こんばんわ。
毎月恒例の鉄道雑誌発売週間となりましたが、気になる情報として東北線仙台を中心とする車輌置き換えに関するニュースが飛び込んでまいりました。何が気になるのかといいますと、私の母親の実家が東北ですので、何かとこの455系急行に乗る機会が多かったからに他なりません。「憧れ」と言うほどのものでなくて、実用的にこの車輌に乗車していましたし、デザイン的にも湘南色と違って「田舎に帰る長距離急行列車」のイメージがあり、愛着があったと言うことだと思います。
そんな彼らが、新車の投入により平成19年度中には姿を消してしまうというものです。おそらく、19年度中と言っても、置き換えに必要な車輌がそんなに多いものではありませんので、19年度も早いうちだろうということは想像に難くありません。
彼らの記録はあまり多くはありませんが、惜別の意をこめてその活躍のシーンをアップいたします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/02/203093074b9e2b881ae1c661a8e1867e.jpg)
昭和56年1月5日 東北本線 白坂~豊原 上り急行「まつしま・ばんだい」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/c5/39c342bf2e04471395baa2935d1149a0.jpg)
昭和56年1月5日 東北本線 豊原~白坂 下り急行「まつしま・ばんだい」
この頃は既にビュッフェの連結は無く、グリーン車の帯も消されてしまっています。急行列車の風格が落ちてしまった頃でもありましたが、それでも堂々12両を連ねて走る姿は、現在の特急よりも重みがあって見えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/63/205a8a0970c46da48c7f7bec318154d4.jpg)
昭和57年3月21日 磐越西線 磐梯町~翁島 上り急行「ばんだい」
日中線を訪れた帰りに寄った初めての磐越西線での撮影。当時はこの線も特急「あいづ」急行「ばんだい」「いいで」「あがの」「いなわしろ」など多数の優等列車運転されていました。身軽な6両編成の急行「ばんだい」も、郡山から「まつしま」「あずま」「いわて」などと併結され、12両になって上野を目指しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/e0/085f69fa2887cc7946f432a9e149c155.jpg)
平成12年7月7日 磐越西線 広田~東長原 仙山色455系
東北新幹線の上野開業により急行運用が無くなった同系は仙台・福島・郡山を中心とした広範囲のローカル運用に着くようになりました。この塗色は本来仙山線用のものでしたが、銀色の電車の投入により仙台地区から追われ、磐越西線にまで姿を見せるようになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/8f/58742611f34ef1665ccc301fc3460fca.jpg)
平成12年2月6日 磐越西線 広田~東長原 磐西色455系
お馴染み磐越西線色の455系です。私個人的にはオリジナル塗装の方が好きですので、これはいただけません。しかし、同系にとっては、地味な普通列車の運用でも華やかに生きたいという主張だったのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/7a/37238f8a582eea89da351ae2ea8129aa.jpg)
昭和62年3月28日 東北本線 東大宮~蓮田 717系回送
生まれ変わった同僚717系を間に挟み回送するシーン。
「サロンなにわ」だかが関東を通過するという某誌の発表を受けて大勢のファンが待ち構えていたのですが、その時間にピッタリ来たのが彼らでした。その時はガッカリしましたが、今となっては貴重なシーンです。
今月は奇しくもRM誌とピクトリアル誌で455系が取り上げられており、資料的にも絵的にも満足が得られると思いますが、個人的な思いもありましたので、敢えて駄作をアップさせていただきました。
また、455系の他に、417系や717系までもがその運命をともにするということです。このことは個人的に大変残念なことではありますが、165系すら全廃になって久しいくらいですから、ある意味ここまで良く頑張ってきたと労いたい気持ちでいっぱいです。
毎月恒例の鉄道雑誌発売週間となりましたが、気になる情報として東北線仙台を中心とする車輌置き換えに関するニュースが飛び込んでまいりました。何が気になるのかといいますと、私の母親の実家が東北ですので、何かとこの455系急行に乗る機会が多かったからに他なりません。「憧れ」と言うほどのものでなくて、実用的にこの車輌に乗車していましたし、デザイン的にも湘南色と違って「田舎に帰る長距離急行列車」のイメージがあり、愛着があったと言うことだと思います。
そんな彼らが、新車の投入により平成19年度中には姿を消してしまうというものです。おそらく、19年度中と言っても、置き換えに必要な車輌がそんなに多いものではありませんので、19年度も早いうちだろうということは想像に難くありません。
彼らの記録はあまり多くはありませんが、惜別の意をこめてその活躍のシーンをアップいたします。
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昭和56年1月5日 東北本線 白坂~豊原 上り急行「まつしま・ばんだい」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/c5/39c342bf2e04471395baa2935d1149a0.jpg)
昭和56年1月5日 東北本線 豊原~白坂 下り急行「まつしま・ばんだい」
この頃は既にビュッフェの連結は無く、グリーン車の帯も消されてしまっています。急行列車の風格が落ちてしまった頃でもありましたが、それでも堂々12両を連ねて走る姿は、現在の特急よりも重みがあって見えました。
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昭和57年3月21日 磐越西線 磐梯町~翁島 上り急行「ばんだい」
日中線を訪れた帰りに寄った初めての磐越西線での撮影。当時はこの線も特急「あいづ」急行「ばんだい」「いいで」「あがの」「いなわしろ」など多数の優等列車運転されていました。身軽な6両編成の急行「ばんだい」も、郡山から「まつしま」「あずま」「いわて」などと併結され、12両になって上野を目指しました。
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平成12年7月7日 磐越西線 広田~東長原 仙山色455系
東北新幹線の上野開業により急行運用が無くなった同系は仙台・福島・郡山を中心とした広範囲のローカル運用に着くようになりました。この塗色は本来仙山線用のものでしたが、銀色の電車の投入により仙台地区から追われ、磐越西線にまで姿を見せるようになりました。
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平成12年2月6日 磐越西線 広田~東長原 磐西色455系
お馴染み磐越西線色の455系です。私個人的にはオリジナル塗装の方が好きですので、これはいただけません。しかし、同系にとっては、地味な普通列車の運用でも華やかに生きたいという主張だったのかもしれません。
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昭和62年3月28日 東北本線 東大宮~蓮田 717系回送
生まれ変わった同僚717系を間に挟み回送するシーン。
「サロンなにわ」だかが関東を通過するという某誌の発表を受けて大勢のファンが待ち構えていたのですが、その時間にピッタリ来たのが彼らでした。その時はガッカリしましたが、今となっては貴重なシーンです。
今月は奇しくもRM誌とピクトリアル誌で455系が取り上げられており、資料的にも絵的にも満足が得られると思いますが、個人的な思いもありましたので、敢えて駄作をアップさせていただきました。
また、455系の他に、417系や717系までもがその運命をともにするということです。このことは個人的に大変残念なことではありますが、165系すら全廃になって久しいくらいですから、ある意味ここまで良く頑張ってきたと労いたい気持ちでいっぱいです。