チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

端午節 ちまき  香港

2015年06月20日 | 香港

晴れ、29度、84%

 今日は旧の5月の5日、端午節です。今日は珍しく晴れ上がりました。香港では有名なドラゴンボートのレースがあります。そして、祭日。

 日本でも、男の子のお節句にやはりちまきを頂きます。青青とした竹笹で巻くあの蒸したちまきです。香港でも、ちまきはこの端午節の行事食です。笹の葉で巻くのは同じですが、甘いちまき食事にもなるちまき、種類が豊富です。その上巻き方も違います。香港では立派な笹が採れないので、中国からの輸入した乾燥の笹を使います。日本のようにきれいな緑のちまきではありません。今年は初めて新鮮な笹を売っているのを見つけました。 お店の人に聞くと上海から入って来たのだそうです。

  これは市場のお惣菜屋さんの前に並んだちまきのサンプル、本物を切って中を見せてくれています。餅米を笹に包みその芯に、小豆のあん、蓮の餡を巻くと甘いちまきです。味を付けた鶏や豚肉を芯に巻くと食事代わりに頂けるちまきが出来ます。 トマトの横に並んでいるテトラパックの形のようにちまきは巻かれます。そして蒸し上げるのではなく、茹で上げます。見出し写真のように、しっかりと結わえられた状態で、梘水の入ったアルカリ液で茹でます。このちまき、端午節のひと月前ぐらいから、店先を飾ります。ケーキやさん、果物やさん、八百屋さん、お惣菜屋さん、皆さん自家製ちまきをこの時期は売り物にしています。

 さあ、我が家は例年のように、蓮ちまきを作りました。 蓮ちまきは、香港の朝飲茶の定番、大きな鶏の切り身が入ったうるち米で作ります。労働者にとっては実に腹持ちのよいちまきです。我が家が作る蓮ちまきは、行事食ではありませんが、家庭で作るハレの日のごちそうちまきです。香港に来る前から作っていますからかれこれ30数年。横浜の中華街で高い高い蓮の葉っぱを買って作っていました。

  この時期、青い蓮の葉っぱも香港で手に入りますが、乾燥の蓮の葉を使います。青い蓮の葉は、魚などをのせて蒸します。中は餅米。自家製のチャーシュウ。 貝柱。 干しえび。銀杏や栗やうずらの卵を入れて作ります。 30センチより大きな我が家の蒸籠はまるでちまきの為にあるような物です。飲茶の蓮ちまきも茹でずに蒸して作ります。もう長く作り続けていますから、適当な作り方です。しかも、年々味付けが薄くなっています。 蒸し上がった餅米を、40センチほどの蓮の葉に包んで、もう一度頂く前に蒸し上げます。

 ちまきを頂く度に、笹の結びを切ったその瞬間、蓮の葉を開けたその瞬間、それはそれはいい香りです。笹は清涼な香りがします。蓮は非常に複雑なまろみを持った香りです。葉っぱで包んだ食べ物は、葉っぱの殺菌作用で長持ちすると言われています。私は、香りの食べ物だと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鯛めし  香港

2015年06月19日 | 料理

晴れ、29度、86%

 今年の香港の市場の魚屋さん、嬉しいほどに桜鯛が並びます。かなり姿の大きいものから、南蛮漬けによさそうな小さい物まで。もちろん地元の魚です。香港近海を泳ぐ魚ですから、時には油、きっと船の重油かなにかが匂うこともあります。そんな苦い経験をしてもやはり、桜鯛を見ると買わずには置けません。以前は随分安かった鯛ですが、これだけ世界中の料理が食べられる町ともなると、需要が多くなったのか、いい値段で売られています。

 一昨日は、一人息子の37回目の誕生日でした。家庭を持ち、子供の成長を楽しみにしている息子です。とはいっても、私たちにとっては子供です。お誕生日おめでとう。桜鯛一匹の鯛めしを夕飯にと思っていたのですが、市場の魚屋さん、私が納得いく鯛がありませんでした。そんなわけで、昨晩鯛めしを炊きました。

