以前、EF58の牽引する「津軽」をアップしましたが、カテゴリが異なる関係で分離した、EF57牽引の「津軽」の写真をアップいたします。
「津軽」の記述については ↓↓↓ でご紹介しておりますので、興味のある方はこちらを!
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/498.html
EF57が走っていたのは昭和52年初頭くらいまでですので、私が写真を撮ることができたのはホンのわずかな期間だけでした。
精一杯撮ったつもりですが、如何せんリコーのオートハーフを使っていた時代で、ブレるは指が写っているわでお話になりません。しかし、私にとっては数少ないEF57の雄姿ですので、敢えてここで晒させていただきます。
昭和48年頃 東北本線 蕨~西川口間にて 上り「津軽1号」
サクラパックという特殊な激安カメラで撮った写真。でも、当時小学生が持てる精一杯のカメラでした。天気さえ良ければそれなりに写ったんですよ。
写真から推測して上りの「津軽1号」。EF57に続いて1両目がオユ10非冷房車、2両目がスハフ42、3両目???、4両目はスハネ16、5両目はスロ62、以下オロネ10、スハネ16・・・といった1号を象徴する編成。3両目の???は、どうも一般的な車両に見えません。スハフの次はB寝台車の筈ですが、車体幅が狭く雨どいの位置が座席車よりも低い。ひょっとしたスハネ30?かもしれません。
昭和51年頃 東北本線 蕨~西川口間にて 上り「津軽2号」
こちらは秋田回転車の無いマニ36の次がスロ62という、上り2号の典型的な編成です。
このオートハーフはシャッタースピードが遅く、しかもレンズシャッターなので、とにかくブレるんです。しかも、レンズ脇にシャッターボタンが付いた初期型のため、手の大きい私がシャッターを押すと、その指がレンズに掛かってしまうんですね。
そんなもんで、昭和40年代末期から昭和52年初頭くらいまではろくな写真が残っていないんです。
そんな状況を知ってもらうこともできず、一眼レフを買ってもらったころには、EF57は遠いお空に旅立って行ってしまいました。もう2年くらい走っていてくれればちゃんと撮ってあげられたのに・・・。
「津軽」の記述については ↓↓↓ でご紹介しておりますので、興味のある方はこちらを!
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/498.html
EF57が走っていたのは昭和52年初頭くらいまでですので、私が写真を撮ることができたのはホンのわずかな期間だけでした。
精一杯撮ったつもりですが、如何せんリコーのオートハーフを使っていた時代で、ブレるは指が写っているわでお話になりません。しかし、私にとっては数少ないEF57の雄姿ですので、敢えてここで晒させていただきます。
昭和48年頃 東北本線 蕨~西川口間にて 上り「津軽1号」
サクラパックという特殊な激安カメラで撮った写真。でも、当時小学生が持てる精一杯のカメラでした。天気さえ良ければそれなりに写ったんですよ。
写真から推測して上りの「津軽1号」。EF57に続いて1両目がオユ10非冷房車、2両目がスハフ42、3両目???、4両目はスハネ16、5両目はスロ62、以下オロネ10、スハネ16・・・といった1号を象徴する編成。3両目の???は、どうも一般的な車両に見えません。スハフの次はB寝台車の筈ですが、車体幅が狭く雨どいの位置が座席車よりも低い。ひょっとしたスハネ30?かもしれません。
昭和51年頃 東北本線 蕨~西川口間にて 上り「津軽2号」
こちらは秋田回転車の無いマニ36の次がスロ62という、上り2号の典型的な編成です。
このオートハーフはシャッタースピードが遅く、しかもレンズシャッターなので、とにかくブレるんです。しかも、レンズ脇にシャッターボタンが付いた初期型のため、手の大きい私がシャッターを押すと、その指がレンズに掛かってしまうんですね。
そんなもんで、昭和40年代末期から昭和52年初頭くらいまではろくな写真が残っていないんです。
そんな状況を知ってもらうこともできず、一眼レフを買ってもらったころには、EF57は遠いお空に旅立って行ってしまいました。もう2年くらい走っていてくれればちゃんと撮ってあげられたのに・・・。