チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

お尻に火がついています!

2014年12月11日 | 日々のこと

小雨、19度、68%

 昨晩、友人からメールが入りました、残りの12月をゆっくりと刺繍をしながら過ごしてください、と結んでくれています。はい、確かに、日本から帰った翌日には年賀状を書き上げて、指の墨が取れぬうちから、刺しかけた刺繍枠を取り出してきました。刺し始めたのは、10月。充分に時間もって刺し始めたつもりですが、日本に向けて僅かでも荷物を送り出しました。その荷造りで、ゆっくり座って刺繍を刺している気持ちになれません。そこで、タンスの奥深く仕舞ってありました。白状しますが、もう一つ理由があります。いっきに読みたい本が3冊、ちょっと予定外でしたが、こちらを先に片付けてしまいました。

 私の刺繍を刺すスピードと期限とから考えるともうタイムリミットです。大型ではありませんが40センチ以上の大きさに刺し上げます。一通り家事を終えると、ドンと刺繍枠を抱え込んで、座ります。ちょっとした時間でも、ひと刺し。義母に電話をすれば、心配事などを聞きます。気が付けば、40分。あー、時間が。とまたしてもドンと座り込みます。お尻に火がつけば、座り込むどころではありませんが、刺繍ばかりは座らなくては出来ません。

 お日様がささなかった昨日は、昼間から、読書灯をともします。 見てください、まだこれっぽっちしか刺していません。慌てるのも当たり前。

 この刺繍枠の下には、お客様が鼾をかいてお休みです。上から見ると、 ちょっと頭の先が見えています。ぐっと下にカメラをさげると、 こんな感じに熟睡中。刺繍台の下ですから、忙しなく針が上下します。これぐらい熟睡していただかないと、私も気が気でなくて刺繍なんぞ出来ません。たまたま、主人が夕飯が要らないと言ってくれるもんですから、散歩ぎりぎりまで刺し続けます。

 もうこうなったら、余程のことが無い限り家からも出なくなります。家の電話が鳴っても、膝の上にはモモさんがいますから、電話を取るのに時間もかかります。電話に出ても、なんとなおざりなお返事しか出来ません。

 年末まで、大掃除、クリスマス、正月の準備とあと10日もすれば、また落ち着かなくなります。電球が切れていたのに、買いに行く時間も惜しんでいました。夕方の散歩のついでに、電球を買いに行きました。モモさん、充分私のお膝で休んだあとです。お店の外で、ちゃんと待っていてくれました。

 どうかどうか、少しでも針を動かす時間をください。仕上がり目標は、2月の半ばです。

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冷蔵庫のこと

2014年12月10日 | 日々のこと

曇り、18度、75%

 結婚して、所帯を持って37年、冷蔵庫はずっと2ドアーです。最初は私が一人で生活していたときの小さな1ドアー、息子が生まれてやっと2ドアーを買いました。その息子が幼稚園に入る頃には、3ドアーの冷蔵庫が市場に出てきました。色も小豆色やアボガドグリーン。白物家電の冷蔵庫に色がついたのは、大きな冷蔵庫をダイニングキッチに置くのに調和をと考えられたからだと聞きました。周りの皆さん、こぞって大きな3ドアーの冷蔵庫を買われます。私も欲しくて、欲しくて、でも、我が家にはそんな大きな冷蔵庫を買うお金はありませんでした。

 2ドアーだって、大きさがありますがいつも220リットル前後の、小さな私の背丈と同じくらいの冷蔵庫です。20数年前香港にやって来ました。住まいは家具や電化製品が付いたフラットです。大家さんによって違いますが、空調、冷蔵庫、洗濯機が付いているのが標準です。初めのフラットでも2ドアーの200リットル台、以来5件のフラットを経験しましたが、全て大きさも似たり寄ったりの冷蔵庫でした。とにかく大きな冷蔵庫が欲しかった。