 我が家の土鍋にはちょっと大き過ぎるように見えますが、鯛好き3人にはちょうどの大きさです。はい、モモさん、きりきり舞いするほど鯛が好きです。臭みをとるために、しっかりとお酒をふって炊くだけですから、見た目の割には簡単料理です。

 以前、友人が焼いた鯛で作るといいよと教えてくれました。まだ試していませんが、きっと焼き目が付くと、香ばしさが加わると思います。切り身で作っても鯛のうまみがご飯に移って、美味しいはずです。丸のまま一匹は見た目の豪華さと骨から出て来る美味しさを鯛からもらいます。余す事なくとは、正にこの事。ご飯が終わると、骨だけが残りました。味付けもお腹に塩を少しと、淡口醬油をちょっぴり。こうすると、魚本来の美味しさ、邪魔されない旨味が味わえます。

 息子が生まれて、息子の成長とともに私たち夫婦も成長してきました。この2、3年は、この息子の誕生日は我が家の歴史を振り返るに日になりました。日本にいる息子家族、息子にお嫁さんに孫。3人の事を思いやりながら、「よくここまでやって来たね。」と振り返る記念日です。

 一匹の魚を料理すると必ず私が最後にする事、 魚の耳石をとります。この桜鯛、思ったよりも小さな耳石でした。お魚の骨のような物ですが、不思議な事にちっとも魚臭くありません。大事に瓶に仕舞ってあります。さあ、しばらくは鯛が食卓にのぼる日が増える事でしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星野富弘 朝顔の便箋

2015年06月18日 | 日々のこと

晴れ、29度、84%

 恥ずかしい事に、星野富弘さんとい方がどういう方なのかを知らないでいました。大学卒業後、高校の教師になられた星野さんは、クラブ活動の練習中に大けがをなさって、以来手足が不自由になられたそうです。それを機に、なんと口で筆をくわえて絵を描く、文を綴って来たとの事。その星野さんが描かれた赤い朝顔の便箋と封筒を私にお土産と言って主人に托してくれた方がいました。

 主人の会社のTさんです。Tさん、出張で香港にみえた時には我が家にも泊まられました。その後、香港、深圳駐在となられてからは、よくご飯もご一緒にしました。主人の会社の方の中で一番我が家においでになった方です。気心も知れています。10年ほど前、ご結婚なさってお子さんが出来てからは、お会いする機会も少なくなりましたが、お顔を見れば懐かしくなります。そんなTさんからのお土産です。

 便箋封筒、手紙好きの私にとっては何よりのお土産。しかも水彩の赤い朝顔の絵です。「富弘花だより」と書かれています。裏を見ると群馬県みどり市にある美術館の物です。群馬?今、Tさんは、上海勤務です。主人の話では、Tさん群馬に出張の時、散歩をしていてこの美術館に出くわしたのだとか、そこで、求めて下さった朝顔の便箋と封筒です。

 昨日は、この星野富弘さんの事を調べてみてとても深い印象を覚えました。お写真の星野さん、手足がご不自由だとは思えないほど明るい表情です。口で筆をくわえて絵を描く、思うようにならないのではと思います。それなのになんと繊細な花でしょう。

 一本の茎が

 一本の棒を登って行く

 棒の先には夏の空

 私もあんなふうに登って行きたい

 絵に添えられた詩です。香港も野生の朝顔がそろそろ咲き始めますが、丹精に育てて支柱を立てた朝顔のつるが、朝見る度に上に上に登って行く様子は、日々の励みになります。今年は友人数人が朝顔を育てています。彼女たちの写真のアップが楽しみな毎日です。

 出張で初めて訪れた町の美術館、そこで、私のために夏らしい封筒と便箋を選んでくれたTさん。星野さんの明るい笑顔とともに、私に元気を届けてくれました。

 今ちょっと思ったのですが主人の会社のお若い方、皆さん、私を「下川さんの奥さん」とお呼びになりません。なぜか「真奈さん」です。そんな小さい事に心が温まります。Tさん、ありがとう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポップコーン屋さん

