昨日の朝3:00に起きてから間もなく22時間。非常に疲れているので今日は1枚だけで勘弁してください。
今日は営団地下鉄(帝都高速度交通営団:現東京メトロ)で、千代田線で活躍していた頃の5000形の画像をご紹介いたします。
正直なところ、当時は地下鉄車両に全く興味がありませんでしたので、殆ど写真が残っていません。が、千代田線ではこの1枚だけ何故か撮ってありました。
フィルム現像をしたままプリントされず、そのまんま死蔵していたと言うにふさわしい状況から、25年の時を経てやっと陽の目を見ることになりました。
昭和56年5月 常磐緩行線 新松戸駅にて
東西線の末期の5000形をようやく撮りに行ったくらいで、本当にこの時期に地下鉄の写真を撮っているのは珍しいです。必ず何かのついでに撮っているので、この前後の写真を見ると、常磐線の451系「ときわ」やキハ58系「奥久慈」「ときわ」がありました。
現在でも5000形試作車が北綾瀬の支線で運転されていますが、現在ではその3両が最後の編成となってしまいました。千代田線・東西線と言えば5000形というフレーズも、遠い過去のものとなってしまうんですね。
綾瀬車庫の見学会の抽選が外れたため、腹いせに掲載させていただきました。クソ~。
今日は営団地下鉄(帝都高速度交通営団:現東京メトロ)で、千代田線で活躍していた頃の5000形の画像をご紹介いたします。
正直なところ、当時は地下鉄車両に全く興味がありませんでしたので、殆ど写真が残っていません。が、千代田線ではこの1枚だけ何故か撮ってありました。
フィルム現像をしたままプリントされず、そのまんま死蔵していたと言うにふさわしい状況から、25年の時を経てやっと陽の目を見ることになりました。
昭和56年5月 常磐緩行線 新松戸駅にて
東西線の末期の5000形をようやく撮りに行ったくらいで、本当にこの時期に地下鉄の写真を撮っているのは珍しいです。必ず何かのついでに撮っているので、この前後の写真を見ると、常磐線の451系「ときわ」やキハ58系「奥久慈」「ときわ」がありました。
現在でも5000形試作車が北綾瀬の支線で運転されていますが、現在ではその3両が最後の編成となってしまいました。千代田線・東西線と言えば5000形というフレーズも、遠い過去のものとなってしまうんですね。
綾瀬車庫の見学会の抽選が外れたため、腹いせに掲載させていただきました。クソ~。