針の痛みに堪える ・ 今昔物語 ( 5 - 10 )
今は昔、
天竺に国王がいらっしゃった。
仏法を求めるために、王位を捨てて山林に入って修行された。
ある時、一人の仙人が現れて国王に告げて行った。「我は法文(仏の教えを説き記した文章。)を心にとどめて実行している。お前に教えようと思うが、いかがか」と。
国王は、「私は法を求めて山林に入り修行しています。ぜひ、お教えください」と言った。
仙人は、「我が言う事に従うならば教えよう。従わぬなら教えない」と言う。
国王は、「私は、もし法を聞くことが出来れば、身命とて惜しくはありません。いわんや、それ以外の事など言われるままに従います」と答えた。
仙人は、「それでは、もし、九十日の間、一日に五度(ゴタビ)、針でその身体を突かれたならば、我が尊い法文を教えよう」と言う。
国王は、「たとえ一日に百千度突くといわれても、法のためにはこの身を惜しむことはありません」と仰せられて、仙人に身を任せて身体をかがめた。
すると仙人は、針を以って身体を五十度突いたが、痛がることがなかった。このようにして、一日に五度突いた。(文中、五度と五十度が混乱している感がある。)
そして三日目に、仙人が尋ねた。「どうだ、痛みはあるか。痛ければ帰るがよい。九十日の間、このように突くが、どうだ」と。
国王は、「地獄に堕ちて猛火に身を焼かれ、刀山火樹に身を交える時の痛さは、帰れと言われてもどうすることも出来ますまい。その時に比べれば、この苦しみは百千億のその一つにも及びません。ですから、痛がるわけにはいきません」と答えて、九十日の間よく堪えて、痛がることがなかった。
その後、仙人は、八字の文を教えた。「諸悪莫作、諸善奉行」(ショアクマクサ、ショゼンブギョウ・・七仏通戒偈の前半の二句。「一切の悪をなさず、一切の善をつつしんで行え」)というものである。
その時の国王と申すのは、現世の釈迦仏である。その時の仙人というのは、提婆達多(ダイバダッタ・仏敵とされた人物)である、
となむ語り伝へたるとや。
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