 夏場のお客様のときは、それこそ頭を使います。飲み物、冷たい食べ物が多い季節です。冷蔵庫も冷凍庫もお客様が見えるまで、隙間なんてありません。お正月も同じ事です。こちらはお正月だって10度を超す陽気です。迂闊に出しっ放しには出来ません。冷凍庫も、冷蔵庫も今の時期から、クリスマスお正月に向けての準備に入ります。いつも心がけていることは、とにかく空間を作っておくこと。すると、ちょっとお腹が空いて冷蔵庫を覗いても、すぐ食べれるようなものなど見つかりません。今、冷蔵庫を開ければ、昨晩のおカブの甘酢が少しタッパに入っているだけです。

 10年程前までは、口にも出して、大きな冷蔵庫が欲しいと、叫んでいました。でも、これまたすっかり小さな冷蔵庫に慣れてしまって、何の不満も抱かなくなってかなり経ちました。200リットル前後の冷蔵庫の使い方が身に付いてしまったのです。東京で一人暮らしをする息子が、3ドアーの冷蔵庫に買い替えました。いいなあ。主人の実家は老夫婦の二人暮らしなのに、大きな大きな3ドアーの冷蔵庫です。いいなあとは思いますが、不思議に欲しいとは思わなくなっていました。

 日本の家の改築がほぼ終わりにかかった時、主人が冷蔵庫と洗濯機を買って家に入れて置きなさいと言います。まだ住まないのにねえ、と思いながらも電気屋さんに幾度か足を運び、下調べ。いえ、変な注文がついています。日本製、でないとダメなのだそうです。ブランドではなく、日本製。冷蔵庫の売り場で、いいなと思ったら、すぐにお兄さんに、日本製ですか?と尋ねます。変なお客です。大きいものを買いなさいとも言われています。大きいものは4ドアーなんていうものまであります。そんなもの、もう必要ありません。これまた、キッチンと同じで大きい冷蔵庫を使う自分が見えてこないのです。

 結局、買い求めたのはパナソニックの3ドアー、330リットルの冷蔵庫です。色はもちろん白。昔の純白ではありません。ややグレーがかって見えますね。白が一番です。

 改築が終わって、一番に家に入ったのはこの冷蔵庫と洗濯機でした。昨日のシステムキッチンの対面に置かれています。まだ、通電されていません。使い始めるのはずっと先になりそうです。真ん中が冷凍庫。下が野菜室です。やっと3ドアーの冷蔵庫を手に入れました。高さも、私の身長より高めです。

 ずっと慣れ親しんだ2ドアー、ひとつ便利なことがありました。狭いキッチンですが、私の調理家電の数はかなりのものです。冷蔵庫の上には、スタンドミキサー、コーヒーメーカー、トースター、ブレンダー、ジューサーが帽子を被って、整列しています。重たいスタンドミキサーだって、そんなに高い所ではないので、ヒョイと持ち上げます。

 まだ、数年は小さな冷蔵庫です。今のままの私の習慣でいくと、この3ドアーの冷蔵庫、どこを空けても空っぽね、と言われそうです。

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最後のキッチン

2014年12月09日 | 日々のこと

曇り、17度、65%

 結婚して今のキッチンが10カ所目です。初めから付いているキッチンです。自分なりにキッチンは、ああしたいこうしたいと思う気持ちは一杯でしたが、そんな気持ちも薄れ始めた頃に、自分のキッチン私に合わせたキッチンを考えなくてはいけなくなりました。このスペースがキッチンだよと与えられたスペースで考えます。おそらく広さにしては、今までで一番広いキッチンです。広いというのも困りもの、狭い小さなキッチンに馴染んでいる私の頭は、広いキッチンのイメージが湧いてきません。狭いキッチンならお手の物です。信じられない数の鍋釜を見事に収納してご覧にいれます。

 実家の改築が始まって、初めに主人が私に言ったことは、システムキッチンのショールームを見に行くようにということでした。沢山見て比較して決めなさいとおっしゃいますが、その実、主人の頭の中にも私の頭の中にも、目指すのはヤマハのシステムキッチン、ということしかありませんでした。30年近く昔、私たちが日本を離れる時に、一番いい日本のシステムキッチンはヤマハでした。いいというのは語弊があるかもしれません。簡単にいえば、見栄えの良いということでしょうか。

