こんばんわ。
予告のとおり、憧れの車輌たち第14弾として「EF5861:イベント篇」をお届けいたします。
昔からお召列車を本業とする同機は、定期スジに入ることは滅多になく、おそらく他の同型よりも走行距離数も少ないのではないでしょうか?そのあたりも、現在も現役でいられる要因の一つではないかと考えます。然るに、イベントやサロンの牽引など、スペシャルステージでしかお目にかかれないところが難点でもあるわけですが。
空前のEF58ブームがありましたが、ちょうど旧型国電の終焉と重なったこともあり、ご他聞にもれず私もEF58を追った時代がありました。特に61号機の情報については事前に公表されることが多かったため、比較的追う事が容易だった言えるかもしれません。
私は、「イベント」で設定されたものにあまり食指を示しません。お祭りもよろしいですが、異常なまでに増殖するファンと地元のにわかファンで沿線が埋め尽くされ、本来の景色ではなくなってしまうのがどうしても好きになれないからです。それでも、SLとこの61号機だけは、そんなときでも私を導く特別な存在だったのかもしれません。
あまり数的にはありませんが、彼の晴れ姿をご覧ください。
昭和56年7月26日 東海道本線 戸塚~横浜 上り臨時特急「つばめ」
リバイバル列車の先駆けとなった列車です。客車にも一工夫欲しかったところですが、旧型客車では性能的にも肉体的(?)にもキツかったでしょうね。
昭和58年7月24日 東海道本線 戸塚~横浜 上り臨時特急「平和」
前年の7月には、「つばめ」に引き続き「はと」が運転され、この年の「平和」は第3弾となりました。(「はと」のときは撮影に行っていない様です。)
このとき例年と同じく14系を使用しましたが、食堂車2両の他に、スハフ14やオハフ15を何両も連結した、マルで寄せ集めの編成の様でした。ヘッドマークが客車の色とマッチしており、列車としては好印象でありました。
昭和60年7月7日 東大宮操車場にて イベント列車&撮影会
私が直接参加した唯一の定員制撮影会です。上野からお召塗装のEF8181+EF5889が重連で旧型客車を牽き、常磐・武蔵野貨物経由で東大宮操車場へ行くという、当時ではファン垂涎のイベントでした。会場では、EF8181+EF5889やEF5861+EF5889、そして各機の並び、スハネフ14のテールマークの回しなどが行われました。運よく当たったので、友人と参加した次第です。
昭和63年12月23日 東北本線 西川口~蕨 D51498+FE5861牽引「オリエント急行}
D51498の復活記念運転で、上野~高崎間をEF5861の補機付で運転されました。このように、普段の運転ではトップスターである61号機も、時に脇役に回ることもありました。
昭和63年12月24日 高崎線 撮影区間不詳 FE5861牽引「オリエント急行}
上の写真の列車の返し運転です。撮影場所がなかなか見つからなくて、線路際に張り付いて準備を始めていたら来てしまい、慌てて撮った写真です。パンタは切れるは、編成は切れるは・・・。自分でもあきれてします。
今も活躍している同機ですが、車齢からしてもいつまで持つのか、予断を許さないと思います。細々とで構わないので、末永い活躍を願います。
予告のとおり、憧れの車輌たち第14弾として「EF5861:イベント篇」をお届けいたします。
昔からお召列車を本業とする同機は、定期スジに入ることは滅多になく、おそらく他の同型よりも走行距離数も少ないのではないでしょうか?そのあたりも、現在も現役でいられる要因の一つではないかと考えます。然るに、イベントやサロンの牽引など、スペシャルステージでしかお目にかかれないところが難点でもあるわけですが。
空前のEF58ブームがありましたが、ちょうど旧型国電の終焉と重なったこともあり、ご他聞にもれず私もEF58を追った時代がありました。特に61号機の情報については事前に公表されることが多かったため、比較的追う事が容易だった言えるかもしれません。
私は、「イベント」で設定されたものにあまり食指を示しません。お祭りもよろしいですが、異常なまでに増殖するファンと地元のにわかファンで沿線が埋め尽くされ、本来の景色ではなくなってしまうのがどうしても好きになれないからです。それでも、SLとこの61号機だけは、そんなときでも私を導く特別な存在だったのかもしれません。
あまり数的にはありませんが、彼の晴れ姿をご覧ください。
昭和56年7月26日 東海道本線 戸塚~横浜 上り臨時特急「つばめ」
リバイバル列車の先駆けとなった列車です。客車にも一工夫欲しかったところですが、旧型客車では性能的にも肉体的(?)にもキツかったでしょうね。
昭和58年7月24日 東海道本線 戸塚~横浜 上り臨時特急「平和」
前年の7月には、「つばめ」に引き続き「はと」が運転され、この年の「平和」は第3弾となりました。(「はと」のときは撮影に行っていない様です。)
このとき例年と同じく14系を使用しましたが、食堂車2両の他に、スハフ14やオハフ15を何両も連結した、マルで寄せ集めの編成の様でした。ヘッドマークが客車の色とマッチしており、列車としては好印象でありました。
昭和60年7月7日 東大宮操車場にて イベント列車&撮影会
私が直接参加した唯一の定員制撮影会です。上野からお召塗装のEF8181+EF5889が重連で旧型客車を牽き、常磐・武蔵野貨物経由で東大宮操車場へ行くという、当時ではファン垂涎のイベントでした。会場では、EF8181+EF5889やEF5861+EF5889、そして各機の並び、スハネフ14のテールマークの回しなどが行われました。運よく当たったので、友人と参加した次第です。
昭和63年12月23日 東北本線 西川口~蕨 D51498+FE5861牽引「オリエント急行}
D51498の復活記念運転で、上野~高崎間をEF5861の補機付で運転されました。このように、普段の運転ではトップスターである61号機も、時に脇役に回ることもありました。
昭和63年12月24日 高崎線 撮影区間不詳 FE5861牽引「オリエント急行}
上の写真の列車の返し運転です。撮影場所がなかなか見つからなくて、線路際に張り付いて準備を始めていたら来てしまい、慌てて撮った写真です。パンタは切れるは、編成は切れるは・・・。自分でもあきれてします。
今も活躍している同機ですが、車齢からしてもいつまで持つのか、予断を許さないと思います。細々とで構わないので、末永い活躍を願います。