蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

七夕の、かなしい夜

2011-07-08 | 趣味

昨日は、七夕・社交ダンスパーティがあった。

通い始めて4ヶ月と少しの、レッスンが行われる、ホールで。
今回のダンスパーティは、そのホールが主催する、ダンスのお相手を探す趣旨のもの。
ぴったりのお相手が見つかれば、いっしょに練習したりして、
さらに発展を望むと、デモや競技大会に出たりするのだろう。
前々から、ホールの壁に貼ってあり、告知されていた。
オーナー・マダムも、アピールされていた。

そこのクラスメートに、ダンスがなかなか上達しないことを相談したら、
そのパーティに参加されてはいかが?と、アドバイスを受けていた。

ジムの日と重なるし、スケジュール上、結構、無理をしないといけない日時なので
どうしようかと迷っていた。

ジムに行く時間が過ぎ、もうジムには行けないんだから、パーティに行くしかない。

しかし、そんな、お相手(リーダー&パートナー)を探すような集まりには、
競技を目指すようなハイレベルの方ばかりではないかと、とても不安になった。
行きたくなくなった。
で、ホールに電話した。

「今日のパーティは、どんな方が来られるのですか?
わたしは、初心者ですが、場違いではありませんか?」

電話の向こうでは
「いえいえ、初心者の方で練習相手を探される方も来られますよ。
大丈夫ですから、来て下さい」

と、オーナー・マダムの、営業トークにまんまとひっかかり、
どんと背中を押されてしまった、わたし。

ひとりでも来場者が多ければいいのに決まってる。
「初心者の方はおられないので、居心地が悪いと思いますが、
それでもよければ、勇気を出して来て下さい」

なんて、言うはずがない。


で、自信もなく、渋々であったが、がんばって、行った。

なんのことはない。
マダムの嘘つき。
なにが、初心者も来られますよ、ですか。
もう~、あんな、嘘つき営業に引っかかるわたしも、わたし。

はじめは、一人ずつ、お誘いの声がかかって、踊る。(一本釣りみたいなもの)
男性は、自分が声をかけたものだから、
あんまり、すぐにダンスを中止するのも、よくないということで、とりあえずは、何曲かは踊る。
問題は、ずらりと男性・女性がそれぞれに列を作って(配給食糧をもらいに行くように)
ひとりずつ、ご対面~となり、踊る場面。
踊ると、列の一番うしろに、また並ぶ。
そうやって、いろんな人と踊る機会を設けてある。

わたしと踊った人たちは、明らかに、こいつ、ヘタ!!と感じたようだ。
感じるのは自由だが、大人なら、その胸のうちを相手に悟られないようにしていただきたい。
(→逆切れ)
明らかに、わたしの胸にグサグサくるような、はっきりとした態度。(悪い意味で)

そこでは、最初の人がいちばんマシで、一人一人、踊る度に、悪い方向に向かう。
(踊れば踊るほど、わたしのヘタさが、だんだん現れてくる)

一人の人と踊る場合は、ホールを一回りするのが、マナー。
なのに、4分の3しか回らなかったり、半分でやめたり。
ひどい人は、わたしがヘタで、足がもつれた途端、お辞儀をされて、はい、さようなら。
まだ、半分も踊ってないんですけど。
あなたは、試験官なの?

さすがに、それには、わたしは参り、椅子に置いていたわたしのバッグをがしっとつかみ、
早足で更衣室に駆け込んだ。

マダムの、「あら? お嬢ちゃん、もう帰るの? もっと、踊られたら?」
の声に、マダムの顔を見た。
真っ赤な口が耳まで裂けた、人喰い婆に一瞬、見えた。

「あんたみたいな、鼻ったれオコチャマが来るには20年早いよっ!!!」
「お嬢ちゃん」というコトバが、
耳から脳に伝達される際に、勝手にわたしのアタマで自動変換され、
ざわめきの渦に、こだまするような気がした。

