ママ、ママ、どうしてママは、喜んでくれないの?
ボクがこんなに一生懸命しているのに、ママはどうして誉めてくれないの?
ボクは、もう疲れたよ。これ以上、頑張れないよ。
ママ、ママ、こっちを向いて。
ママ、どこにいるの? どうして、消えて行くの? そこにいるのは、ママじゃないの?
ママ、返事をして。
でも、ボクはひとりぼっちじゃない。ポチがいるしね。
こいつは、ボクがいないと、なんにも出来ないんだよ。
だから、毎日、ポチのために、ボクが生きていないとだめなんだ。
ボチとボクはね、話ができるんだ。犬と人間でも、わかりあえるんだ。
飼い主と飼い犬の関係を超えて、男同士の友情みたいなものだって、感じあえるんだ。
でもそう思ってるのは、ボクだけかもしれないね。
ポチは、犬だもん。
ママは、遠いところに行ってしまったの?
もう、帰ってこないの?
ボクがどんなに頑張っても、もう、ママの笑顔は見れないの?
ママ、ボクはどうすればいいの?
パパに聞いてみたんだよ。
ママはどこ? ボクのママはどこ?
パパは、哀しそうな顔でボクに言ったんだ。
ママは、もういないって。
・・・・・・・・
パパもポチも、ロボットなんだ。
だから故障すれば、修理すると元通り。
ママは、人間だったの? それともロボットだったの?
人間は、心臓が動いて生きている。血が流れ、痛みを感じる。
自分で考え、自分で動く。
ボク一人が、人間?
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フィクションです。
わたしが幼稚園の頃、一度だけ、
母が大きめの鞄を持って、プラットホームに立ち、特急電車に乗って、遠いところに行ってしまう夢を見ました。
わたしがイメージして描く母性と、実際の母は、かなり違っていましたが
「よそのお母さんは、もっと優しくて・・・こーで、あーで・・・」と不平を言うと
母は、「ええかげんに、し。これぐらいで、良しと、し。高望みしても、あかん」
と、わたしを諭しました。わはは。ですね。
幼い少年が、ママを愛し、ママから愛されることを追い求める姿を想像すると
なぜだが涙が溢れ出るのです。
不思議ですね。