 当然、初めに行ったショールームはヤマハでした。ここで、決めるぐらいのつもりで出かけました。ショールームに入った途端、なんだか違うなあ、と思います。何か、私が持っていたヤマハのイメージではないと直感思いました。それでも、お姉さんに、微に入り細に入り説明をしてもらいました。お店を後にしても、私の中に残る違和感は変わりません。そこで、始まったキッチンのショールーム巡り。工事の方が予定より大幅に長引きました。図面で広さが分かっていても、実際の感覚が私にはありません。長引いたおかげで、日本のシステムキッチンのショールームには、随分足を運びました。

 福岡にも海外のシステムキッチンのショールームがあります。いかんせん、この私はチビです。背が低いということは、カウンタートップの高さに大きく影響します。高すぎると、包丁握っても力が入りません。福岡にあるショールームで行かなかったのは、キッチンハウスだけです。理由は簡単、ちょっと場所が離れています。あの重いカタログを一杯集めました。重すぎて香港に持ち帰るのには不便ですから、必要なところだけをビリビリ。それでも、実際の空間が出来上がるまでは、決めきれずにいました。

 9月に福岡に戻ったときでしょうか、今一度、幾つか気になるショールームを見て回りました。その時は、キッチン部分の空間の大きさも掴めていました。広いキッチンですから、L型、アイランドタイプ、I型の大きいものまでなんだって入ります。でも、使うのは私です。そんなに大きな物は必要ありません。途中、東京にいるお嫁さんに電話をしました。身長何センチ?私と一緒にこの台所に立ってくれるのは彼女です。要するに二人で納得のいく、カウンタートップの高さを選びたいと思ったからです。

 システムキッチンのショールームの話は、またいずれ詳しく書きましょう。結局、1年半以上前からここのがいいかな、と思っていた、レクシルのシステムキッチンにしました。何処のショールームでも大まかな設計図を作ってもらいましたが、いよいよ決まると、右寄せ左寄せ、キッチンの色、細かいことをレクシルの人とメールを使って遣り取りしました。私の注文を設計図におき直して添付してくれます。そして決まったキッチンです。

 このキッチンにたどり着くまで、これからまた幾つかのキッチンを経験するだろうと思います。そして数年後、このキッチンが最後の私のキッチンになるはずです。と思っていると、2日前、このキッチを前にして最後のキッチンねと言った私に主人が、いや、分からないよ、とおっしゃいます。最後のキッチンのつもりで選んだのに、まだ先があるかもしれないそうです、まあ、どうであれ今のところこれが最後の私のキッチンになる予定です。

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ビジネスクラスで香港に戻りました。

2014年12月08日 | 旅行

曇り、16度、75%

 かなり小さいときから飛行機に乗って来ました。小さなプロペラ機のタラップまで歩いて行き、段数の少ないタラップを上がったのは福岡の板付飛行場のことでした。行き先は大阪。1970年、中学生の私はヨーロッパに行きました。初めて乗る国際線、まだ、全部タラップでした。あの時は、一体いくつの航空会社を使ったでしょか。18で東京に出てからは、今は死語となったスカイメイトを使って、東京、福岡間を行き来しました。香港に来てから、初めの10年は年一回の会社かがサポートしてくれる帰国の時に飛行機に乗りました。そして、ここ5年程は、母や主人の両親の細々したことを片付けるため、挙げ句は家の改築を見る為に福岡、香港を飛びます。ふた月に一度、多いときは毎月でした。その合間を縫って、東京の息子のところに行きます。考えたら、飛行機にはお世話になっています。

 ファーストクラスやビジネスクラス、エコノミークラスよりサービスもよく、もちろん飛行賃はエコノミークラスより倍近いとも聞きます。幾度か、ビジネスクラスに乗っていますが、実は自腹を切って乗ったことがありません。私は会社員ではありません。会社が交通費を出してくれる旅ではありません。溜まったマイルのポイントでエコノミークラスをグレードアップしたこともありません。ありがたいことに、いつも航空会社の方が、今日はビジネスクラスを用意していますと言ってくださいます。もちろんお断りする理由はありません。いつも、ありがとうと言って厚意をお受けしています。

