チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

手書きのレシピ 私の宝物

2014年05月18日 | 日々のこと

小雨、28度、81%

 よくこのブログにも書きますが、私の母はお恥ずかしいことに、家事というものをほとんどしませんでした。食べなくてはいけませんから多少は料理はしましたが、掃除にいたってか皆目しなかったのではないかしら。そんな環境でしたから、私には料理のルーツというものがありません。結婚しても、人に付いてお習いするほどの余裕もない我が家でしたから、頼りは新聞、雑誌、本でした。今みたいにインターネットもありません。ハードルの高いホルトハウス房子さんの本を図書館で借りて来て、丸写しにしたり、ジャンル別に6冊の古いノートがあります。 このぼろぼろの6冊と、 新聞、雑誌の切り抜きのファイル、これが私の料理やお菓子作りの先生です。

 この6冊のノートには、中にいろんなものが挟まっています。息子の小さい時のイタズラ書きやチーズのラベル、そして数枚の手書きのレシピまで。 25年も前のことですから、ワープロすら家庭にはありませんから手書きです。

 その字を見ただけで、誰がくれたものか忘れもしません。私が香港に来た当時は、学校のお母さんが集まるといえば、クラス単位の時などは飲茶、広東料理屋ですが、親しい人たちとは、スターバックスなんてありませんでしたから、それぞれの家に行き来したものです。皆、高層のビルに住んでいます。停電でエレベーターが止まるとお知らせが貼り出されると、親しい友人に、明日一日私を預かって、などと遊びに行きます。時には、パッチワークやアートフラーワーの上手な友人が、教えてくれることもありました。そしてまた、今の香港のようにフランスのなんとかシャペルのケーキやさんもありません。ローカルのケーキはおいしくないので、これまた集まる人たちが、自分で作ったお菓子やお惣菜を持って集まります。皆さん、ほんとに料理もお菓子も上手な方達ばかりでした。今、思ったのですが、もしかしたら、私の周りは特にそんな料理上手が多かったのかもしれません。たいてい一番若い私は、皆さんにたくさんのことを教えていただきました。香港生活駆け出しの頃です。もう10年近くいる方や2度目の香港なんて方もいらっしゃいます。どれだけ、心強かったことか。

 今の香港、本当に日本のもので揃わないものはほとんどありません。食糧品、日用品、昔、大きなトランク一杯にそんなものを詰めて香港に戻っていたのが嘘のようです。今赴任で香港に住んでいる人たちは、世界中でも最も恵まれた環境かも知れません。

 息子も、まだ、小学、中学の頃です。私も、仕事をしていなかった頃です。

 当時は、カステラを日本から持ち帰ったり、いただくと、大事に薄く切ってみんなで分けて食べました。福砂屋、文明堂と聞けばため息が出るほど嬉しかったものです。食べたい一心は、作ることにまで及びます。 これはカステラのレシピです。箱一杯にカステラを焼いて持って来てくれる友人が書いてくれたものです。彼女は、カステラを焼くための箱をいつも準備していました。リトルリーグの期間中は、毎週日曜日は、試合のため親達も顔を合わせます。手作りのカステラは、親達ばかりか、子供たちにも配られました。コンビニもありません。手作りのお弁当に、集まる集まる手作りのお菓子でした。私の香港生活のスタートは、こうして、皆さんに可愛がってもらい、教えてもらい始まったのです。

 ほとんどの方が、5年以内には帰国なさいます。私のように、30年近くの長居している人はいません。エレベーターの停電の貼り紙が出ても、私を預かってくれる友人はもう一人もいなくなりました。手書きの友人たちとも、10年いえ、20年、会わないままです。この手書きのレシピを見る度に彼女たちを思い出します。私にとって、彼女たちは大事な宝物です。

コメント (2)
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