2015年06月17日 | 香港

晴れ、29度、84%

 我が家の住む一帯、香港島のセントラルから上向きに歩いて20分ほどの、住宅街です。住宅街といっても一戸建てはありません。高層のマンションが建ち並んでいます。道の脇には不動産屋がずらり。流石にここにはSOHOのようなレストランは見られなくなります。そんな町に、ポップコーン屋さんがオープンして半年ほどになります。

 ポップコーンを朝から食べる人はまずいないでしょうから、お店が開くのはお昼過ぎ。住人の多いこの町ですがその店はなぜか人通りの少ない場所に店を構えています。道を挟んで反対は人がよく通ります。わざわざ道を渡ってポップコーンを買いに行く人もいないのか、お店にお客さんがいるのを見たことがありません。

 ポップコーンも昔と違いバター味ばかりか、キャラメル味、チーズ味様々出てきました。私がポップコーンを初めて食べたのは、映画館ではありません。アルミホイルのお皿とお皿の間にまだはじけていないコーンが入っていて、柄が付いている容器に入ったアメリカ製の家庭用ポップコーンです。ガスレンジで揺すりながら作るポップコーンです。私がまだ小さい頃は福岡には米軍の基地がありました。その基地に用事で出かけた父が、このポップコーンやら日本のガムとは味の違うチューインガムや缶詰をもらって来たのです。父と一緒にこのポップコーンをレンジにかけました。蓋になっている方のアルミホイルが、加熱と同時に大きく膨らんで、中では、コーンがバチバチ跳ねています。蓋が破れると、熱々のコーンが飛び出て来るので危険です。父は、遠巻きに見ているように言いました。出来上がったポップコーン、焦げ目付き、中には充分はぜていないコーンもありましたっけ。私はポップコーンより、あのバチバチ大きな音を立てるのが怖かった思い出です。

 ある日、このポップコーン屋さんの前を通ると、白人のお姉さんが一人手持ち無沙汰に店番をしています。次に通った時には、そのお姉さんと目が合ったのでニッと笑って挨拶しました。次に通ったら、そのお姉さん入り口に背を向けて、なんとポップコーンを作っています。片手には、糖度計を握って作っている所を見るとなかなか本格的です。ある時通ると、お姉さんはお店にいないのに、ポップコーンが大きな機械の中ではぜていました。バチバチ音は聞こえませんが、ガラスのフードの中で、楽しそうにポップコーンが舞っています。

 実はこのお店の前を私自身は用事がないので通る事はありません。この店の前を最近好んで通る方が引っ張って行くので通ります。頑としてお散歩は自分の好きなように行く方です。このポップコーン屋さんの少し手前で必ず用を足します。はい、モモさんです。おかげで夕方の散歩は、この所ポップコーン屋さんと決まっています。

 こうして毎日のように前を通るようになっても、やはりお客さんはいません。日曜日なんかもお休みです。小さな店ですが、洒落た作りです。特別ポップコーンを食べたいとも思わないので、お店に入ったこともありません。バチバチ大きな音がしていたら怖い気もします。先日、店先にディスプレイされているこんな物に目が留りました。 ティーバックです。「ポップコーンティー」と書かれています。お店がお休みなのでこのティーバックに顔を近づけてみると、白いポップコーンのような物がティーバックに入っています。でも、これって玄米茶じゃないかしら。茶色の玄米の炒った物だって入っています。よくラベルを見ると、「日本人のおもてなしのお茶」と書かれています。思わずニンマリ。「ポップコーンティー」のネーミングにもニンマリ。果たしてポップコーンと玄米茶って相性いいのかなと口の中で想像します。

 昨夕もお散歩の時モモさんがこの店の前に連れて行ってくれました。お姉さん、ポップコーン造りに励んでいて私に気が付きません。最近気が付いたのですが、ここで作ったポップコーン何処かに卸しているのでしょう。「ポップコーンティー」に惹かれて、急にぐっと身近に感じるポップコーン屋さん、今度はお店に入って、ポップコーンを買ってみようと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食虫植物 香港