「すみません、もう帰ります」
わたしは、苦い、ひきつった笑顔で応えた。

「フルーツポンチがもうすぐできるから、召し上がっていって」
というマダムの顔が、人喰い婆から、マダムに戻ったり、現実と悪夢を行ったり来たり。


女性の中には、他の教室の先生も混じっていた。
知らない女性でも、この人、先生なんじゃないかしら?と思われる人もいた。

わたしと踊ったときは、めちゃめちゃヘタで、リードがまるで伝わらない、
この男性、初心者か?と思った人がいたが、
その人が、めちゃめちゃ上手な女性と踊っていた。
女性が上手なだけやんっっ

中途半端な男性に限って、しょうもない態度に出る。
ほんとうにお上手な方は、あんなことしない。

なので、わたしは、あのホールにいると、バイ菌が移りそうで、
しなくてもいい余計な自信喪失をしそうで、
菌の繁殖で、傷が深まりそうで、

早足で、いや、駆け足で、その場をあとにした。

はやい話、負け犬、そのものだ。

七夕の夜は、カンペキ負け犬となり、お空の上の織姫さんと、彦星さんに、
遠くからもの哀しい遠吠えを、細~く、長~くした。

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平凡、けっこう、好きです。

2011-07-07 | 暮らし

昨日の記事は、3年前にも同じ人物と思われる内容をアップしていた。
(夫人の名前は、適当のようだ→わたしの、いい加減さが、バレバレ)

書きながら、この内容、どこかで書いたことがあるなあ・・・と思いつつ、
まあ、いいか~と、詰めも甘く、アップした。
3年経っても、彼女は同じ。
記事を読み返し、あまりの同じさに、改めてびっくりした。
ただ、わたしの態度が、3年前の記事に比べると、ぶっきらぼうになっているようだ。

ちょっと遠慮しつつ、おどおどしつつ、困惑・・・というのが、3年前。
今は、半分、キレかけ。
嫌われてもいいや、という捨て身の気持ちが、ありありと読み取れる。
ひとは、同じことを繰り返していると、良くも悪くも、変化するものなんだな、と、思った。


わたしの日記なんぞ、おもしろくもなんともない。
もうちょっと、ハプニングやアクシデント、サプライズ(あああ、全部、カタカナ英語)
そういうものが、ばばっと次から次へ、予期しない展開になれば、
痛快、スカっとするだろうに。

毎日のごはん、
朝は、メザシと梅干、白米、昼は、ラーメン、夜は、八宝菜と、・・・・
こんなの、食べました、おいしかったです、まずかったです、少なかったです、多すぎました。
そういうメニューの羅列レポートのかんじ。(実際のメニューは違うけれど)

こんなの、つまらんですね。
しかし、人生は、ほとんどが、つまらない一日と、何事もない一日で構成されていて
ほんの一握りの、花火のような数日が、アクセントになっている。

一生のうちで、食事をする回数は、ほぼ決まっている。
誰と食べるかにもよるだろうし、どこで、どんなふうに食べるか、
ひとつひとつを味わって食べてみるのと、無意識とでは、違ってくるだろう。
なにごとも無意識にやっていると、どんどん知らないうちに時間は経っていく。
こうやって人生の持ち点を使っていくと、残りは少しずつ減っていく。
食べることだけに限らず、すべての分野においても、そう。


卒業した学校の同窓会誌が先日、郵送されてきた。
1年に1回、きちんきちんと送られてくる。
明治23年以来、もう170回近くになるようだが、
途中、第二次戦争のあたりは、何年か中断されている。
そこで、各年度の卒業生の3行だよりが、毎回、順番で掲載されている。
それを読むと、おもしろい。
たった3行で、その人がよく表されている。

毎日の生活に埋もれているようで、埋もれていない。
みんな、結構、いきいきと生きている。

どうでもいいことを、あーだ、こーだと綴るのが好きなわたしだが、
じつは、けっこう、楽しく毎日を送っている。
そして、こんな平凡な毎日が気に入っている。
(サプライズは、ありませんが)


