例の浅はかなオンナ、またもや、浅はかな発言をしていた。
ダンスレッスンの更衣室で、昨日、同室した。
わたしの、真横にいる、このお方。
お互い、水曜日のT教室で顔を合わせたのに、しらんぷり。
背を向けたまま、無言で着替える。
あんたが、挨拶しないんだったら、わたしも、せんわい。
お互い、見て見ぬフリ。
他の人も、がやがやとおしゃべりしたり、賑わいの更衣室だ。
「わたし、もう、オッちゃんとのダンスでは、満足できひんわ」
と、彼女。
誰に言ったのか、知らないが、べつに誰も言葉としてのリアクションはない。
わたしは、皆さんにおしりを向けて壁面に向かっているので、皆さんの様子はわからないけれど、
その場にいた人は、おそらく顔の表情で、あら、そうなの~、みたいな受け流しをされているのだろう。
またまた、言うとる・・・。
この高ビー女史。
「だから、わたしは、(雑魚の)みんなと違って、個人レッスンを受けているのよ。ツンっっっ」
次に続く、そんな彼女のこころの声が聞こえてきそうだった。
あんたのダンスは、オッちゃん相手だと満足いかないんだったら、誰とだったら、満足いく?
バリバリの先生となら、そりゃあ、先生はお上手だから、うまく踊らせてくださる。
で、彼女が先生と踊っているときの、あの顔・・・
言っちゃなんですが、バランスとれてなくて、へんなんですけど。
だってぇ・・・ダンスには軽さがないのに、顔だけ、陶酔顔。
この顔が、高慢ちきで、高飛車なお人柄を、実によく表している。
先生と踊っているときだけが、ほんとうのわたしなのよ。
オッちゃんたちとのダンスは、レッスンの進行システム上、しかたなく踊っているだけ。
わたしは、別格なのよ。
ここらのオッちゃんとかと踊るようなランクの人物じゃないのよ。ツンっっっ
たぶん、間違った踊り方ではないんだろうけれど、優雅さのカケラもない。
やっぱり、ダンスにもその人のお人柄や心根、心情が出るんですかねえ。
芸術点は、ゼロです。
もう少し、技術をあげるか、醸成してしっとり馴染むか、
あるいは、枯れて余分なものを切り落とし、スッキリ踊るか、そうすると、少しはマシになるかも。
今なら、気持ちだけ高飛車で、ダンスが付いていってないかんじ。
これは、わたしの彼女への偏見に満ち満ちあふれたフィルターを通して見ているから。
3Dメガネみたいなやつ。
もしこれが、かんじいい人だなと、思っている人なら、少々ダンスがヘタでも、
まだまだ伸びしろが大きいので、これからが楽しみだ、とか、
荒削りだけど、いい感性持ってる、とか、
勝手に、いいように評価するんだろうなあ。
イロメガネって、こわい。
T教室で見かけた、もう一人のT教室の個人レッスンを受けている人にも、更衣室で会った。
「個人レッスン受けるの?」と聞かれた。
わたしのこと、見てないようで、見てるんだと思った。
(あたりまえ。あんな閉ざされた見渡せる空間で、数人しかいないんだから。
視力がよっぽど悪くない限り、認識できるはず)
で、ごくあっさりと、レッスン時間などを話して、会話のキャッチボールは端的に終わった。
悪い感情、まったくなし。
大げさでも、ヒソヒソでもない、情報交換。
これが、ふつーのコミュニケーションなんだろうと感じた。
第一印象からの先入観や、思い込みって、なかなか修正しにくいもの。
今後も、あの高ビー女史とは、平行線のまま、お話しすることなく
無視し続け合うのかしらん?
キライ・ビーム(キライという光線)は、なにかしらの言動で感じるものだろうから、
歩み寄らない限り、このままだろう。
同じような年頃で、同じようなダンスの進度、
目くそ鼻くそを笑う。
浅はかなオンナは、どこまでいっても、浅はかだ。