蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ドロドロ沼から、サヨウナラ。

2011-07-28 | 人生

いつも、お邪魔している中西アメリカ在住のある方のブログ。
毎回、更新の度に見させていただいているのだが、
わたしは、読み逃げ常習犯で、コメントはめったに、つけない。

でも、今日は、「仮面夫婦」というタイトルと内容に、脳と指が反応して、
コメントをつけさせていただいた。

我が家も、仮面夫婦と、娘たちに、よく言われる。
なにか家の大事なイベントがあると、その役割を我々夫婦が力を合わせて
大きな失敗もせず、やり遂げた後には、娘に褒められる。

「まるで、仲のいい、協力体制ばっちり、息の合った夫婦みたいやなあ」と。

日ごろ、夫婦を真面目にやっていないので、イベントの時は、帳じり合わせをするかのごとく、
たいていは、つつがなく、こなしているので、いちいち、褒められることもないのだが。

これは、一種の仮面夫婦?
あるいは、メリハリ夫婦?
はたまた、手抜き夫婦?
それとも、イベント夫婦?


夫婦関係において、
夫が浮気をしても、自分が悪い、と自責の念にかられる妻。
これでは、夫の思う壺だと、その中西米ブロガーさんは、おっしゃる。
わたしが前に、よくお邪魔していた別のブログでは、
夫に浮気された妻には、「夫や相手の女性が悪い」と思わせるように、いつも指導されている。

なぜ、自分のことを省みず、自分を正当化して相手ばかりを攻めるのか
わたしは、まったく腑に落ちなかった。
が、妻が反省したら、夫の勝ち・・・・と、別の見方。
とても、新鮮な角度からの意見だった。

どちらが正しいわけでも間違っているわけでもないだろうし、
自分に合った方法で夫婦問題を対処、改善されたらよろしいかと思うが。

ただ、ドロドロは、ほとんどお金で解決できるとのご指摘。
なるほど。
それはわたしが感じることと同じ。

どんな精神的立ち直り法であろうが、要は、お金があれば、強い。

中西米の彼女は、最善の努力をした後、改善されず、どうにもならなかったら、
その時は執着せず、新しいパートナーを探す、と、おっしゃる。
その潔さ。
わたしに備わっていない、パワーのひとつだ。

でも、考え方や、努力の仕方、意識の仕方で、自分の人生は切り開けるように思う。
じゃあ、お金がなかったら?
生活のために、ドロドロの渦の中から出られない。

お金にも、生活にもレベル、ランクがあり、どの程度のお金があると幸福感が感じられるか。
今の生活レベルを維持するには、そのレベルが高ければ高いほど、大変。

たいして、お金をかけずとも不満なく生活できるには、強いポリシーというか、精神力が必要だ。
「こうすれば、一攫千金のユメが叶います」という、
詐欺まがいの怪しげな商売への手引きみたいなものを多く見かけるが、
逆に、「こうすると、お金がさほどなくても幸せになれます」なんていう広告はない。
あるとすると、これまた怪しげな宗教への勧誘。

書店には、イギリス式暮らし方だの、年間200万円での幸福な生活方法だの、
いろんな本が売られている。
それは、宗教でもなければ、うさんくさい商売でもない。
「株やFXでの儲け方」なんていうのもあるが、わけのわからない宗教よりはマシかも知れない。
おこづかい範囲内で、楽しむ分には、どうぞ、ご自由に。
生活水準を高めようとして、破綻しては、まさに本末転倒。

お金がないから幸せになれない?
必要なお金の額と、幸せ感の基準が、人によって、かなりの差がある。
最低限度、生活できるだけのお金(衣食住プラス医療・介護)では、幸せと感じないとすると、
いくらプラスされると、幸せと感じるのか?
そのプラスアルファこそ、ひとによって、まちまち。
分野によって金額が大きく変わる。

家庭菜園が趣味だとすると、安く借りられるミニミニ農園で、旬の野菜を作り、味わう。
そんなに膨大なお金はかからないし、野菜の収穫というオマケまでついてくる。

ただ、野菜作りなどは苦痛でしかない人にとっては、娯楽でもなんでもない。
ああ、難しい。

贅沢って、なに?
自分のしたいことが、何の障害もジャマもなく、どんどんできること?
理想を追究すれば、キリがない。

いったん、お金から離れることじゃないかなあ。
執着を断ち切ると、お金への執着心もなくなる。
お金では換えることができない、ごく普通の当たり前のことを、幸せと感じられる、
そんな穏やかな日、穏やかな時間が、幸せなんだろう。


話が、どんどん逸れている。
仮面夫婦や、離婚できない夫婦の話でしたね。

最善を尽くして、それからのことは、それから考えて対処すればいいのでは?
まずは、最善を尽くすこと。
そうすると、道が開けるような気がする。
ドロドロから、ちょとマシな泥濘(ぬかるみ)になり、やがて、からりと乾く日を夢見て、
とりあえずは、まず、目標を定めて、それに向かって方法を考え、努力すること。
闇雲(やみくも)は、合理的でないので、
アタマや情報を使ったほうが、はやく目標地点にたどり着くように思う。

そうか・・・
じゃあ、さっそく、わたしも、そういう方向で、
いつ、そんな事態が訪れても、
執着心のない、すかっと爽やかなサヨウナラができるよう、頑張ってみよう。

まだまだ、人生のお日様は沈んでいない。

 

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それよりも、なによりも、安泰な日々を送ることができること、
それを支えてくれる人々への感謝が、第一ですね。