『 高祖と項羽 ・ 今昔物語 ( 10 - 3 ) 』
今は昔、
震旦に漢の高祖という人がいた。
秦の御代が滅びた時に、感楊宮を攻め取って拠点にしていた。
また、その頃、項羽(コウウ)という人がいた。この人は、国王となるべき家柄の人である。「我は、必ず国王の位に昇るべきだ」と思っていたが、高祖が感楊宮を攻め取って居城にしていると聞いて、大いに不愉快に思った。
そうした時、一人の男がやって来て、項羽に告げた。「高祖は、すでに感楊宮を攻め取って、国王になっている。『[ 欠字。秦王の「子嬰」らしい。]を我の臣下とする』と決められました。あなたは、どうなさるのでしょうか」と。
項羽は、これを聞いて大いに怒り、「我こそが王位に就くべきであるのに、高祖は、どうして我を超えて王位に昇ったのか。されば、感楊宮に行って高祖を討ち滅ぼそう」と相談の上決定させ、すぐに出陣した。
もともと項羽は、勇猛な心の持ち主で、弓矢の技量は高祖より勝れている上に、軍勢を集めること四十万人に及んだ。高祖方の軍勢は十万人である。
項羽が軍勢を調えてまさに出立しようとしたが、その頃、項羽と親しい項伯(コウハク・項羽の伯父にあたる。)という人がいた。
この人は、項羽の一族であるが、長年項羽に随って従者として仕えていた。心は勇猛で武者として並ぶ者とてないほどである。
一方、高祖の第一の従者として張良(チョウリョウ・知謀の将として著名。)という者がいた。この項伯と長年無二の親友として、何事につけ分け隔てのない付き合いをしていた。
二人は互いに心を通わせて過ごしていたが、項羽が激怒して軍勢を集め、高祖を討つために感楊宮に出撃しようとしているのを見て、項伯は思った。「高祖はきっと討たれるだろう。高祖が討たれると、我が親友の張良も必ず殺されるだろう。そう思うと、とても堪えられない」と。そして、ただちに項伯は、密かに張良の所に行って、状況を知らせて言った。「貴君は知らないだろうが、項羽は高祖を討つために、軍勢を調えて感楊宮に向かって出立しようとしている。項羽は勇猛で勝れた武将である。それに、兵員の数は遙かに多い。されば、高祖は間違いなく討たれるだろう。高祖が討たれると、貴君の命も危うい。この戦いによって、貴君と我との長年の友情が永久に絶えてしまう。それゆえ、貴君が高祖の許を離れるほかない」と。
張良は、これを聞いて答えた。「貴君の意見は、まことにその通りだ。長年の友情とは、こうあるべきだ。我は極[ 欠字あるも不詳。]也[ 欠字あるも不詳。]教えに従うべきではあるが、我は、長年高祖に仕えて、自分の心に違えることがなかった。また、我と一切隔てる心なく長年やって来たのに、今、命が失われようとする時に臨んで去ることは、互いの信頼を忘れることで、それは、思いもよらないことである。されば、この命を棄てることになろうとも、このまま高祖を見捨てて去ることは、とてもできないことだ」と。
項伯は、これを聞くと、帰って行った。
その後、張良は、高祖に話した。「項羽は、すでに貴君を討たんがために軍勢を整えて攻撃してくると聞きました。あの男は、軍事に関して人に勝っています。また、兵の数は四十万人のようです。わが軍は十万人です。もし戦えば、きっと討たれてしまうでしょう。されば、ここは項羽に降伏しなさい。命に勝るものなどありますまい」と。
高祖は、これを聞くと驚いて、張良の進言に従った。使者を項羽の所に遣わして、「貴君は、どなたかの偽りの言葉によって、悪行を起こされてはなりません。我は、決して帝位に昇ろうという気持ちはありません。ただ、子嬰(シヨウ・三代皇帝。)の後、秦王朝が破れて乱れているのを、世を鎮めるために感楊宮を鎮圧して、貴君が帝位に昇っておいでになるのを待っているのです。どなたかの事実でない言葉をお信じになってはなりません。我は、この宮に逗留してはいますが、未だ玉璽(天子の印)も王国の財宝も動かさせてはいません」と伝えた。
項羽はこの事を聞くと、「高祖の言っていることを我は確かに聞いたが、直接会って語り合おう。されば、鴻門(コウモン・地名)に来るがよい。その所で会おう」と、日を定めて連絡させた。
その日になると、高祖は家臣をそれほど多く連れないで鴻門に行き会談に臨んだ。
項羽は、兵車千両・万騎の家臣を引き連れてやって来た。その中には、項伯が項羽の第一の家臣として加わっていて、今日は事を起こしてはならない旨を熱心に項羽に言上していた。それは、ひとえに張良と親しい友であるがゆえであった。
