。「ただいま。」の私の声に二人して笑顔で迎えてくれます。