枕草子 第七十七段 頭の中将の・・その1
頭の中将の、すずろなるそら言をききて、いみじういひおとし、
「『なにしに、人と思ひ、褒めけむ』など、殿上にて、いみじうなむのたまふ」
と、きくにも恥づかしけれど、
「まことならばこそあらめ。おのづからききなほしたまひてむ」
と、笑ひてあるに、黒戸の前などわたるにも、声などするをりは、袖をふたぎて、つゆ見おこせず、いみじう憎みたまへば、ともかうもいはず、見も入れですぐすに、二月晦がた、いみじう雨降りて、つれづれなるに、御物忌にこもりて、
「『さすがに寂々しくこそあれ。ものやいひやらまし』となむ、のたまふ」
と、人々語れど、
「世にあらじ」
など、いらへてあるに、日一日、下に居暮らして、まゐりたれば、夜の御殿に入らせたまひにけり。
(以下割愛)
頭の中将が、いい加減な私に関する根も葉もないうわさ話を聞いて、私をひどく言いけなし、
「『どうして、まともな人間だと思ってほめたりしたのだろう』などと、殿上の間で、ひどいことをおっしゃってますよ」
と、人から聞くだけでも恥かしいのですが、
「うわさが本当のことなら仕方もないですが、そのうち本当のことが耳に入り、機嫌を直してくれるでしょう」
と思い、笑ってそのままにしていたのですが、頭の中将は黒戸の前などを通る時にも、私の声などがする時には、袖で顔をふさいで、全然こちらに視線を向けず、ひどくお憎みになるので、私の方でも、どうもこうも言わず、目にもとめないで過ごすうちに、二月の末、ひどく雨が降って所在ない折に、頭の中将が宮中の御物忌に籠っておられて、
「『交際を断っていると、さすがに寂しくて仕方がない。何か言ってやろうか』とおっしゃっている」
と女房たちが私のところにきて話してくれるのですが、
「まさか、そんなことはないでしょう」
などと、あしらってそのままにしているうち、一日中、自室でじっと過ごしてしまい、夜になって参上したところ、中宮様はもう御寝所にお入りになられていました。
女房たちは長押の下の間に、ともし火を近く取り寄せて、扁を継いでいる。(漢字の扁を示して、旁を次々加えていく遊びらしい)
「まあうれしい。早くいらっしゃいな」
などと、私を見つけて言うけれど、中宮様がご不在では興ざめな気持ちがして、「何のために参上したのだろう」と思ってしまいます。
炭櫃のそばに座っていますと、そこにまた女房たちが多勢集まってきて座り、お話などしていますと、
「誰それさんはおいでですか」(本当は清少納言を呼んだのを、故意に名を伏せた形をとっていると思われる)
と、とても派手な声で私を呼ぶのです。
「妙なことですねぇ。こちらに上がったばかりなのに、いつの間に私がいるのが分かったのでしょう。何の用事が出来たのでしょうか」
と若い女房に尋ねさせると、主殿(トノモリ)の官人が来ているという。
「少々、あなた様に直接申し上げねばならないことがあります」
と言うので、出て行くと、主殿寮の官人が言うには、
「これは頭の中将様があなたにお差し上げになります。ご返事を早く」
と言う。
「ひどく私をお憎みになっていらっしゃるのに、いったいどんな手紙だろうか」と思うけれど、今すぐに、急いで見るほどのことでもないので、
「もう、お行きなさい。すぐにご返事申し上げますよ」
と言って、ふところに入れて、そのまま続けて女房たちの話を聞こうとするかしないかのうちに、先ほどの官人が引っ返して来て、
「『ご返事がないのならば、さっきのお手紙を頂戴して来い』とお命じになります。御返事を、早く早く」と言うのです。
「まるで、かいをの物語じゃないの」(「かいをの物語」は不詳。このあたり諸説あるようですが、どれもしっくりきません)
と冗談を言って、手紙を見ますと、青い薄様の美しい紙に、とても麗しくお書きになっています。絶交宣言といったような、心配するような内容ではなかったのです。
「蘭省花時錦帳下」(白楽天の詩で、「はなやかな中央の官庁の錦の帳の下で、あなた方はさぞ楽しいことでしょう」といった意)
と書いてあって、「下の句は、いかに、いかに」とありますので、どうしてよいものかと困ってしまいました。
「中宮様がいらっしゃれば、お目にかけたいのですが、この下の句を、誰でも知っているような有名な詩を物知り顔に、へたくそな漢字で書くのも、全く見苦しいことですし」などと、あれこれ思案する暇もなく、主殿寮の官人がしつこく催促しますので、とりあえず、その手紙の奥の余白に、炭櫃に消え炭があるのを使って、