毎日の繰り返し。点となり、やがて線となる。
人やモノ、モノゴトと出会い、交差し、そして、線は面となり、面は立体となる。
そうやって、いくつもの点や線、面や立体は、時空を超えてつながる。
過去、現在、未来へと。

なので、毎日のゴハンも、その構成要素の必須アイテム。
もう見たくないほど見飽きた夫も、重要なキーマン。
子供たちは、未来へと誘ってくれる大事なマンパワー。

ということで、不平を言っても一日は終わるし、
楽しく過ごしても、一日は終わる。
じゃあ、楽しいほうが、いいですね。
(あたりまえですが)

ついでに、ほんの少し先のことを見据えて、
毎日、ちょっぴり努力すると、鬼に金棒。


ということで、まったくマトメになっていないところで、
今日はオワリです。

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人のうちのことを何故、知りたがる?

2011-07-06 | 日々のこと

バス停で、ご近所のお方、Nさんに会った。

まわりに人がいても、ひとの家の個人事情をぺらぺら話す、苦手なお方。
しかも、自分が欲しい情報を聞き出すまで、延々と話をほじくる。
なので、その人をバス停で見かけたとたん、わたしは、うつむいていた。

が・・・しかし、彼女は目ざとくわたしを見つけ、さっそく、ぺらぺら。

いつも、まったく、まったく、まったく、この方は、同じ順序で同じことをしゃべる。

「上のおねえちゃんは・・・○○を出られて、○○にお勤めで・・・
真ん中のぼっちゃんは・・・○○を出られて、○○にお勤めで・・・
下のお嬢ちゃんは・・・○○を出られて、○○にお勤めで・・・
○○さんは、あれから、どうなさいました?
△△さんは、あれから、どうなさいました?」

もう~、めんどーくさいっっ
何回、聞く?
別に忘れているわけではなく、何度も聞きたいんだろうけれど、わたしは、何回も話したくない。
というか、他人に個人情報は、一切、話したくない。
しかも、まわりには、他のご近所の人が、しーーんとして、バスを待っているのに。

前までは、下の娘が、資格試験の浪人期間があり、
その空白の期間の履歴が知りたくて知りたくて仕方なかったようだ。
何度、聞かれたことか。

昨日は、その疑問は見事にクリアされたようで、新しい情報が更新されていた。
犯人は、義母。
悪意はないのだが、このお二人、昔、昔からのお知り合い。
離れて住む義母と、Nさんだが、わたしは、Nさんのご近所ということもあって、
モノを届けたり、受け取ったり、わたしが、義母と、Nさんの私設宅急便屋さんになっている。

義母は、Nさんがキライで、距離を置いているって、言ってたのに、いい加減なもの。
モノのやりとりと、情報交換は、距離を置くうちには入っていないようだ。

息子にも、今年4月からの新しい赴任先の情報が早速、加わっていた。
義母と、かなり最近、話をしたようだ。(情報が、速い)

どーだ、あーだ、と、いちいち、いつも同じこと。

そして、次から次へと、親戚の人の個人情報に移る。

仕事の履歴と、病気の履歴。

癌になった方が、発症後もお元気でおられる人々の情報を聞いて、いつも、落胆されるようす。
彼女のご主人は、癌で発症後、長くなく、亡くなったので、
癌を発症した人は、とっとと亡くならないと、彼女の方程式に反するようだ。
ご自分の不幸を、世の中全部で負担してもらいたい、悲しみをシェアしてもらいたいのは、わかるが、
癌になっても、サザンオールスターズの桑田佳祐みたいに活動する人がいれば、結構なことだと思うが、
彼女にすると、世の中を自分のレベルに引き下げないと、気に入らないようだ。

自分もそうなってみないと人の痛みはわからないと思うが、
あまり親しくない人にまで、マイナスの感情を押し付けるのは、
聞くほうとしては、あまり快適ではない。


知り合いの親戚、かたっぱしから、癌だけど元気な人々が多いので、
次々、元気ぶりを話す。

そんなに亡くなってほしい? そんなに、寝込んでほしい?
お元気だったら、いいことじゃない?

