念仏ひとすじに ・ 今昔物語 ( 15 - 7 )
今は昔、
三井寺の北に梵釈寺という寺があった。
その寺に兼算(ケンザン・伝不祥)という僧が住んでいた。心に瞋恚(シンイ・怒り恨むこと。仏教では善心をそこなう三毒の一つとする。)を起こすことが全くなく、諸々の人を見ては、必ず物を与えようと思う心があった。従って、自身は財産らしい物は何も持たず、僧房の内にはわずかな物も貯えず、自然と手に入る物は、親しい者親しくない者の区別することなく、欲しがる者に与えた。
また、兼算は幼い時から道心があって、弥陀の念仏を唱え、とくに不動尊を念じ奉っていた。
さて、兼算がまだ若い頃のことであるが、夢の中に尊い姿の人が現れて、「お前は、前世において阿弥陀仏にお仕えした乞食であった」と告げた。
その後、このお告げを信じて長年の間念仏を唱えて過ごしていたが、ある時、重い病にかかって苦しみ悩んでいたが、七日を経た後、兼算は急に起き上って床に座った。そばにいた人は、病が少しばかり良くなったのだと見ていると、兼算は気分の良さそうな顔つきで、弟子の僧を呼んで、「我が命はすでに終わろうとしている。今、急に空の中から妙なる音楽が聞こえてきた。お前たちも、その音楽が聞こえたのか否や」と尋ねた。弟子は、「いいえ、聞いておりません」と答えて、僧房の内にいる者たちに尋ねたが、誰も聞いていないという。
そこで兼算は弟子たちを呼び寄せて、一同と共に念仏を唱えてしばらくするうちに、兼算は再び横になった。そして、弟子たちに告げた。「お前たちはなお念仏を唱え続けて、やめてはならぬ」と。
その後、兼算は手に阿弥陀の定印を結んで、西に向かい、その印が乱れることなく息絶えた。
弟子たちはこれを見て、「我が師は、きっと極楽に往生されたに違いない」と言って、涙ながらにさらに念仏を唱え、悲しみ尊んだ。また、これを聞いた人は皆、尊ばない者はいなかった。
「不思議なことだ」と言って語り伝えた話を聞き継いで、
此(カ)く語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
昔梵釈寺跡を何度も訪れました。私の持っている本は、新潮大成の今昔物語集本朝世俗部なのでこの話を知らず、知っていたらもっと良く見るんだったなあと思っています。
今は発掘後山の中の広場のようになって往時の様子は全く見えません。
この話からも、浄土宗がかなり広まっていたのが、わかりますね。
実地をご覧になったというお話は、初めて聞きました。コメントいただきすごく嬉しく感じました。
「今は昔」といっても、身近にその断片があると考えるだけでも楽しさが増します。
ありがとうございました。