曇、15度、76%
私の実家の整理で頭を悩めていたのは、もう2年以上も前のことになりました。毎日毎日やれば2年近くもかからなかったのでしょうが、いかんせん、私は香港に住んでいます。とにかく、家の汚れ、整理されていない様子は、ゴミ屋敷などといって報道されているあの状態でした。蜘蛛の巣、蜘蛛の脱け殻なんて当たり前、埃がごっそり溜まっています。おまけに、今やっと人様に言えるようになったのですが、ある日帰ってみると、奥の部屋に猫が死んでいました。屋根の隙間から入り込んだようです。恐がりなので、近くの派出所に飛んで行きおまわりさんに遺骸を引き取ってもらったこともありました。見通しの立たない整理でした。
私自身、捨てる捨てないに迷うものは実は少なかったのですが、どこに何があるかが分からない、おひな様を探していましたが、見つかったのは御雛人形と書かれた箱の中ではなく、大きな茶箱に放り込まれていました。ひっくり返ったおひな様を見たときは涙が出ました。永年の放置で、髪の毛はすっと抜けます。初めから衣服は好みが違うので捨てるつもりでした。食器類もほとんど捨てるつもりです。往生したのは本の量。ちょっと他の家にない品物といったら、これまたかなりの数の古いカメラでした。父の職業柄、珍しい古いカメラが、これだけはきちんと梱包されて見つかりました。
母のことを知る人は洋服ばかりの人と思っていらっしゃいますが、私が小さい頃は着物も着ていました。着物を着て運転していたような人です。着物を見つけたのも、随分片付けが進んでからでした。茶箱2つ分ありました。これらも虫食いこそしていませんが、自分に残そうとは思いませんでした。今では見られなくなった銘仙、紅型のご自慢の着物も全て捨てました。そして手元に残したのは、着物の端切れ三枚。その中の一枚が、久留米絣です。
三枚とも、拡げてみてもそんなに大きくありません。着物をリメイクした小物が似合う私ではありませんので、即座にランチョンマットにすることに決めました。 写真ではよく見えないのですが、小さな赤い織りが入っています。私は母が久留米絣を着ているのを見たことがありません。この久留米絣、実は小学校の時の私のワンピースに仕立てられました。ストレートなワンピースでピケの生地の白い襟がついていました。私の小さい頃の服は、家で洋裁をする方に作ってもらっていました。急にお名前を思い出しました。杉原さんです。長袖で、袖のカフスのところも白いピケの生地でした。白い襟を付けるところは、着物の半襟ね、と今にして思います。
実家の片付けをしていた頃の私の日本からのトランクの中には、大事に包まれたおひな様やこんな端切れがはいていました。端切れは、家に持ち帰って糊抜きもあって洗ったのですが、茶箱の匂いが取れません。1年半経ってやっと匂いがなくなったので、先日、手荒にもミシンでマットに仕立てました。主人と私の二枚分だけしか取れませんでした。
母が逝って1年と数ヶ月、私の母へのわだかまりも少し形が変わってきました。マットを前にして、この絣でワンピースをと考えた母のこと、もっと時間が経てば、心の中の氷も少しは溶けるかと思います。母が仕立てずに残した反物が2本。男物の大島と細かい模様の久留米絣。父のための求めた大島でしょう。ゆっくりと、この2本を主人と私に仕立てるつもりです。