2015年06月16日 | 香港

曇り、27度、86%

 香港に来た当初、そうです30年近く前の事、初めて行った山は、私が毎月登る山、マウントパーカーです。当時は小さな滝壺みたいなものもあり、なんと夏ともなればそこで泳ぐ人もいました。私も泳いだ一人です。滝壺の岩壁には湿度が高い香港ならでは、きれいな苔が生しています。その中に見えるのが、見出し写真の「ハエ取り草」でした。食虫植物の自生を見たのは初めての事、歯のように見えるギザギザまでも可愛く思います。

 山を上がれば、ジメジメした岩には、苔に混ざって、こうした食虫植物がひっそりと生えています。 こちらもその代表格、ストンと長い空洞に虫を落とし込むタイプの食虫植物です。香港名「海角瓶子草」。私の植物図鑑は、香港のものなので、生憎、英語名と中国名しか分かりません。「海角瓶子草」は英名はサラセニアです。食虫植物には2通りの虫の摂り方があるそうで、一つが「海角瓶子草」のように、虫を落とし込んで出られなくする筒状の長い空洞を持つものです。

  こちら、私が「虫取りひょうたん」と呼んでいる、和名「ウツボカズラ」もそのタイプ。この「ウツボカズラ」は、かなり深く山に入ると見られます。やはり水の流れがある辺にブランと生えています。しばらく深い山に入っていませんが、この「ウツボカズラ」を売り物にする人が採っているのを見たことがありました。香港は郊外公園での植物採取は禁じられています。罰金$1500です。

 一番身近に見られた「ハエ取り草」、こちらは寄って来た虫を口の中に誘い込み、パッカリと口を閉じて、何やら溶液を出して虫を溶かすそうです。和名「ハエ取り草」、香港では「捕蝿夾」と言います。

 「ウツボカズラ」「ハエ取り草」「海角瓶子草」この3つは香港でもよく見る事が出来た食虫植物でした。でも、ここ20年、山に行ってもも殆ど姿を見ません。人が持って行くためでしょうか。私もまだ息子がいた頃「ハエ取り草」をちょいと頂いて来たことがありました。家で虫などを与えてみましたが、短命です。虫を糧にするよりは、大事なのは生活環境らしく、乾燥が一番の大敵なのだそうです。

 今では、これらの食虫植物、植木屋さんで売られています。地元の物かと思ったら、マレーシアから輸入しているそうです。こちらも輸入もの、 「ハエ取り草」と「海角瓶子草」を合わせたようなヒョンキンな顔をしています。

 ちょっと冷やっとする岩肌に、こんな植物が張り付いていた頃の香港が懐かしく思い出されます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HUG 

2015年06月15日 | 日々のこと

雨、29度、84%

 「HUG」、そうです、あの抱きしめるハグ。先日、道でバッタリであった古い顔見知りのインド人女性に「久しぶり!」と言いなが思わずハグしてしまった私です。縦も横も私より遥かに大きな彼女に抱き付いたという方が正確です。インドから香港に来たばかりだった彼女に、朝夕の散歩の時に声をかけるようになったのはもうかれこれ6,7年前の事でした。一年ほどでばったりと会わなくなりました。香港、人の出入りが多い所です。インドに帰ったのか他の国行ったのか、真っ白なリュックを背負った彼女の姿を懐かしんでいました。香港で仕事に就いたそうです。散歩をしている時間が無くなったのだとか、初めて電話番号を交換して別れ際、大きな彼女が包み込むように私をハグしてくれました。

 私のハグの記憶で忘れ難いものが一つあります。広いグリーンのど真ん中、声も揚げずボロボロ泣く私をじっとハグしてくれた人がいます。私よりも20以上若い中国人の女の子でした。キャディさんです。朝からずっと一緒のキャディさん、私がボールも2重に見えるほどに目に涙一杯な理由を、言葉は分からなくても感じてくれていたのでしょう。涙が流れ始めると、側に来て抱いてくれました。何一つ言葉はありません。その彼女の日なたの匂いと優しさだけがその時の慰めになりました。ゴルフの勝ち負けで泣いたのではありません。一緒に廻っていたのは主人一人です。名前も忘れてしまいました。ただ、彼女が私の背中に回してくれた手の重みがしっかり感じられます。