「草の庵を誰かたずねむ」(当代随一の歌人、藤原公任の句を借りたもの)
と書きつけて渡しましたが、それっきりで、ふたたび向こうからは返事も来ませんでした。
皆寝てしまい、あくる早朝、大急ぎで自分の局に下がっていましたら、源の中将の声で、
「ここに『草の庵』さんはいるか」と仰々しい言い方をしますので、
「変なことを言われますね。どうして、そんな人並みにもならない者がいましょうか。『玉の台』とでも言って、お訪ねになりましたら、返事もいたしましょうに」
と答えました。
「ああ、よかった。自室ということでしたねぇ。御前の方で聞いてみようとしていたのです」
と言って、
「昨夜の事の次第はですね、頭の中将の宿直所に、少し気の利いた者は全部、六位の蔵人までも集まって、いろいろな人のうわさを、昔、今と話しあっている時に、頭の中将が、
『やはりこの女(ヒト)とは、ぷっつり縁が切れてしまってからはどうも不便なことだよ。もしかしたら、向こうから何か言って来ることでもあるかと期待をしていたが、少しも気にかけた様子もなく、平気な顔をしているのも、随分しゃくにさわる。今夜は、悪いにしろ良いにしろ、はっきりと結論を出してしまいたいものだ』と言って、一同相談の上で届けた手紙を、
『今ここでは見まい、と言って中に入ってしまった』と、主殿寮の官人が言うので、また追い返して、『いきなり、手をつかまえて、有無を言わせずに返事を強引に受け取って帰ってくるのでなければ、手紙を奪い返せ』と頭の中将が厳しく言い聞かせて、あれほどひどく降る雨のさかりに使いにやったところ、いやに早く帰って来て、
『これです』と言って差し出したのが、さっきの手紙なものだから、
『返して寄こしたんだな』と言って頭の中将が一目見るや否や、叫び声を上げたので、『何なんだ』『どうしたんだ』と、みなが寄ってきて見たところ、
『大泥棒めが。これだから、やはり無視するわけにはいかないんだ』と言って、皆が見て大騒ぎとなり・・・」
(その2に続く)
頭の中将の、すずろなるそら言をききて、いみじういひおとし、
「『なにしに、人と思ひ、褒めけむ』など、殿上にて、いみじうなむのたまふ」
と、きくにも恥づかしけれど、
「まことならばこそあらめ。おのづからききなほしたまひてむ」
と、笑ひてあるに、黒戸の前などわたるにも、声などするをりは、袖をふたぎて、つゆ見おこせず、いみじう憎みたまへば、ともかうもいはず、見も入れですぐすに、二月晦がた、いみじう雨降りて、つれづれなるに、御物忌にこもりて、
「『さすがに寂々しくこそあれ。ものやいひやらまし』となむ、のたまふ」
と、人々語れど、
「世にあらじ」
など、いらへてあるに、日一日、下に居暮らして、まゐりたれば、夜の御殿に入らせたまひにけり。
(以下割愛)
頭の中将が、いい加減な私に関する根も葉もないうわさ話を聞いて、私をひどく言いけなし、
「『どうして、まともな人間だと思ってほめたりしたのだろう』などと、殿上の間で、ひどいことをおっしゃってますよ」
と、人から聞くだけでも恥かしいのですが、
「うわさが本当のことなら仕方もないですが、そのうち本当のことが耳に入り、機嫌を直してくれるでしょう」
と思い、笑ってそのままにしていたのですが、頭の中将は黒戸の前などを通る時にも、私の声などがする時には、袖で顔をふさいで、全然こちらに視線を向けず、ひどくお憎みになるので、私の方でも、どうもこうも言わず、目にもとめないで過ごすうちに、二月の末、ひどく雨が降って所在ない折に、頭の中将が宮中の御物忌に籠っておられて、
「『交際を断っていると、さすがに寂しくて仕方がない。何か言ってやろうか』とおっしゃっている」
と女房たちが私のところにきて話してくれるのですが、
「まさか、そんなことはないでしょう」
などと、あしらってそのままにしているうち、一日中、自室でじっと過ごしてしまい、夜になって参上したところ、中宮様はもう御寝所にお入りになられていました。
女房たちは長押の下の間に、ともし火を近く取り寄せて、扁を継いでいる。(漢字の扁を示して、旁を次々加えていく遊びらしい)
「まあうれしい。早くいらっしゃいな」
などと、私を見つけて言うけれど、中宮様がご不在では興ざめな気持ちがして、「何のために参上したのだろう」と思ってしまいます。
