さて、2本連続となりますが、鉄道ファンのためにやはり鉄ネタをアップしておきたいので、懐かしいところから「深名線」をお届けしたいと思います。
ご存知のとおり「深名線」は特定地方交通線が次々と廃止される中で、道路事情が悪かったために廃止が遅れていた最後の超ローカル線です。
現在では同線に沿って国道が併走し、バス転換による交通が確保されていますが、廃止されるまでは道路・バス路線が未整備であったため、冬期の交通確保ができないことから、廃止が遅れていました。その後、道路整備によりバス転換化の目途がついたため、1995年(平成7年)9月4日をもって廃止となっています。
北海道には過去11回も訪れていますが、鉄道が通っているとはいえ非常に不便な場所ですから、この撮影を合わせて2回しか訪れたことがありません。1回はマイカーで行ったと思いましたが、本数が非常に少ないため1本しか撮影できませんでした。
しかし、乗ったことが無いまま廃止されるのも悔しかったため、敢えて雪のある時期に決死の覚悟で訪れたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/f0/655b20e1156a6d93877e6ea4e3050f8c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/c7/9c8355074ca0d60f2bfef3817742809b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/96/3e69475877cec623a0b7f89f174d612c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4a/374c37b56308c47e6267f5cd01b0edaf.jpg)
いずれも平成2年3月12日 深名線 朱鞠内駅の前後にて
この辺り道央部は、全国でも屈指の極寒に地です。ひどい時には零下30℃以下くらいまで下がることがあるくらいですから、クルマでの移動すら危険な場所であります。3月とはいっても北海道では真冬の気候となりますので、名寄本線~深名線の撮影では相当な覚悟が必要となるわけです。
しかし、現地に行って驚きました。雨だったのです。一般的には、地表温度が4℃を下回わると雪になると言われていますので、まさかこの時期に雨に降られるとは思いませんでした。確かに、そんなに寒く感じなかったですね。撮影を続けているうちに雪に変わり、逆に何かホッとした感じがしました。昭和55年・56年と同じくらいの時期に北海道を訪れたときには、このようなことは考えられないほど何処に行っても寒かったので、当時はあまり騒がれていませんでしたが、既に温暖化の影響がかなりあったのではないでしょうか。
朱鞠内を境界として、多少本数のある深川方面と、1日3往復しかない名寄方面は異なった表情があり、出来るだけ撮影に都合の良い時間帯を選定し、数時間の滞在で4カットの撮影をすることができました。雪が余り無かったので、除雪シーンを見ることが出来なかったのは残念でしたが・・・。
使用車両がいずれもキハ53500番代のみで変化が足りない気がしましたが、単行運転による暖房性能確保のためには止むを得ないのでしょう。
結果的には最初で最後のような感じで終わってしまった「深名線」の撮影。極寒の地に存在した超赤字ローカル線の事実は、日本各地にあった赤字ローカル線と共にいつまで語り継がれるのだろうか。そんなことを考えてしまいました。
ご存知のとおり「深名線」は特定地方交通線が次々と廃止される中で、道路事情が悪かったために廃止が遅れていた最後の超ローカル線です。
現在では同線に沿って国道が併走し、バス転換による交通が確保されていますが、廃止されるまでは道路・バス路線が未整備であったため、冬期の交通確保ができないことから、廃止が遅れていました。その後、道路整備によりバス転換化の目途がついたため、1995年(平成7年)9月4日をもって廃止となっています。
北海道には過去11回も訪れていますが、鉄道が通っているとはいえ非常に不便な場所ですから、この撮影を合わせて2回しか訪れたことがありません。1回はマイカーで行ったと思いましたが、本数が非常に少ないため1本しか撮影できませんでした。
しかし、乗ったことが無いまま廃止されるのも悔しかったため、敢えて雪のある時期に決死の覚悟で訪れたのです。
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いずれも平成2年3月12日 深名線 朱鞠内駅の前後にて
この辺り道央部は、全国でも屈指の極寒に地です。ひどい時には零下30℃以下くらいまで下がることがあるくらいですから、クルマでの移動すら危険な場所であります。3月とはいっても北海道では真冬の気候となりますので、名寄本線~深名線の撮影では相当な覚悟が必要となるわけです。
しかし、現地に行って驚きました。雨だったのです。一般的には、地表温度が4℃を下回わると雪になると言われていますので、まさかこの時期に雨に降られるとは思いませんでした。確かに、そんなに寒く感じなかったですね。撮影を続けているうちに雪に変わり、逆に何かホッとした感じがしました。昭和55年・56年と同じくらいの時期に北海道を訪れたときには、このようなことは考えられないほど何処に行っても寒かったので、当時はあまり騒がれていませんでしたが、既に温暖化の影響がかなりあったのではないでしょうか。
朱鞠内を境界として、多少本数のある深川方面と、1日3往復しかない名寄方面は異なった表情があり、出来るだけ撮影に都合の良い時間帯を選定し、数時間の滞在で4カットの撮影をすることができました。雪が余り無かったので、除雪シーンを見ることが出来なかったのは残念でしたが・・・。
使用車両がいずれもキハ53500番代のみで変化が足りない気がしましたが、単行運転による暖房性能確保のためには止むを得ないのでしょう。
結果的には最初で最後のような感じで終わってしまった「深名線」の撮影。極寒の地に存在した超赤字ローカル線の事実は、日本各地にあった赤字ローカル線と共にいつまで語り継がれるのだろうか。そんなことを考えてしまいました。