 私の住む一帯は西欧人も多いので、外に出れば男の人も女の人も挨拶代わりにハグしています。極々自然な感じです。東洋人の私、ハグは少々照れくさい、それになんだかねと思っていたのですが、最近、思わず手を広げてハグしてしまいます。嬉しい時ばかりか、最愛の祖母を亡くしてタイに帰る我が家のお手伝いさんを見送った時も、彼女をずっと抱きしめていました。

 ポルトガルからロンドンまで同じ飛行機になった旧知イギリス人のアイリーンさんご夫妻、ヒースロー空港でお別れです。乗り換えのために別のロービーに向かう私たち、別れの挨拶を交わします。またお目にかかれるはずです。さあ、いよいよさようならという時、背の高いMr.アイリーンが腰を折ってこの小さな私の両頬に軽くハグしながら挨拶してくれました。

 西欧人のハグも、挨拶ばかりでないこともあると思います。激しいハグもあれば、フェザータッチのハグもある、東洋人に比べるとその頻度は全く違います。男性女性として考えれば、男性側から差し伸べるハグ、どうも日本人男性、ハグが非常に苦手ではないかしら。女性は受ける側ですから、自然にしていればいいのですが、差し出す男性、日本人の男性は自然体になれないように思います。これもお辞儀と同じ挨拶、習慣の違いですから、慣れでしょう。お互いの体との距離感が近くなりその間の空気がギュッと圧縮されるだけで何かが伝わって来る、言葉はなくても人と人のふれあいです。

 小さな私のハグは、どうも端から見るとくっ付き虫のように見えるかも知れません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カズオイシグロ 「THE BURIED GIANT」

2015年06月14日 | 

小雨、28度、85%

 カズオイシグロの8冊目の本、「THE BURIED GIANT』(忘れられた巨人)をやっと読み終えました。春先、出たばかりのこの本を求めて以来、旅行の時はバックに入っていましたが、なぜか読み進まない、気持ちが本を読むムードではない数ヶ月でした。本を読むって、やはりそれが仕事ではありませんから、その時の気分で放ったままになってしまいます。ひょいと再び取り上げたのは5日ほど前でした。

 カズオイシグロ、日本人の名前につられて彼の本を買ったのは20年近く前の事です。「THE REMANIS OF THE DAY」(日の名残)アンソニーホプキンス主演で映画化された代表作です。カズオイシグロの本を読んだことがある方ならお分かり頂けると思いますが、この英国育ちの日本人が描く世界は、色彩的に暗いイメージです。書かれている事が暗いのではなくて、まるで夜明け前の明るさの中で話が進んでいるように感じます。ちょうど、この本の表紙のような色合いです。

 今回の時代背景はアーサー王が亡くなったあとの事、アクセルとベアトリース、この老夫婦の話です。しかも、何やら童話のような人食い鬼や魔物まで登場します。魔物が吐き出す息がミストとなってこの国の人たちの記憶を薄れさせています。もちろんこの老夫婦も途切れ途切れの記憶、そして一人息子に会うための長い旅に出かけます。

 暗い色彩にミストがただよい時代は遥か昔、なんともこの老夫婦でなくとも歩みが遅くなるような雰囲気がたれ込めています。最後にはこのミストは晴れますが、本の最後の3分の一、解き明かされる様々な謎がいっきに本の中に引き込みます。老夫婦の記憶が薄れる、私は老人性の痴呆症を考えてしまいました。楽しい記憶は残って欲しいものですが、嫌な記憶は、ミストが晴れずに忘れたままの方がいいかもしれない、などと思います。ましてや長年連れ添った夫婦です。いい思い出ばかりではないはずです。ふと我が身に振り返って考えます。

 「THE BURIED GIANT」8冊のうちでいちばん話の展開が面白いのではないかと思います。私個人的には処女作「A PALE VIEW OF HILLS」(遠い山並みの光)日本を舞台にした話が好きです。坦々とした話ですが、懐かしさを感じます。