めんどくさくなって、
「みなさん、お元気ですよ。努力されてますから」と、わたしは言った。
彼女の耳には聞こえない。

そして、職業に異常にこだわる。
親戚の端から端までメンバーのなかで、社会的に評価される職業の人のことだけを聞きたがる。

姉妹がいると、職業が立派な方だけに興味を示す。
なんという、偏り。

これまた、アタマにきて、わざと、
「いまどき、こんな職業、女の子だからって、どうってことないですよ。
クラスの半数は、女子だし、職場にも、若くても、こんなひと、ザラにいますよ」
と言い放っておいたが、釘は刺せていなかったようだ。
(ほんとうは、あまりいないんだけど、うるさいから黙らせてやろうと思って言ったのに)

「お宅の息子さんは、どうなんですか?」
と一言、言えば、彼女は黙るはずなんだが、わたしは、根っからイジワルじゃないし、
お年寄りを困らせるのは、本意じゃないし。
もともと悪い人なんかじゃないんだし。

息子さんのことを、わたしは知っている。
ご自分の息子自慢がしたくて、聞いてほしくて、人のことを聞き出すのならわかるが、
その逆になるような話が、どうしてしたいんだろう。
天気の話でもしてるほうが、ずっとマシ。


バスが駅に到着するや否や、わたしは、全速力で
「お先に、失礼します」と、電車に間に合わないかのように、駆けていった。

 

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ちなみに、トップ写真は、市原悦子さんです。
Nさんじゃありませんので、とりあえず、誤解のないように・・・

 

 

 


マジメにも、ほどがある。

2011-07-05 | オトコとオンナ

人類に大切な、マジメなあの話をしたばかりなのに、

あまり大切でない、あの話がしたくなった。

恋愛ブログ、ふらふらっと、過激なタイトルに吸い寄せられるように、

朝の出かける前の、貴重な時間のないときに、読んでしまった。

 

どうにか遅刻しない時間内には、おさまったものの、

自分のブログを更新しようと思えは出来たのに(ただし、弾丸パターン)

それも努力せず、ぼーっと、脳をふやかせてしまった。

 

あきらかに、アダルト・グッズを売る為のヤラセ的ブログもあるが、

とてもマジメに、とんでもなく変態的なことを綴っている、マジメな女性もいた。

これは、保険体育の先生が、人間の生理を科学するノウハウ・レクチャーではなく、

芸術の先生が、芸術の鑑賞のしかたを実践報告しているようなかんじのもの。

素人が見ると、難解すぎてチンプンカンプンか、あるいは、気持ちが悪くなるか、

はたまた、脳に、オート・ロックがかかり、見なかったことにするか

そういった、マニアックなものだ。

 

決して朝の忙しい時に、読むような類いのものではないが、

なにぶん、わたしはパソコン時間が制限されているので、見れるときにしか、見ることができない。

かといって、あういうジャンルを、休日にたっぷり時間をとって鑑賞、じっくり、熟読するかというと、

もう結構。ちらっとで十分。

そこまで、マニアではありません。

 

ちょっと、どんなのかな?

