雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

天の摂理 ・ ちょっぴり『老子』 ( 84 )

2015-06-19 06:03:49 | ちょっぴり『老子』
          ちょっぴり『老子』 ( 84 )

               天の摂理

天の摂理と人の行為

「 天之道其猶張弓乎。高者抑之、下者挙之。有餘者損之、不足者與之。天之道損有餘而補不足。人之道則不然。損不足以奉有餘。孰能有餘以奉天下。唯有道者。是以聖人、爲而不恃、功成而不處。其不欲見賢。 」
『老子』第七十七章の全文です。
読みは、「 天の道は其れなお弓を張るがごときか。高き者は之を抑え、下(ヒク)き者は之を挙げる。餘ある者は之を損(ヘラ)し、足らざる者は之に與(アタ)える。天の道は餘あるを損し足らざるを補う。人の道は則ち然(シカ)らず。足らざるを損し餘有るに奉ず。孰(タレ)かよく餘有りを以って天下に奉ぜん。唯有道者のみ。是を以って聖人は、為して恃(タノ)まず、功成りて處(オ)らず、其れ賢(ケン)を見(シメ)すを欲せざるなり。 」
文意は、「 天の道はちょうど弓に弦を張る時のようなものか。高い者は抑え、低い者は挙げる。また、餘ある者を減らし、足らない者に与える。天の道は餘有るを減らし足らざるを補っている。しかるに、人の道はそうではない。足らざるを減らしそれを餘有るに奉っている。いったい誰がよく餘有って天下のために奉っているか。唯道を体得した者のみが為しうることが出来る。そうであるから聖人は、大きな働きをしていながらその評価を得ようとは思わず、功績を成し遂げても名誉の地位にいようとはしない。そして、自分の賢明さを人に示すことを欲しないのである。 」

本章については、後の部分の「是以聖人 ・・」以下の部分は、混入しているのではないかという説もあるようです。
いずれにしても、天の摂理は「餘ある者から不足している者に与えて平準化している」のに対して、人の為すことは、「不足しているものから奪って、有り余っている者に与えている」としていて、なかなか興味深い内容です。

弱きを挫き強きを助ける

文字や言葉の難しさはともかく、この章で述べられていることは極めて理解しやすい内容です。
かつての時代劇映画などは、「弱きを助け強きを挫く」というのが当然のパターンだったのですが、どうも現代社会では見かけられなくなった行動パターンのような気がしてしまいます。

表面化してくる犯罪はもちろん、もっとずる賢く振る舞っている輩の根本哲学は、「弱きから奪い取り、強きにへつらう」というものに見えます。
一般凡人が、「強きを挫く」ほどの勇気を発揮することはかなり難事ですが、せめて「弱きを挫く」ことに手助けすることだけは避けたいものです。

     ★   ★   ★



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 水に学ぶ ・ ちょっぴり『... | トップ | 柔弱であれ ・ ちょっぴり... »

コメントを投稿

ちょっぴり『老子』」カテゴリの最新記事