 日本、香港の飛行時間4時間ぐらいなないざ知らず、ヨーロッパまでの10時間以上の飛行時間のときも、実は、広いシートや沢山の機内食を必要としません。だって、私、小さいのでエコノミーのシートでも充分に余裕があります。足も短いのでシート間の広さも気になりません。一昔前は、機内食も華やかでしたが、今では楽しめる機内食ではありません。時に、まるで、えさでも与えられたような錯覚を起こします。国内線では、機内食はサービスされない時代です。昔は東京、福岡間でもサンドウィッチ、小さなお弁当、それなりに美味しくいただきました。

 ビジネスクラスだって、香港、福岡間の中距離航路なら、目の前で調理をしてくれるような機内食ではありません。 それでも、きちんと、食器とステンレスのカトラリーでサービスされます。こちらは前菜。ローストビーフにクスクス。柚子のおそうめん。もう10年近く、飛行機の中ではアルコールをいただきません。昨日は、お勧めもあってシャンパンを少し。

 メインコースは、チキンとご飯、ラーメン、ポークとパスタ。ラーメンが面白いと思いましたが、 ポークとパスタを選びました。量は、エコノミーのワントレーに比べれば、倍はあるでしょうか。けど、お味に至ってはほんのちょっぴり美味しいかな、というぐらいの差でした。

 ドラゴンエアーラインのデザートは決まってハーゲンダッツ。これも、エコノミーのハーゲンダッツよりひと回り大きいサイズで日本製でした。 お抹茶のアイスクリームにマグカップに入れられた緑茶をいただきました。

 最近は国際線にもLCCと呼ばれる格安航空会社が入って来ています。機内食のサービスなし、座席の指定もないと聞きます。国内線ならそれもまたいいかなと思います。でも、国際線は、美味しいとは望みませんが、お茶ぐらいはサービスして欲しいと思います。

 これからは、格安航空会社的な飛行機の旅行が拡大して行くでしょう。私は、ビジネスなどに今後も自分がお金を出してまで乗ろうとは思いません。でも、そこそこのサービスは欲しいかな。

 初めて乗った国際線、KLMでした。エコノミーにも関わらず、次々にサーブされた機内食、スモーブローと呼ばれるオープンサンドイッチにスモークサーモンや海老が乗っていました。豊かな時代だったと思い出します。

 久しぶりのビジネスクラス、また、航空会社の方から申し出があったら、もちろん喜んでお受けするつもりです。

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ビューロー

2014年12月07日 | 身の回りのもの

曇り、2度、  福岡

 私が育った実家を改築しました。改築を初めて、母が逝きました。改築の工事はどんどん延長して概ね出来上がったのは、改築を初めて1年半後。まだ、照明器具を決めきれずにいます。すぐに住むわけではありません。時間を掛けようと思います。私自信は、改築に乗り気ではありませんでした。それを懸命に進めてくれたのは主人です。出来上がり、家具や仏壇を戻し、香港の家の余剰な本たちまで搬入しました。この2日、寒い中を掃除に明け暮れます。お正月前には戻ってこれません。せめてもこの家に対する気持ちとして、家をきれいにして新しい年を迎えさせてやりたいと思います。

 一人で、無心に掃除をしていると、実は寒さも感じませんが、つくづく、そして心の中から沸々とよかったという気持ちがわき上がります。心底主人に感謝です。

 家にあった家具はほとんど松本の家具です。その松本の家具の中でたった一つ、家具を捨てました。三面鏡です。どう考えても、私の好みではない、これには今も後悔なし。残した家具は全て松本のもののみです。1年半、倉庫にあづけている間カビが付いてしまいました。そのカビを取り、匂いを取り、磨き上げます。母が、手入れをしなかった分、カビ以外にも痛みがひどい家具もあります。

