『 毎朝、まだ誰も目覚めていないうちに起き出して、新聞を取りがてら、庭先でタバコを一本いただく。真夏であれば、すでに日の出の時間を過ぎてしまうこともあるが、今の季節だと、まだ夜明けには時間があり、月がない時はまだ真っ暗。前の道路は地方道としては車の量も少なくないが、この時間はまだまばらで、タバコの火の灯りが嫌に目立つ。しかし、一日の始まりにあたって、この一服は止められない。
夕方、といっても、すでに日が暮れた後、やはり朝と同じように庭に出て、街灯の灯りが嫌に目立つ頃、今日二本目のタバコをいただく。何事もなく一日を終えた時はじっくりと味わい、何か問題を抱えた時は、いささかの苦みを噛みしめながら・・・ 』
一日に、朝夕二本のタバコを楽しんでいる人の話を聞く機会がありました。直接ではなく、ある人から聞いた話です。
その人は、もともとヘビースモーカーだったそうですが、病気をした時に医者から禁煙を勧められたそうですが、とても実行は出来ず、一日一箱以内ということにして、十年ばかりを過ごしていたようです。
ところが、数年前に長年勤めていた会社から転職し、それを機会に新たな住居を購入し、娘さん夫婦と同居することになったそうです。すると、特に娘さんの強い希望もあって、家の中でタバコは吸わないようにして欲しい、ということになったそうです。
その頃今一つ体調が良くなく、医者からの強い勧めもあり、また、幼い孫が同居することもあって、その人は禁煙を試みたそうですが、なかなか実現できず、辿り着いた結論が、喫煙は一日二本、それも家の外で吸う、というところに落ち着いて、数年が過ぎたそうです。
「酒は止めることはできるが、タバコはなかなか止められない」ということを聞いたことがあります。
病気の種類にもよるのでしょうが、男性の場合、入院するような病気をした場合、酒とタバコを止めなさい、と医師から指導されることが多いようです。その場合、多くの人は、酒を止める方が楽だという人が多いそうです。もっとも、その片方であれ両方であれ、止めた人の多くは、健康を回復するに従って、元に戻っていく人が圧倒的に多いようです。
人間の意思は、なかなか思うに任せられないようです。
もっとも、タバコなどは健康に様々な悪影響があることは、科学的に証明されていることで、喫煙人口はずいぶん減少しています。その一方で、メンタル的な意味で、タバコが少なからぬ働きをするのだと主張する人がいますし、実際そうした面もあるのでしょう。
少々命を削っても、手放せないものはあるのかも知れません。
考えてみますと、私たちは、他人が見ると首を傾げるようなものに拘っている面があるような気がします。それが無くなれば、生活基盤が揺らぐというほどのものであれば、拘るどころか死守しなければならないわけですが、そんなもの無くなって何が困るのか、と他人どころか、家族からさえ言われるようなものであっても、ある人にとっては、生活のバランスを保つ上でどうしても必要なものがあるようです。
最初に紹介させていただいた人の場合、私などは、一日に二本程度のタバコなら、いつでも止められるのではないかと思ってしまうのですが、実は、その人にとっては大きな意味を持っているのでしょう。
健康面を考え、家族からの申し出を受け、幼い孫への影響を考え・・・、それでもどうしても手放すことが出来ないタバコを、一日二本、それも戸外に出ての一服という、何とも切ない形で守り抜いたのではないでしょうか。
長く生きていくということは、切ないものを背負っていく覚悟も必要だということなのかもしれません。
( 2022.02.10 )