とインデックス的に興味があっただけで、この先、読み続ける気はない。

 

やっぱりわたしは、自分のブログに、なにかしら綴っているほうが、いい。

あんなヤラシイブログ、読んで後悔した。

 

おなじ、女性だからといって、真面目に取り組んでいる人だからといって、

H分野まで、真面目にとことん追求するのは、やはり、同好の方だけで楽しむべきだと感じた。

朝から、うっ、と、気分が悪くなった。

子供じゃないんだし、なにを今さら、ばかな、わたし。

後味、悪すぎ。

 

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 教訓→マジメ女性に、だまされることなかれ。

 

 


人類にとって、マジメなあの話。

2011-07-04 | オトコとオンナ

いま、なにを思ってか、女性たちの書く、恋愛ブログに、ハマっている。

あきらかに、わたしと同世代の方はいないが、(まあ、しかたない・・・)
彼女たちの熱い恋愛に、遠い目のわたし。

わたしも、そんな頃があったなあ・・・
でも、いまは、いまの年齢に応じた感覚なので、
肉体的な面では、現状とかなりのギャップを感じるけれど、
まあ、彼女たちもわたしの年齢になれば、また、わたしのようになると思う。

年齢って、大きい。
特に、精神的なものもだが、肉体的には、かなり。
在りし日のそんな自分を懐かしがっているわたしって、かわいそうなのか、
卒業したのか、とらえ方のカタチがかわったのか。

いつまでたっても、若くいたい、恋をしていたい、
そういうエネルギッシュな思いを否定する気は、さらさらない。

だが、若いときのような、ああいう、汗がほとばしり、飛び散り、水しぶきが上がるような、
夏の甲子園・野球児みたいな、グランドで汗や、土にまみれてプレーするような、
そういう、弾力、筋力、温度や、速度、瞬発力はないなあ・・・

ついでに言えば、スタミナ、持続力、回復力も、・・・(男性向きの薬の宣伝みたい・・・)

なので、女性たちの告白の話(H系)をあれこれ読んでも、
悲しいかな、ドキドキは、しない。
これは、明らかに加齢に伴う女性ホルモン低下現象によるもの。
死体に、いくら、冷水や熱湯をぶっかけても、びくともしないようなもの?
(臨死か、脳死だとしても、ちょっとぐらいは、息はあるかぁ・・・息たえだえにしても・・・)

と言いつつ・・・なんて言えばいいかなあ
刺激を求めているわけでは決してないのだが(断じて!!)
彼女たちのお話は、平凡であんまり、おもしろみに欠ける、と、感じてしまう。

なかに、18禁で、保健体育の女性教師みたいに、ノウハウをきっちり理論的に客観的に
解説している人がいて、とても勉強になる。
この年になっても知らないことが、いっぱい。
しかも、女性による、女性のための真面目な説明なので、不快感はまったくない。
わたしより、うんと年下の方だが、じつによく研究されている。

男性と女性の誤解を少しでも解けば、そして、お互い、わかり合おうと努力すれば
とてもいいパートナーシップが築ける。
ただ、男性は、あんまり協力的でないことが多い。
(わたしが、そんな人しか知らないから?)

上野千鶴子さんの「女性学」とは、また違った意味で、
実践版、オトコとオンナ。

上野教授も、素敵なパートナーがいらっしゃるほうが、もっともっと女性学が充実するのか、
はたまた、切れ味が悪くなるのか。
(実際には、パートナーがおられるのか、おられないのか、知りませんが)

人類にとって、とても大切な研究ではある。
ただし、あくまでも、真面目に取り組めば、の話だ。

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興味本位でなければ、男性も仲間に入れてあげてもいいですが、
きっと、聞きたくないことばかりだと思います。

いかに、男性は、思い違いをしてるか、なんて、聞かされたくないはず。 
でしょ?