  ビューローという、蓋付きのデスクがあります。この写真は蓋を開けて、デスクにした状態です。この机、私が小学5年の時もらったもの、つまり、私の机です。18歳で東京に出たときも、このビューローと整理ダンス、父が買ったくれた鏡は一緒でした。香港に行く時、ビューローは実家に置いて行きました。一緒に使っていたキャプテンチェアーは壊れてしまいました。今は椅子なしです。

 母が入れていたものは全て捨てました。今は空っぽ。磨きながら思います。いつかまた、このビューローが私の本やステイショナリーで一杯になる日が来ることを。この机の上で居眠したことも、一杯本を読んだことも、ラブレターを書いたことも、きっと机は覚えていてくれます。

 ガスさえ開けば、人が泊まれる状態にまでしました。人って私です。親の家を受け継ぐ、受け継いで行く、主人なりにその責任を果たそうと決意してくれていると感じます。実は主人は長男で、私たち二人が整理すべき家はもうひとつあります。それも覚悟の上のことです。

 私より一日遅れで東京に入った主人と、昨晩、福岡で合流しました。今から主人と、家に向かいます。実際の生活は随分先ですが、今日から始まります。

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木彫りのパグに田丸弥のおせんべい

2014年12月06日 | 日々のこと

曇り、6度  福岡

 昨日は香港からの引っ越し、いえ、ほんとの引っ越しではありません。あまりに多くなりすぎた本や食器、鍋釜の類いを小さな引っ越しの荷物にして送りました。小さいながらも税関を通ってやって来ます。海路、香港から船に乗った荷物たちは、およそ2週間弱で東京に着きました。それから、税関での検査を終えて、やっとこ福岡の我が家に帰って来ました。帰って来る、そうです、いくつかの香港に持って行った家具も送り返しました。私より歳をとっている家具たちです。海の上を行って戻って来ました。お疲れさま。開いた荷物、割れたものは何一つありません。よしよし。

 一人で、本棚に収めたり、食器を洗ったり、お茶を煎れようとガスをひねるけど、あいにく、ガスがまだ開いていませんでした。ちゃんと荷物にはお茶の葉っぱまで入れてあります。すると、インターフォンが鳴ります。いや、自分の家ですが、改築したて、天井は高くなっているし、その音の大きさに驚きます。インターフォンだって、画面に人が映っていますが、どこを押したらいいものやら。とりあえず、玄関へ。クロネコヤマトの配達のおじさんです。

 荷物、3つありますよ。えっ? 私が、この日に帰ることを知っていた友人からの、陣中見舞いでした。急に、活気付く私です。バリバリと荷物を開けます。あら、考えるとお腹が空いています。お茶もないのに、 京都のおせんべい、田丸弥のごま一杯におせんべいを頬張ります。ごま一杯の瓦型のおせんべい、名前は「白川路」。ここのおせんべいはどれもきれいな名前がついています。と思いながらバリバリと食べます。

 どれどれ、冷たい荷物があと2つ、冷凍やら冷蔵の荷物です。こちらは友人の匂い一杯のお漬け物。あー、お茶が欲しいわね。コンビニのペットボトルのお茶ではいけません。お茶なしで、お漬け物もボリボリ。一人ですからね、人目何ぞ気にもせずに食べてると、そのバリバリ、ボリボリと音の大きいこと。

 お腹もやっと落ち着きました。一人で仕事をしていると、時間もお腹のグーグーも忘れてしまいます。冷たい荷物の箱の隅っこ、小さな袋が入っています。うっかり見落とすところでした。出て来たのは、 木彫りのパグのキーホルダーでした。人も誰もおりません。キャー、と声を上げました。可愛いでしょう。実は、片付けをしながらキーホルダーのことを考えていました。この改築した家の鍵、どれが何処の鍵やらまだ分かりません、全部名前を付けています。しかも数が一杯。 どこかでキーホルダーを買わなければね、と思っている矢先でした。早速、一番使う鍵を付けてみました。これで、日本に帰るときはこの木彫りのパグといつも一緒です。可哀想にこのパグさん、冷蔵便ですっかり冷たくなっていました。

 おせんべいが苦手だった私が、田丸弥のおせんべいを食べて美味しいと思ったのは、一昨年のことです。甘すぎず、香ばしい。少し残してあります。やっぱり熱い熱いお茶と一緒でなければね。

 一人で、家の中をクルクル動いていますが、こうして皆さんの暖かなお心遣いで、ほこほこ仕事が進みました。暖房器具は30年近く使っていないアラジンのストーブばかり。ヒートテックにダウンを2枚重ねて、ホッカイロをズボンに入れたら、額に汗が浮いてます。さあ、今日もまたお仕事に励みます。

 あ り が と う!

