雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

なせば成る ・ 小さな小さな物語 ( 1328 )

2020-12-26 16:34:58 | 小さな小さな物語 第二十三部

『なせば成る』という言葉を聞きますと、多くの方は上杉鷹山(治憲)を連想するかもしれません。
ただ、これに続く名句は二つあるようです。
一つ目は、上杉鷹山のもので、
 『 なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり 』
そして、もう一つは武田信玄のもので、
 『 為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人のはかなさ 』
の二つです。
鷹山のものは信玄のものを引用しているという意見もあるようですが、いずれも味わい深く、絵にかいたような人生訓と言えるのではないでしょうか。

上杉鷹山(ウエスギヨウザン)は、江戸時代の大名ですが、藩政改革に成功した名君として広く知られた人物です。
鷹山( 1751 - 1822 )は、第九代米沢藩主ですが、誕生の地は日向国で、高鍋藩第六代藩主秋月種美の次男として誕生し、10歳の頃に第八代米沢藩主上杉重定の養子となりました。鷹山の母方の祖母が第四代米沢藩主の娘という縁から実現したものらしい。
1767年に、家督を継いで第八代米沢藩主上杉治憲が誕生します。なお、鷹山を名乗るのは、1802年に剃髪してからのことです。
1785年には、藩主の座を前藩主の実子(鷹山が養子に入った後に誕生していた。)に譲ったが、その後も新藩主を後見し、後の世にまで語り継がれるほどの改革を推し進めました。
米沢藩上杉家は、あの上杉謙信の末裔ですが、関ケ原の合戦に敗れたため、越後120万石から米沢15万石に激減されました。実高は30万石だともいわれますが、ほとんどの家臣を召し抱え続けたため藩財政は困窮を極め、鷹山が藩主に就いた頃には20万両(現在の200億円以上か?)の借財がありました。鷹山は1822年に世を去りますが、その翌年に藩の借財は完済されたとされます。

鷹山も信玄も、歴史上の人物としては著名な人物ですし、人気も高い存在といえましょう。
『なせば成る』という言葉も、鷹山の句と信玄の句では、その持つ意味に微妙な差があるとしても、人に訴えかける力強いものを持っています。
もちろん、その事を否定するつもりは決してなく、人生訓としてはありがたく頂戴しますが、実際の生活の中で言われると、少々反発したい気もあります。
『なしても成らないものはある』と思うからです。面と向かって、「努力が足らない」と言われた場合、多くの場合は反論できないものですが、現実としては、いくら努力をしても、いくら為そうとして、成らないものはあるはずです。

九州の豪雨は、大きな犠牲が出てしまいました。しかも今後も大雨の可能性が伝えられていますし、被害の全容も判明していない時点で取り上げるのは差し障りがあるかもしれませんが、その点はご容赦ください。
現時点で、最も厳しい被害が伝えられている球磨川を例にしてみますと、決壊が起こり、氾濫は数多くが伝えられています。つまり、「どこをどうすればよい」というレベルを超えてしまっていると思うのです。少々堤防を強化しても、氾濫を防ぐ対策を実施しても、今回を超えるような雨量に対しては、とても抗しきれないというのが私たちの実力ではないでしょうか。
今回の大雨が何10年に1度のものかもしれませんが、「50年に1度]の大雨は毎年のように襲来しているのです。そう遠くないうちに、この種の表現は使えなくなるのではないでしょうか。
自然災害に対して、私たちには『為しても成せないもの』があることを、しっかりと認識すべきではないでしょうか。球磨川に限らず、少なくとも1級河川程度については、「これ以上の雨が降れば降参です」ということを明確にすべきではないでしょうか。季節や、それまでの降雨量などで大きく変化するのでしょうが、『降参レベル』を明確にすることが絶対必要だと思うのです。
さて、その上で、私たちは命を守るために、どのような対策と選択を必要としているのでしょうか。

( 2020.07.11 )   

 


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