 


スランプです。

2011-07-03 | 暮らし

日常生活は、非常にうまくいっている。(いっていた)

なのに、それに反比例するかのように、ブログ生活は、スランプに陥っている。

スムースな日常生活があったうえで、その日常生活の報告や、愚痴を、
その日の余裕の時間、気持ちで、ブログに綴ったりして遊ぶ。

それが、逆転している。

ブログに一生懸命になりすぎて、日常生活に支障をきたす。
他のことが、できない。
家事が、停滞。
新聞が、たまる。
フランス語ラジオ講座もうわの空で聞いている。
あの、大好きな、NHK連続朝のドラマ「おひさま」さえ、集中できない。

朝から、そわそわ。
はやくブログを片付けて、出かける準備にとりかからなければ・・・。

忙しいスケジュールが詰まっている日は、まだマシ。
まるごとフリータイムの、休みの日が、まさに本末転倒になっている。


かといって、しゃかりきの内容は、ブログの中身ではなく、なんか、違うところにある。
実際の自分のブログ記事を書く時間は、ほんの少し。

そうじゃない部分に、異常に時間を割いている。
こんなこと、したいのか?と自問自答。
肩が痛いのが少しマシになったからって、長時間パソコンにかじりついていたら、
また肩痛、ぶり返すかも。

もっと、ブログ以外のことを鼻歌交じりでやって、
ブログは、ほんのついでに、みたいなスタンスが自分にとっては、心地いい。
いまは、鼻歌どころか、いざ、ブログを書く、そこまで行くまでに、疲れ果てている。

時間がたっぷりあるのは、よくない。
時間がないほうが、ちゃちゃちゃと、ない時間をフルに使って、瞬発力や威勢でやってしまう。

お休みの日は、さあ、今日はネット三昧だ!!と、喜び、力み、
他のことに費やす時間をすべて、ネットに使い、
へんに時間があるから、あれこれ、熱心にいろんなことをして、ふらふらになるまで、
ネットで遊んでしまう。

椅子に座ったままで、ふらふら、っていうのは、そもそも、おかしい。
なんだか、足が浮腫(むく)んでくるかんじ。
まったく体を使わず、遊び疲れる。
末期症状。
そもそも「遊び疲れる」、なんていうのは、子供の専売特許じゃないの?


その割には、つまらないブログ。
自分でも、なんだか、見るのも嫌になっている。

もっと、弾みのある、力みのない、大きな力にあふれた、伸びやかなブログが、いい。
自分のブログは、最近、へん。

映画や、展覧会、旅、読書感想も、ブログでは、まともに取り組まず、
ダンスネタばっかりやっている。
にもかかかわらず、実際の家でのダンス自習は、実行できてない。
熱病に冒されている?
わたしは、恋は盲目タイプで、猪突猛進、まっしぐら、まわりが見えない。

ネットも、熱病のひとつ。
なにもできていないのに、やたら、疲れている。
根(こん)を詰めすぎる傾向あり。
根を詰める割りに、成果をあげず、つぶれてしまっている。

大して稼動していないのに、
煙を出して、火を吹くような、わたしのアタマは、チャチな装置なんだろう。


ああ、これを、ネット中毒っていうのか。
ネット依存症。
歯止めをかけるものがないと、ブレーキが利かないまま、激突しかねない。


昨日は、わたしの○○回目の誕生日で、お誕生日メールをいただいた。
今までは、うれしいと感じなかったが、昨日は、はじめてうれしいと感じた。

壊れかけている自分でも、お誕生日メールをくれる人がいるんだ、と思うと
なぜだか、感激した。
数は、決して多くなく、家族や親戚、友人たちから。
数じゃないんだ。

そう自分に、いい聞かせる。
というか、納得した。

仕事でも、人付き合いでも、内容を充実させれば、結果は後からついてくる。
そういうことなのかも。

わたしは、やはり、不器用な人間だと思う。
不器用は不器用なりに、自分のやり方で、やるしかない。

そもそも欲を張りすぎて、自分の能力を超えるようなことをしたがるから、パンクするのだ。
もっと地に足をつけて、現状維持に、地道に努力すべきだと、感じた。

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つまらない、つぶやき、力のない、つぶやき。

世の中には、たいへんな状況で、歯を食いしばって頑張っている方々もおられるのに。

ちょっと、アタマを冷やします。 

 