 

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118本の外灯

2014年12月05日 | 香港

曇り、4度  福岡

 昨夕、福岡に帰って来ました。都市銀行に用事があり、福岡の繁華街天神に向かいます。5時も過ぎると小雨のせいもあるのでしょうが外は真っ暗です。幹線の道を歩いているにもかかわらず、街が暗く感じます。

 私が、家庭教師の仕事をしていた頃、教え子たちの中には香港生まれ香港育ちという子もいました。そんな子たちが、長い休みを利用して日本のおじいちゃん、おばあちゃんの家に帰ります。休みが終わって、香港に戻って来た子供たち、口を揃えて、日本の夜が暗いと言います。そう思って、私も日本の夜の町を眺めてみました。確かに、暗く感じます。特に住宅街に入るとぽつんぽつんと灯る街灯、部分的には真っ暗中を塾帰りの子供たちが自転車をこぎながら家に向かっています。電車の駅の周りは繁華街でもあり、そんなに暗いとは思いません。ところがその一帯を一歩奥に入ると暗がりです。

 私が香港島の北の山沿いの道を走るのは、超早朝。夜と朝の間です。この道は、全長4キロ、西側1キロは車が入ります。西の端には少し住宅もあります。でも東側3キロはこんもりとした木々の中を抜ける道です。そんな道ですから、ハリネズミやハクビシン、そういえば、一週間前には7、8年ぶりにホタルをみたような道です。ちょっと目を北の海側をに向ければ、あの超高層ビルが見える非常に面白い道です。この道を私のように超早朝に走る人たちがいます。散歩に上がって来る人、太極拳をする人、香港マラソンまで2ヶ月を切ったので、ここしばらくはますます走る人が増えます。

 毎日のことですから、あまり意識していませんでしたが、そんなに暗いとは思いません。そこで、先日この4キロに何本の外灯があるか数えてみました。118本です。30m強に一本の割で、街灯が灯っています。しかも、一部はLEDの明かりです。道の両脇は暗くても、道自体は地面に落ちているものですら見て取れます。

 私は恐がりです。暗い道は、気が引けます。朝早くから人が集まって来る道、118本の外灯が守ってくれているからこそです。

 実は車が通る幹線道路も、外灯が多く、うっかり車のランプを付け忘れていても気付かない程です。香港の電力源は、半分が中国から買い受けているものです。きっと、外灯の維持費は大きいと思います。金融の中心、貨物の港湾事業、そして、観光が顔の香港ですから外灯は必要なのかもしれません。

 ただでさえ明るい香港、クリスマスのイルミネーションが灯りました。今から、旧正月までますます明るくなります。

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この冬はウールのジャケットを着ようと思います。

2014年12月04日 | 日々のこと

小雨、13度、90%

 香港もぐっと冷え込んできました。なにぶんにも南方に国ですから、寒くなると一斉に厚着をなさいます。20度を切っただけで、コートを着た人までが現れ、昨日は毛皮を着たおばさんを見ました。この私もやっとGパンをはき始め、Tシャツの上に何か一枚欲しくなって来ました。

 考えてみると、昨年は、防寒着にダウンばかりを着ていました。10数年前に買ったやや厚めのダウン、最近買い足した春物用の薄いダウンのジャケットに、ベスト、この3枚を着回し、挙げ句にこの3枚の重ね着までしました。つまり、コートもジャケットもほとんど手を通さない昨冬でした。軽い、暖かい、丸め込んでもしわにならない、非常に便利です。そればかりでなく、ダウンに頼ったのはもう一つ理由があります。一生物と思って20年前に買ったアフガンのコート、よく見ると袖口の長い毛が摺れ始めて来ました。すごいショックで、出来るだけこの大事なコートを着ないでおこうと考えました。結局、一生ものなんてあり得ないと思い至ります。