炭櫃のそばに座っていますと、そこにまた女房たちが多勢集まってきて座り、お話などしていますと、
「誰それさんはおいでですか」(本当は清少納言を呼んだのを、故意に名を伏せた形をとっていると思われる)
と、とても派手な声で私を呼ぶのです。
「妙なことですねぇ。こちらに上がったばかりなのに、いつの間に私がいるのが分かったのでしょう。何の用事が出来たのでしょうか」
と若い女房に尋ねさせると、主殿(トノモリ)の官人が来ているという。
「少々、あなた様に直接申し上げねばならないことがあります」
と言うので、出て行くと、主殿寮の官人が言うには、
「これは頭の中将様があなたにお差し上げになります。ご返事を早く」
と言う。
「ひどく私をお憎みになっていらっしゃるのに、いったいどんな手紙だろうか」と思うけれど、今すぐに、急いで見るほどのことでもないので、
「もう、お行きなさい。すぐにご返事申し上げますよ」
と言って、ふところに入れて、そのまま続けて女房たちの話を聞こうとするかしないかのうちに、先ほどの官人が引っ返して来て、
「『ご返事がないのならば、さっきのお手紙を頂戴して来い』とお命じになります。御返事を、早く早く」と言うのです。
「まるで、かいをの物語じゃないの」(「かいをの物語」は不詳。このあたり諸説あるようですが、どれもしっくりきません)
と冗談を言って、手紙を見ますと、青い薄様の美しい紙に、とても麗しくお書きになっています。絶交宣言といったような、心配するような内容ではなかったのです。
「蘭省花時錦帳下」(白楽天の詩で、「はなやかな中央の官庁の錦の帳の下で、あなた方はさぞ楽しいことでしょう」といった意)
と書いてあって、「下の句は、いかに、いかに」とありますので、どうしてよいものかと困ってしまいました。
「中宮様がいらっしゃれば、お目にかけたいのですが、この下の句を、誰でも知っているような有名な詩を物知り顔に、へたくそな漢字で書くのも、全く見苦しいことですし」などと、あれこれ思案する暇もなく、主殿寮の官人がしつこく催促しますので、とりあえず、その手紙の奥の余白に、炭櫃に消え炭があるのを使って、
「草の庵を誰かたずねむ」(当代随一の歌人、藤原公任の句を借りたもの)
と書きつけて渡しましたが、それっきりで、ふたたび向こうからは返事も来ませんでした。
皆寝てしまい、あくる早朝、大急ぎで自分の局に下がっていましたら、源の中将の声で、
「ここに『草の庵』さんはいるか」と仰々しい言い方をしますので、
「変なことを言われますね。どうして、そんな人並みにもならない者がいましょうか。『玉の台』とでも言って、お訪ねになりましたら、返事もいたしましょうに」
と答えました。
「ああ、よかった。自室ということでしたねぇ。御前の方で聞いてみようとしていたのです」
と言って、
「昨夜の事の次第はですね、頭の中将の宿直所に、少し気の利いた者は全部、六位の蔵人までも集まって、いろいろな人のうわさを、昔、今と話しあっている時に、頭の中将が、
『やはりこの女(ヒト)とは、ぷっつり縁が切れてしまってからはどうも不便なことだよ。もしかしたら、向こうから何か言って来ることでもあるかと期待をしていたが、少しも気にかけた様子もなく、平気な顔をしているのも、随分しゃくにさわる。今夜は、悪いにしろ良いにしろ、はっきりと結論を出してしまいたいものだ』と言って、一同相談の上で届けた手紙を、
『今ここでは見まい、と言って中に入ってしまった』と、主殿寮の官人が言うので、また追い返して、『いきなり、手をつかまえて、有無を言わせずに返事を強引に受け取って帰ってくるのでなければ、手紙を奪い返せ』と頭の中将が厳しく言い聞かせて、あれほどひどく降る雨のさかりに使いにやったところ、いやに早く帰って来て、
『これです』と言って差し出したのが、さっきの手紙なものだから、
『返して寄こしたんだな』と言って頭の中将が一目見るや否や、叫び声を上げたので、『何なんだ』『どうしたんだ』と、みなが寄ってきて見たところ、
『大泥棒めが。これだから、やはり無視するわけにはいかないんだ』と言って、皆が見て大騒ぎとなり・・・」
(その2に続く)
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