『 六道珍皇寺の鐘 ・ 今昔物語 ( 31 - 19 ) 』
今は昔、
小野篁(オノノタカムラ・平安時代初期の貴族。852 年没。)という人が、愛宕寺(オタギデラ・京都市東山区にある六道珍皇寺のこと。)を造り、その寺で使用するために鋳物師に鐘を鋳させたところ、鋳物師は、「この鐘は、撞く人がいなくても、十二の時ごと(およそ二時間ごとに。)に鳴るように造っています。その為には、土を掘って埋めて、三年間そのままにしておく必要があります。今日から数えて、三年に満ちた日のその翌日に、掘り出さなければなりません。それを、日が足らないうちに、あるいは日を遅らして掘り出したならば、申し上げたように、撞く人がいなくても十二の時ごとに鳴ることはありません。そのような細工をしてあるのです」と言って、鋳物師は帰っていった。
そこで、土を掘ってその鐘を埋めたが、その後、この寺の別当(事務を統括する僧)である法師が、二年を過ぎて三年目になったが、まだ丸三年になっていないのに、待ちきれなくなり、本当に鋳物師が言ったように鳴るのか気掛かりでもあり、あさはかにも掘り出してしまった。
その為、撞く人がいなくても十二の時ごとに鳴ることはなく、ただ普通にある鐘になってしまった。
「鋳物師が言うように、決められたその日に掘り出していれば、撞く人がいなくても十二の時ごとに鳴ったであろうに。そのように鳴ったなら、鐘の音が聞こえる所では時刻もはっきり分かり、すばらしいことであったろう。まことに残念なことをしてくれた別当だ」と、当時の人々は非難した。
されば、慌て者で忍耐力のない人は、必ずこのような失敗をするのだ。愚かで約束を守らないための結果である。
世間の人は、これを聞いて、決して約束を破るようなことをしてはならない、
となむ語り伝えたるとや。
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六道珍皇寺へはよく行きます!
この冬にお寺とお墓に行ってきました。
お寺は特別拝観の時期ではなかったので、外から井戸を見るだけとなりました。
また行ってみたいと思います❣️
今昔物語を延々と読み続けています。
ようやく八割ばかり終りましたが、中には、とても感銘を受ける作品もあります。
今後ともよろしくお願いいたします。
今昔物語には、他の説話集と共通していたり、後世の人が引用している作品が多くあるようです。小野篁は、個人的に大好きな人物です。
お母様と、温かく接しておられるご様子、感銘を受けております。
今後ともよろしくお願いいたします。