 ダウンは着ないで、今まで通りウールのジャケットやコートを着ると、そうそう大好きなブローチも付けることが出来ます。ダウンにはあいにくブローチは付けられません。ダウンの敵は穴、天敵はタバコだと思います。タバコの火を外向きに持って歩いている人には要注意。主人が穴を作って来てそれをワッペンで埋めたことがありますが、長持ちはしません。

 出来るだけすぐ手の届くところに、ウールのジャケットを用意しました。お安くダウンが買える今、一歩外に出るとそれこそほとんどの人がダウンを着ています。どんなに意匠を凝らしても、ダウンはダウン、画一的に見えます。それにちょっと光ってみるダウンの外布は、端から見る人には寒くすら見える物です。やっぱり、普通のジャケットはいいなと思います。

 さて、今日から日本に行きます。すごく寒そうです。昨晩荷造りをしました。で、結局持って行くのはダウンになってしまいました。はい、ダウンの重ね着です。わざわざ、この重ね着の為に春物のダウンを求めた程です。まあ、旅行ですし、大した方達にお会いするわけでもありません。

  何のかんの言っても、しばらくはダウンのお世話になりそうな気配です。そうそう、モモさんの毛が付いてもするっと取れますしね。

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フィッシュフォーク フィッシュナイフ

2014年12月03日 | 身の回りのもの

雨、17度、85%

 フォークやナイフ、スプーンの形にとてもひかれます。銀器ばかりでなくて、ステンレスも象牙やマザーパールの柄が付いたものも、食べる営みの中に手の延長として使う道具でありながら、装飾性があります。テーブルのプレートの横に並んだナイフやフォーク、プレートやグラスに負けず劣らずテーブルに彩りを添えてくれます。その趣は日本の箸が、研ぎすまされ真一文字にお膳に座っている様と好対照です。

 西欧人の食生活とは切っても切り離せないこれらのスプーンやフォークにナイフ、それぞれ用途によって大きさも形も違います。蟹用のフォーク、オイスター用のフォーク、瓶の底のピクルスを取るピクルスフォーク、熱々のお芋を丸ごと取り分けるフォーク、トースト用のフォークまで実に様々。

  19994年刊行の[FORKS,KNIVES & SPOONS ]この20年、飽きもせずよく手に取る本です。1997年の返還前の香港は、こうしたフォークなどを扱う店が沢山ありました。お金もありませんが、ショーケースを除くだけでワクワクしました。私にとっては、ダイヤモンドより輝いて見えます。結局、買い求めたのはクリストフルのアメリカン、すっきりと曲線的でない装飾性のないシリーズです。

 思い切って求めたのは、テーブルスプーンにフォークにナイフ、ティースプーンにパイフォークを6客ずつ。レンクロフォードのガラスのショーケースの上で、値段の交渉までした記憶があります。30代になったばかり、30年近く前の話です。

 その後、クリストフルが自分の店を出すことになり、レンクロフォードから撤退するときのことです。信じられない安さで、クリストフルの銀器がバーゲンされました。サービング用のナイフやフォーク、カービング用のものを求めたのもこの時です。そして、ずっと欲しかった、フィッシュフォークとナイフも求めました。

  普通のテーブルナイフとフォークでも充分なのですが、フィッシュ用は、ややこぶり、そしてナイフにもフォークにもカーブが入っています。ちょっとした装飾です。日本人ですから、お箸でお魚を食べればいいようなものですが、恥ずかしい話お箸を使うのがとても下手な私です。もちろん、このフォークとナイフでは、サンマの塩焼きやお煮付けは食べません。ソウルを赤ピーマンの上におきグリルしたものやクリームでそっと煮た魚の時のはテーブルに上ります。お肉と違ってきちんと火の通った魚は、力を入れずに外れます。ナイフのエッジは鋭くありません。

