身体に灯をともす ・ 今昔物語 ( 5 - 9 )
今は昔、
天竺に転輪聖王(テンリンジョウオウ・・古代インドの理想的国王で、正義をもって世界を治めるとされる。金・銀・銅・鉄輪王の四輪王があるが、ここでは鉄輪王。)がいらっしゃった。一切衆生(イッサイシュジョウ・この世のあらゆる生物。)を利益(リヤク・法力によって恩恵を与えること。自らを益するのを功徳、他を益するのを利益という。)するために法を求めて、閻浮提(エンブダイ・古代インド的な世界観で我々の住む世界とされる。)じゅうに宣旨を出されて、「閻浮提の内に誰か仏法をよく修得している者はいないか」と仰せられた。
すると、「辺鄙な地に一つの小国があります。その国に一人の婆羅門(バラモン・古代インドの四姓制度の最上位に位置付けられる僧侶(司祭)階層。)がおります。その人が仏法に通じています」との報告があり、使者を派遣して婆羅門を招待すると、すぐにやって来て宮中に入った。
大王は大いに喜んで、特別に立派な座席を設え、それに座らせて、数多くの美味・珍味でもてなそうとすると、婆羅門はどうしてもその座席に座ろうとせずもてなしを受けようとはしなかった。
婆羅門は、「大王が、もし法を聞くために私を供養(もてなし)しようとお思いなら、王の御身体に千か所の傷をつけて、それに獣の油を満たして、それに灯心を入れて灯をともして供養してくだされば、その時には供養をお受けして法を説きましょう。もし、そうなされないのであれば、私は立ち去ることにします」と言って、立ち去ろうとした。
すると大王は、婆羅門を抱きかかえて留めて、「大師(婆羅門に対して尊敬を込めたもの。)、しばらくでもお留まりください。私は無始(ムシ・生死の輪廻に始めがないことからの語で、永遠の過去世といった意。)よりこれまで、多くの生死(ショウジ・生死の輪廻で、生まれ変わり死に変わりすること。)を経てきましたが、未だに法のために身を捨てることが出来ません。今日こそ、その時にあたりました。我が身を捨てて供養し奉ります」と仰せられて、宮殿に入り、諸々の后、ならびに五百人の王子に向かって、「私は今日、法を聞くためにこの身を捨てようと思う。されば、そなたたちとは今が分かれの時である」と仰せられた。
その中の一人の皇子は、聡明なこと並ぶ者とてなく、知恵は無量であり、姿形は美しく心は正しく素直である。大王はこの王子を何者にもまして寵愛されていた。されば、国内の人民はみな太子に従うこと、風になびく草木のようであった。
大王は、「生死の世界の恩愛には、必ず別離がある。この事を決して嘆き悲しんではならない」と仰せられた。后・王子はこれを聞いて、泣き悲しむこと限りなかった。
大王は、婆羅門の言う通りに、身体に千か所の傷をつけて、それに獣の油を満たして、上質の布を灯心にして、火をつけてともした。
その間、婆羅門は半偈(ハンゲ・偈(仏の教説などを韻文形にしたもの)の半分。)の法文を説いて、「夫生輒死、死滅為楽(ブショウチョウシ、シメツイラク・・「死滅」の部分は「此滅」が正しいらしい。そう仮定しての意味は、「そもそも生まれることは取りも直さず死ぬことであり、この生死が全て無くなることが安楽の境地である」)」と言った。
王はこの偈を聞いて、心から喜んで、大勢の衆生のために大きな慈悲の心を発せられた。大勢の人々も、この偈を聞いてまた歓喜して、「大王は、まことに大慈悲の父母であらせます。衆生のために苦行を修められた。我らはこれを書写して行うべし」と言って、ある者は紙に、ある者は石の上に、ある者は樹の幹に、ある者は瓦礫に、ある者は草の葉にと、多くの人が行き来する所にこの文字を書写した。
それを見聞きした人は、みな無上菩提心(ムジョウボダイシン・「一切の煩悩から解放された最高の悟り」を求める心。)を起こした。
大王の身体に灯したもうた灯心の光は、遥かに十方世界(ジッポウセカイ・ありとあらゆる世界。)を照らした。その光に当たった衆生は、みな菩提心を起こした。
その時、婆羅門はたちまち帝釈天の姿に戻り、光を放って大王に告げて「お前は、この有り難き(世にも稀な)供養を成して、いかなる果報を願うのか」と仰せられた。
大王はそれに答えて、「私は、人間界や天上界でのこの上ない安楽は望みません。ただ無上菩提を求めたいと思います。たとえ、灼熱の鉄輪が私の頭の上に置かれるとしても、苦しむことはありません。最後まで、この苦行によって無常菩提心をくじけさせることはありません」と言った。
帝釈天は、「お前が、そのような事を言っても、我は信じ難い」と仰せられた。
大王は、「もし、私の言う言葉がまことではなく帝釈天を欺くものであるならば、私の千の傷は決して癒えることはありますまい。もし、まことの言葉ならば、血は乳液になって千の傷を平復させるでしょう」と仰せられた。
その時、千の傷はことごとく癒えて、もとの身体のようになった。その後、帝釈天は掻き消すように姿を消した。
この大王と申すのは、現世の釈迦仏その人である、
となむ語り伝へたるとや。
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