 先日、日本に帰った折、本屋に(忘れられた巨人)が山積みされていました。今回はあっという間に訳本が出ています。書評で知った事ですが、今までの本全部が文庫本になっているそうです。

 いつも思うのですが、カズオイシグロの本の題名、日本語になるとどうもいけません。映画の題名のようにして欲しいとまでは言いませんが、もう少し、人が興味を持ってくれるような題名にならないものでしょうか。この「THE BURIE GIANT」も映画化されるかも知れません。映画化されてもいいようなプロットです。一人で配役なんか考えてしまいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤いバック

2015年06月13日 | 身の回りのもの

曇り、28度、83%

 身につける物、つまり洋服は殆ど紺白黒です。色気がないのです。ピンクやベージュの中間色も似合いません。赤い物を顔の近くにのせただけでもしっくりしません。なのに、紺白黒なら顔もスッキリとして見えます。もう40年近くこの状態です。だから買い物も簡単、紺白黒の同じTシャツ、セーター、スカートを用意しておけばお仕舞い。靴に至っては、どれもこれもよく似た黒の靴ばかりです。違いが分かるのはこの私だけ、これは先細りとかいや、タッセルの形がとか言う具合です。

 ところがバックなんですが、恥ずかしい話、黒のバックを持っていません。黒はフォーマルですから、いつかいいものを買おうと思って買わずじまいです。バックの色は様々、大きさも大きいものからごく小さい物まで。そして、赤いバックが3つもあります。

 赤といっても微妙な色の違いです。色の発色は革の質にもよりますが、いい色を出すのは難しいのでしょう。好きな色ならばそれでいいのです。この3つのバック、もう20年近く使っています。一日のうちでもバックを代えることがあるので、バックは長持ちします。そういえば、ここ5、6年いやもっとかな、バックなど買っていません。長い付き合いですから考えもせず、服が決まればバックも決まります。

 右端のバックは先日ポルトガルにも連れて行きました。内輪のパーティーの時に、白地の幾何学模様のワンピースにこのバックを合わせました。PANCALDIというイタリアのメーカーです。革が柔らかくて、小さくてキュートです。以前にも書きましたが、このバック色違いが5種類ほどありました。クリーム、ブルー、ピンク、黄緑、どれもこれも持ち手との色の配色が素敵で、お金があったら全部買いたかったほどです。

 真ん中と左は、アンリーベグリンの物ですが、初代エンリークイールさんがデザインした物です。見る人が見ると、オミノの刺繍が付いているものの、デザインが今のに比べると非常にすっきりとしています。真ん中のはチーズと名前のついたチャック式のバックです。このチャックがYKKだったので買うのを随分考えました。YKKが悪いのではありません。YKKと書かれたのが表に出てるのがどうもと思います。中途半端な持ち手の長さがかえっていい感じです。

 左端は、結構大きなバックです。開け閉めも簡単なので、旅行の時には重宝します。ここ数ヶ月で、老眼鏡が必需品になりましたので、ガバッと入ってくれないと困ります。どのバックも使い込んでいます。革のいい艶が乗って来ています。雨が降り出せば、しみを付けたくないので抱えて家に帰ります。

 赤のバックを手に取る時は、気持ちが明るい時です。そして、また、赤いバックを手に取ると尚更気持ちが高揚します。白状します、ここ数ヶ月、もう一つ赤いバックを増やそうかどうか悩んでいます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「少女の頃」

2015年06月12日 | 日々のこと

雨、25度、96%   雷注意報

 

 先日、私より少し年下の方の書いた随筆を読んでいました。(少女の頃読んだ「秘密の花園」に)の一文に目が留って、いえ、心が止まってしまいジッとその言葉だけを見つめていました。その言葉、「少女の頃」です。

 少女って、幾つぐらいの女の子を指す言葉でしょうか。広辞苑によれば、こむすめ、童女とでています。生まれた時から性別はあるものの、男の子と女の子の差が言葉として初めて区別されるのが、少年、少女です。少女と聞くと実際幾つぐらいの女の子を想像するでしょう。7、8歳の女子を思い浮かべます。じゃあ、幾つぐらいまでをいうのかしら。12、13歳ぐらいまでかな。今の子供たち服装も言葉遣いも早く大人に近付いているように思います。息子一人しか育てなかったので、どうも女の子の成長過程が身に馴染んでいません。