 いつだったか、香港のJOYCEがまだテーブルウェアーを扱っていた頃、見つけたのがフィッシュ用のサービングナイフとフォークです。見出し写真、それぞれのシェープがきれいです。持ち手にはシダの葉っぱは施されています。これはクリストフルではありません。SIECLEといかかれています。フランスのものです。私が持つナイフたちの中で数少ない、装飾性の強いものです。このサービングナイフとフォークは実に使い勝手がよく、一匹丸のまま蒸したタイを取り分けるのにも重宝します。ところがお箸遣いが上手な主人などは、そんなもの使わなくていいとおっしゃいます。

 スプーンも含めて、もうこれ以上増やすつもりはありません。それでも、象牙の小さなスプーンや塗りの大きな取り分け用のスプーンを見ると、心がぐらりと動きます。出来たら、いえ、見つけることが出来れば、サーディン用のフォークを買いたいと思っています。フォークの先が4、5本、オイルサーディンを缶から出す為だけのフォークです。思い続ければいつかどこかで会えそうな気がします。

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実生の松

2014年12月02日 | 

小雨、15度、88%

 花を活ける川瀬敏郎さんの本で、実生の松、つまり自然に落ちた種から芽生えた松の芽を根付きのまま使った作品を見たことがあります。自然の姿をいじらないで生けられた小さな松たち。大きな松になるのにも、この小さな苗があってのこと、そう思うと不揃いな松の姿に心ひかれます。以来、いつかはこの実生の松に出会いたいと思って来ました。

 今年のお正月、我が家には松がありませんでした。ここ香港、枝物を活けることが少ない上に、松は日本人程大切な木ではありません。山に行けば、雑木とも思われるボサボサの松や、洋種の松があります。昨日は、花市にお正月用の松を探しに行きました。松は、手入れよくすれば2ヶ月はあの緑を保ちます。

 香港の花市も、昔の切り花ばかりの花市から園芸全体を扱う花市へと変化しつつあります。切り花は、世界中から輸入されてきます。園芸用品はアメリカやシンガポールから。大きく店を広げている老舗の2店舗、ひとつの店が昨年から日本の花木を多く扱うようになりました。日本からはシンビジュウムが主に入って来るばかりだったのですが、モミジ、桜の枝もの、小さな盆栽まで売られています。

 お目当ての松の切り枝を見つけました。日本と違って年末に込み合う花市ではありません。ただ早めに用意しておくと、この私が年末の時間に余裕が持てるわけです。松を片手に、日本からのものを多く扱う店に向かいます。日本からのものは、お値段が他の国から入って来るものより、10倍近くします。まあ、この時期から旧正月にかけては一番活気づく香港ですから、皆さん散財なさいます。

 店に足を踏み入れるなり、声にこそしませんでしたが、ワーと叫びました。小さなコンテナに入った松の芽ずらりと並んでいます。よくよく見ると、コンテナの中には松ぼっくりが。 松ぼっくりから芽を出した松の幼い子供です。そして、実生の松を使った盆景も日本から輸入されています。初めて見る松の芽です。愛おしいやら、嬉しいやら。お高いけれど、思い切ってこの松ぼっくりから出ている芽を買おうと思いました。葉っぱの元気なものを物色していると、ひとつ上の段に、少し育った小ぶりな盆栽向けに矯められた松の子株が幾つかあります。お店の人に尋ねると、少し成長したものの方が扱い易いとのこと。松ぼっくりの倍の値段しますが、一本、買い求めて来ました。

 先日、松ぼっくりのリースのことを書いた時、京都の友人が京都には松の小さな苗が花屋で売られていると知らせてくれました。流石京都です。松の苗に会えるのは、いつか京都へ旅する時までお預けとその時思いました。それがこんなに早く会えるとは。

 家に帰って来て、粉引きの茶碗に入れ替えました。我が家は今年大きな大きな松を切りました。ずっとその事が心のどこかにありました。切った松は、私より永い年月を生きて来て姿よく実家の門を彩っていました。枯れてしまい切らなくてはいけないと分かっていましたが、木を切ることは心が痛みます。

 この小さな松に、そんな気持ちを込めて育ててやろうと思います。大きくなあれ。

 

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