わたしは、ビンボー・テイストが身にしみついて抜けず、困っている。
たとえば・・・
タクシー。
バスがない早朝や深夜、
やたら急ぐとき、
場所が、さっぱりわからないとき、
雨のとき(特にカサを持っていないとき)、
荷物が重い、大きいとき、
足が痛い、体調が悪いとき、
こんなときぐらいしか、利用しない。
急ぎもしない、時間もたっぷり、体も調子いい、さわやかお天気なんてときには
タクシーの運転手さんには悪いけれど、死んでも乗らない。
が、夫は違う。
前にも書いたが、
時間があっても、近くに駅はあるが、乗り換えが面倒なので、遠くの駅まで往復タクシー。
日頃、あくせく働いているから、一種の息抜き、リラグゼーションかも知れないが。
女性のスパやエステみたいなもの?
義母も、都心からの帰路、1時間半以上タクシーに乗ったりすることもある。
イベント疲れや、地下鉄や人ゴミがイヤなんだろうけれど・・・・。
わたしは、ビンボー・カラーで全身全霊、彩られているので、そういうのは、どうも抵抗がある。
瀕死の重症のときぐらいしか、乗りそうもない。
結婚当初は、夫が記念日に、豪華絢爛、大きな花束を抱えて帰ってきたりもした。
わたしが「ありがとう。でも、こんなに、ごたいそうなお花は、いいわ」
と、辞退しているので、今は買ってまでは持ち帰らない。
上記2つの要素、要因を組み合わせるとしましょう。
わたしの誕生日に、もし、娘が、学生の身分(経済的に親に養ってもらっている)で、
タクシーに乗って、大きな花を抱えて帰ってきたら、わたしなら、どう表現するかなあ。
「パパとママ、おばあちゃんたちにもらったお小遣いと、バイトで稼いだお金を、せっせと貯めたのよ」
と娘が頬を紅潮させて言ったとしたら・・・。
「ありがとう。感激・・・」
と、なるだろう。
あ、ちなみに、うちは、パパ、ママではなく、オトン、と、オカン、です。→嘘です。
そんなに頑張って貯めたお金を使ってくれて、うれしいわぁ・・・
と、目を細めるに違いない。
お小遣いや、バイトの給料をどう使おうが本人の自由意思。
でも、うちの子供たちは、そういう行動パターンはとらないだろう。(単に、主義、嗜好の問題)
「職場などのまわりの人達を見ていると、実に無駄が多く、エコ精神に反する行為が目につくわ。
おかあさんのせいで、わたしは、生きにくい」と、娘Rに言われた。
子供たちにも、ビンボー・コンセプトを伝承してしまっている感があり、非常に反省している。
わたしって、「夢多きモラトリアム人」なんて、いいながら、なんて、夢のない人なんだろう。
夢よ、子供たちに、きらきらと、降り注ぎ給え。
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いまさら言っても、遅いですが。