 この「少女の頃」の言葉に心が釘付けになったのは、実は、私自身の中に「少女の頃」が存在しないのです。自分が少女だった頃が完全に欠如しています。うまく現せませんが、自分を少女だと思った記憶がありません。長じては、自分の事を振り返る時表す言葉に「少女の頃」という言葉が見当たりません。いつも私が使うのは「子供の頃」です。人から見れば、私にも「少女の頃」はあったかもしれません。ところが私自身の中にはその言葉は、皆目存在しないのです。急に虚しくなりました。

 「乙女」という響きほどでもないにしても、「少女」にはそれなりに莟が開く前のやさしさが感じられます。華やかでないけど、その予感を漂わせる言葉です。

 女性は、年齢によって身体的な変化もあります。その変化が女らしさとも通じるものがあるわけですが、小さい時から女を感じる子供もいれば、おばあさんになっても色褪せない老女がいます。自分を振り返ってみると、子供から大人への変化しか見られません。しかも随分と長いこと、子供のままであったようにも思います。

 サザエさんのワカメちゃんのように、刈り上げたおかっぱの容姿そのままに子供の時代を長く過ごしました。中性的と言えば聞こえがいいのですが、言い換えれば宙ぶらりん。女なのだという意識の低さです。

 「少女の頃にね、」とはっきり言える女性が羨ましく思います。私にとっては、取り返しのつかない「少女の頃」です。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イヤリング ピアス

2015年06月11日 | 身の回りのもの

雨、27度、89%

 指輪やネックレスなど、所謂アクセッサリーというものを殆ど身に付けなくなりました。30代40代の頃はそれでも、イヤリングには随分凝ったものです。自分のお金で買うものですから高は知れています。50代に入って、服や靴も初め、アクセサリーも整理しました。気が付くと、イヤリングは2つだけ。一粒真珠と見出し写真の黄色のバラのものだけです。

 まだ20代になる前の私に、「娘が嫁に行ったら、ピアスの穴をあけてピアスをするわ。」と話してくれた50代のご夫人がいました。田舎町の病院の奥さんでした。その数年後、お嬢さんは他所の町のお医者さんに嫁ぎました。その後にお会いしたかのご夫人、にんまりと笑って、ピアスを指差します。田舎町でピアスなんてするのは、人目がうるさくて憚られた時代でした。母と同じ年代のこのご夫人の茶目っ気を微笑ましく思い出します。

 かくいう私は未だにピアスの穴を持ちません。ずっとイヤリング。この一年半、髪を伸ばしました。ズンズン伸びてくれました。今では背中の真ん中近くまで伸びています。50になる前から短くしましたから、10年ぶりの長い髪です。でも、暑い香港ですから、小さなお団子をうなじで作ってまとめています。顔の輪郭が少し寂しげに見えます。耳元に何かあるといいかな?と思い、イヤリングを引っ張り出してきました。この黄色のバラのイヤリング、見るにはいいのですが、今の私の顔には写りがよくありません。黄色い服なんて着た事がない私が、どうしてこんなイヤリングを買ったのやら、ピンクと黄色しかなかったので黄色を選んだように覚えています。バラの部分は陶器です。

 小さく垂れ下がるイヤリングを町に探しに出かけても、今の香港、イヤリングを探すのは一大事、何処に行ってもピアスばかりです。この歳になっても、ピアスを開ける勇気がありません。かのご夫人のような人目が云々という理由ではありません。痛そうですからね。プチンと開けるのはごめん被りたい。そう思いながら、ピアスのウィンドーを眺めます。小さなダイヤのピアス、今までは興味もなかったのに涼しげでいいなあと見入ります。

 服も靴も整理して、数少なくなったにもかかわらず、今の私はそれで充分満足。でも、時折、ちょいと欲しいものが顔を出します。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする