蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ナノ・サイズの静観

2010-12-07 | わたし

昨日の「トルストイには、なれない?」わたしとしては、とてもお気に入り。

あーだ、こーだ、と言ってもね、現実は、現実。

むかし、父が、「おかあちゃんと離婚したい」って、ずっと言っていたけれど、
結局は離婚せずに、母より先に逝ってしまった。

トルストイのように、あの時代で82歳まで生きたこともすごいけれど、
やっとの思いで家出したものの、たったの1週間で亡くなってしまうなんて。
死ぬまでにやりたかったことが、ぎりぎりセーフで間に合ったということ。
それはそれで、よかったね、ってことですね。

12人(13人?)も子どもを作った妻を捨てるなんて・・・世間体が悪い?

世間体って、なに?

家族を捨てても、1週間後には亡くなっているのなら、「捨てた」と、言えるのだろうか。

捨てられた側に経済力がないと、わびしく、うち捨てられ、施設に収容されるのだろうけれど。

あんな、気難しいジイサン、出て行って、ああ、せいせいしたわ、
なんて、奥さんや子どもたちは思っているかも知れないし。

ジイサン側の立場で見るのか、バアサン側の立場で見るのかで、ものの見方は大きく変わる。


歴史や人物像は、光の当て方によって、かなり違う。
それがまた、おもしろいところなのだろうけれど。

ものごとの捉え方もそう。
表裏一体。光と影。
写実と、こころの目。

いろいろ解釈は様々あって、「これが答えだ、これ以外に答えはない」
という明確・明瞭・はっきり、きっちりは、ない。


わたしみたいに、ぐずぐず、うじうじ、のろのろ、
おなじところを何度もぐるぐる回っているような人間には
そういうのって、ありがたいような、ありがたくないような。

数学や、物理、化学のように、ひとつの数値でも間違えると、ストップして立ちゆかないほうが
ハッキリしていて、気持ちいいかも。

「数学は、書道や音楽とも、共通点がある。」
そう言ったひとがいる。
半永劫的に続く数字が、書道の大胆な筆払い、音楽の歯切れのよさや、リズム感と、つながるそうな。
とても意外な気がして、斬新な組み合わせに、わたしの小さな脳ミソが、きゅきゅっと喜んだ。


芸術家と結婚するひとって、たいへんだろうなあ。
芸術と生活は、同時進行できるものなのだろうか?
スイッチをオフにしたり、オンにしたり。
シーンごとに、使い分けるんだろうか。

芸術家でもなんでもない、超・凡人のわたし。
わたしのナノ・サイズの脳ミソでは、とてもそんな曲芸師的芸当はできない。

せいぜい、食べて、寝て、食べて、
繰り返される当たり前の日常に、麻痺せず、感謝するぐらいだ。

それがナノ脳には、難しかったりするのだが。

 

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