ビビビ、強烈キライ・ビーム

2011-07-02 | 趣味

例の浅はかなオンナ、またもや、浅はかな発言をしていた。

ダンスレッスンの更衣室で、昨日、同室した。
わたしの、真横にいる、このお方。
お互い、水曜日のT教室で顔を合わせたのに、しらんぷり。
背を向けたまま、無言で着替える。

あんたが、挨拶しないんだったら、わたしも、せんわい。

お互い、見て見ぬフリ。

他の人も、がやがやとおしゃべりしたり、賑わいの更衣室だ。

「わたし、もう、オッちゃんとのダンスでは、満足できひんわ」
と、彼女。
誰に言ったのか、知らないが、べつに誰も言葉としてのリアクションはない。
わたしは、皆さんにおしりを向けて壁面に向かっているので、皆さんの様子はわからないけれど、
その場にいた人は、おそらく顔の表情で、あら、そうなの~、みたいな受け流しをされているのだろう。

またまた、言うとる・・・。
この高ビー女史。

「だから、わたしは、(雑魚の)みんなと違って、個人レッスンを受けているのよ。ツンっっっ」

次に続く、そんな彼女のこころの声が聞こえてきそうだった。


あんたのダンスは、オッちゃん相手だと満足いかないんだったら、誰とだったら、満足いく?
バリバリの先生となら、そりゃあ、先生はお上手だから、うまく踊らせてくださる。

で、彼女が先生と踊っているときの、あの顔・・・
言っちゃなんですが、バランスとれてなくて、へんなんですけど。
だってぇ・・・ダンスには軽さがないのに、顔だけ、陶酔顔。

この顔が、高慢ちきで、高飛車なお人柄を、実によく表している。

先生と踊っているときだけが、ほんとうのわたしなのよ。
オッちゃんたちとのダンスは、レッスンの進行システム上、しかたなく踊っているだけ。
わたしは、別格なのよ。
ここらのオッちゃんとかと踊るようなランクの人物じゃないのよ。ツンっっっ

たぶん、間違った踊り方ではないんだろうけれど、優雅さのカケラもない。
やっぱり、ダンスにもその人のお人柄や心根、心情が出るんですかねえ。
芸術点は、ゼロです。

もう少し、技術をあげるか、醸成してしっとり馴染むか、
あるいは、枯れて余分なものを切り落とし、スッキリ踊るか、そうすると、少しはマシになるかも。
今なら、気持ちだけ高飛車で、ダンスが付いていってないかんじ。

これは、わたしの彼女への偏見に満ち満ちあふれたフィルターを通して見ているから。
3Dメガネみたいなやつ。

もしこれが、かんじいい人だなと、思っている人なら、少々ダンスがヘタでも、
まだまだ伸びしろが大きいので、これからが楽しみだ、とか、
荒削りだけど、いい感性持ってる、とか、
勝手に、いいように評価するんだろうなあ。

イロメガネって、こわい。


T教室で見かけた、もう一人のT教室の個人レッスンを受けている人にも、更衣室で会った。
「個人レッスン受けるの?」と聞かれた。
わたしのこと、見てないようで、見てるんだと思った。
(あたりまえ。あんな閉ざされた見渡せる空間で、数人しかいないんだから。
視力がよっぽど悪くない限り、認識できるはず)

で、ごくあっさりと、レッスン時間などを話して、会話のキャッチボールは端的に終わった。
悪い感情、まったくなし。
大げさでも、ヒソヒソでもない、情報交換。
これが、ふつーのコミュニケーションなんだろうと感じた。


第一印象からの先入観や、思い込みって、なかなか修正しにくいもの。
今後も、あの高ビー女史とは、平行線のまま、お話しすることなく
無視し続け合うのかしらん?

キライ・ビーム(キライという光線)は、なにかしらの言動で感じるものだろうから、
歩み寄らない限り、このままだろう。
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同じような年頃で、同じようなダンスの進度、
目くそ鼻くそを笑う。

浅はかなオンナは、どこまでいっても、浅はかだ。