やがて、鴻門において会談する。
鴻門というのは、大きな門のことである。(実際は、単なる地名で、門があるわけではない。)そこに、大きな幕を引き渡して、その中にまず項羽・項伯らが入り、並んで東向きに席に着いた。その側には、南向きに項羽の家臣である范増(ハンゾウ)が着座している。范増は、熟練で軍事に精通していた。
その向かいには、北向きに高祖は着座した。高祖の家臣である張良は、西向きに少し控えて着座した。
やがて、これまでの経緯などについて会談する。
高祖は、自分には決して敵対する意志がないことを告げた。連れてきた家臣たちは皆門の下に待ち受けていて、心を奮い起こし、万が一に備えていた。
一方、范増は、項羽に目配せして、高祖刺殺の合図を送ったが、項羽はまったく無視する。( このあたり、破損部分が多く、推定した部分がある。)
そこで、范増は、「高祖を、必ず今日討ち取るべきである。もし、今日討たなければ、後で大いに後悔するだろう」と思って、項羽が信頼している家臣である項荘(項羽の従弟)という者を密かに呼び寄せて、「高祖を、今日、必ず討ち取るべきだ。どのように計略を立てればよいか」と相談して、「すぐに、この座において舞を披露するよう申し出よう。項荘がその舞人として剣を抜いて舞って、その座の辺りを舞ながら、高祖の所に近付いた時に、舞ってるようにして高祖の首を切り取ろう」と打ち合わせた。
それから、計画したように、舞を披露する旨申し出た。
その時、項伯は、その気配を見て取って、やはり張良が気の毒に思ったので、すぐに項伯も立ち上がって、共に舞って、高祖に立ち塞がって討ち取れないようにした。
すると、高祖はその気配を察知して、何気なく少しばかり立つようにして逃れた。そして、暇を請うために席に戻ろうとしたところ、高祖の家臣の燓会(ハンカイ)が強く制止して、席に返らせず連れて逃げた。同時に、張良を席に戻して、「これは、我が主君からの引き出物でございます」と言って、白璧一朱(ハクヘキイッシュ・白い輪型の玉、一双。)を項羽に奉った。玉斗(ギョクトウ・玉で出来た酒器。)を范増に与えた。范増はこれを受け取らず、打ち砕いて棄てた。
また、この燓会は、人間ではあるが、まるで鬼のようであった。一度に猪の肉片足を食べ、酒一斗を一口で飲んだ。
その後、項羽は陣を引いて還っていった。
その後(二年後の出来事)、項羽は高祖の許に使者を遣ったが、高祖は格別の宴席を準備して、使者をもてなそうとしたが、訪れたのが項羽からの使者だと知ると、用意させていた格別の宴席を中止させて、粗末な食事を出して、「実は、范増殿からの使者だと思ったので格別の宴席を準備していたのです。項羽からの使者であれば、その様な宴席はいりませんからなぁ」と言ったので、使者は帰ってから項羽にその事を話した。
項羽はそれを聞くと大いに怒り、「なるほど、范増は高祖と仲が良いと言うことだな。我はその事を知らなかった」と言った。
范増は、「我が主君は、思慮の足りない人物だ。前から思っていたことだ」と言って、項羽の許を去った。
また、項羽は、張良と項伯が親しい関係にあると聞き及んで、項伯に訊ねた。「どういうわけで、お前は我に臣従していながら、張良と仲が良いのだ」と。
項伯は、「かつて、始皇帝の御代に、我は張良と共に仕えていました時、我は、人を殺してしまったことがありました。ところが、張良はその事を知りながら、今まで誰にも告げようとしません。その恩を忘れることが出来ないからです」と答えた。
それから後のこと、高祖は感陽宮(感楊宮)に籠居し続け、軍を増強して、項羽を討つことを決心して、張良・燓会・陳平(家臣の一人)等と相談したうえで出陣した。
ところが、その途中で、白い蛇(クチナワ)に出会った。高祖はそれを見て、すぐに切り殺させようとした。
すると、その時、一人の老媼が現れて、白い蛇を殺そうとしているのを見て、泣きながら言った。「白き竜の子が、赤き竜の子に殺されようとしている」と。
これを聞いた人は、高祖は赤き竜の子だったのだ、ということを人々は知ったのである。
☆ ☆ ☆
* 最終部分は、欠文になっているようですが、「定型の結び」が欠けているだけのようです。
☆ ☆ ☆
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます