今日こそやめようと思いつつ、またもや入力体制に入る、わたし。
そもそも、この世界。
20年以上前からチョコマカやっているので、趣味というか、ライフワークのようになってしまっている。
インターネットが普及する前は、パソコン通信といって、一部のマニアックな人々が
地味にゴソゴソやっていた。
主に、コンピューター関係や、機械関係の理系の人々と、
文章関係の文系の人々が、パソコン、またはワープロ(なつかしい響き!!)を通して、つながっていた。
以前、わたしが勤めていた会社の、とある社員T氏が、
なにやら、大それた超・極秘トップシークレットでもあるかのように、こう言ったのを思い出す。
「大きな声では言えませんが、いまに、スゴイことが起きます。
それは、インターネットです。世界中が、つながるんです」
ふーーん、そうなの・・・。へぇ~。
わたしは、ぼんやり、彼の神妙な顔を見ていた。
彼は、眉間にシワを寄せて、いかにも、という面持ちだったが、でも、得意げな顔にも見えた。
その彼は、もともとは、新聞記者だったのだが、
わたしの以前いた会社に入ったものの、
ちょっと毛色が違うためか、左遷されて、まるで畑違いの部署にまわされた。
「こいつは、ビンボーな家庭に育ってなあ・・・」
と、社内の兄貴分の先輩S氏にいつも、からかわれていた。
「オトコは、オシャレに気を使わないとだめです」
と、雑誌などで、情報を取り入れ、熱心に研究していたT氏。
その後、福岡に飛んでしまったけれど、今頃どうしてるだろう?
当時、うちのパソコンは、モノクロで、(価格も、ごくフツーのものなのに、なんと50万円を超えていた)
ややこしい英数字を、長々とパチパチ打ち込んでいかなければならなかった。
いまみたいに、アイコンやら、わかりやすいマーク(?)やらをドラッグするだけなんて、夢のよう。
送信された圧縮ファイルを解凍するやり方を、長々と教わったり、
純正・文系のわたしは、けっこう手こずっていた。
夫は、三日三晩、パソコンの電源をつけっぱなして、夜を徹してゲームに熱中していた。
寝ている時に、わたしが電源を切ろうとすると、怒った。
仕事もあるのに、若かった。
わたしは、はじめて、メールをもらったのが、香港の15歳の男の子だった。
チャットも夜通し、なんてこともザラ。
やっぱり、若かったんだ。
それも、むかし。
いまでは、なつかしい思い出となった。