寒い二人
昨夜は、寒かった。この冬一番の冷え込み。
夫は、薄着で、「寒い寒い」の連発。
ほんとうに薄着。
10月ぐらいの格好。半袖の下着に、薄い長袖ポロシャツ一枚。
そりゃ寒いわな。
床暖房は、ガスでお湯を温めるタイプのもので、時間が経つと、ふく射熱で結構室内も暖かくなる。
まして、床暖房の床に直接ごろりと横になると、床はぽかぽか。
底冷えがする、ってことはない。
それに、昨夜はおでんを煮込んでいたので、室内も暖まっていた。
上に何かをはおればいいだけだ。
わたしは、しっかり着こみ、寒さを感じなかった。
(ひとり夜更かししていると、深夜はしんしんと、さすがに肩や背中あたりが、寒かったが)
懲りない二人
夫は、「寒い寒い」、「さむっ」、「さぶ~」、「さむさむ」、「寒いな~」
これを幾度となく繰り返していた。
冬用の服を着るなり、なんなりとすればいいのに、聞えよがしに、呪文のように唱える。
わたしは、ほっておいた。
自分で、着るものぐらい取ってきて、着たらいい。
それでも寒ければ、ハーフ・ブランケットなり、エアコンをつけるなり、対応すればいい。
昨夜も、シューズ・クロゼットの電灯は、つけっぱなし。
2階の寝室の電灯も、つけっぱなし。
トイレの電灯もつけっぱなしのことが多い。
いつもわたしが、消している。
外出用のバッグを使ったら、出しっぱなし。一度も、しまったことはない。
モノは絶対に、片づけない。
ベッドの横には、先週、酔っ払って裏返しに脱ぎ捨てたままのズボンとシャツが、そのまま。
教育的指導から、わたしはあえて、ほっている。
が、敵は、意地になっているのか、片付けようとしない。
「○○さんの奥さんは、ゴルフの用意を全部してくれる。いいな~」
「△△さんの嫁さんは、旅行の用意は、嫁さんがみんなするんだって」
と、羨ましがる夫。
「ふ~~ん、そう(それが、どうした)」
最近は、返事もしない、悪妻ぶり。
にらみ合いが続く。
折れない二人
ある奥さんは、15年かけて、ご主人を躾けたという。
熱心な教育の成果あり、で、いまでは何でも出来るようになったらしい。
わたしは、教育を怠ったせいで、ぼやくか、ふてくされるか、マイナー構えの冷戦状況。
自分が悪いとは思うのだが。
自責の念、プラス、腹が立つのと、やりきれない想い、
これから一生こんな生活かと思うと、暗雲どころか、ブルーを通り越して、真っ暗、真っ黒な気持ち。
夫も、こんな悪妻で、嘆いていることだろうけれど、
自分の身の回りのことぐらいは、自分でしなさいよ。
末期症状にさしかかり、わたしは自分のことを悪妻だと、もう思わなくなってきている。
高齢のお年寄り世代は、旧い夫婦像が身についているだろうけれど、
このご時世、そんな価値観をふりかざして、打ち捨てられている旦那様方の話をよく耳にする。
妻に三行半を突きつけられて、離婚される旧い男たちだ。
勇気のない二人
「断捨離」という概念があるらしい。
大量にあふれるモノを捨てられないで、落ち込んでいる人が、
使わない、必要ないモノを一気に捨てることにより
前の自分とも決別し、新しい自分を構築する喜びを見出すとか。
昨夜のNHKテレビの「クローズアップ現代」で、その内容を取りあげ、放映していたけれど、
これは、「モノ」だけでなく、「人」にも言えることだ。
目の前に迫る、年末の大そうじも大事だが、
思い切った「人生の大そうじ」に、取り組む勇気はあるだろうか。