雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

柔弱であれ ・ ちょっぴり『老子』 ( 83 )

2015-06-19 06:04:43 | ちょっぴり『老子』
          ちょっぴり『老子』 ( 83 )

               柔弱であれ

柔弱な者が上に立つ

「 人之生也柔弱。其死也堅強。萬物草木之生也柔脆。其死也枯槁。故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。是以兵強則滅、木強則折。強大處下、柔弱處上。 」
『老子』第七十六章の全文です。
読みは、「 人の生まるるや柔弱(ジュウジャク)なり。その死するや堅強なり。萬物草木の生ずるや柔脆(ジュウゼイ)なり。その死するや枯槁(ココウ・木が枯れること)なり。故に堅強なる者は死の徒、柔弱なる者は生の徒である。是を以って兵強ければ則ち滅び、木強ければ則ち折られる。強大なるは下に處(オ)り、柔弱なるは上に處る。 」
文意は、 「 人が生まれてくる時その身体は柔弱であり、死ぬと身体は固くなる。萬物草木も生ずる時は柔らかで脆く、死ぬと枯れて固くなる。従って、堅く強い者は死の仲間であり、柔らかく弱い者は生の仲間である。こういうことなので、軍隊が強いと国が滅亡し、堅く強い木は風などで折られる。(大きな木がそうであるように)強く大きなものは下におり、柔らかで弱い者は上におるものなのである。 」

『老子』の根幹を成す考え方が説かれています。
最後の部分は、幹や根などの堅強な部分は下にあり、小枝や葉のように柔らかで弱い部分は上にある、という意味ですが、つまり、柔弱な者こそが指導的立場となって上に立つ、ということなのでしょう。

柔弱であろうと努力できるか

男の子らしく、あるいは、女の子らしく、と言って子供を育てるのは、最近では感心出来ないとされているようですが、ややもすると、男の子に限りませんが、強く逞しくあってほしいという気持ちが、柔弱であってほしいという気持ちより優るのではないでしょうか。

『老子』が述べていることは、確かに分かることは分かるのですが、子供に対してばかりでなく、自分自身に対しても「柔弱」であろうとはなかなか思わないものと考えられます。
ただ、これを精神的なものとしてとらえるならば、私たちにも分かり易い教えとなります。つまり、「頑固一徹といった性格を戒め、もっと柔軟であることに務めよ」というのなら、よく分かるのですが。
ただ、きっと『老子』先生が説いていることとは違っているのでしょうね。

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