『 安倍晴明という陰陽師 ・ 今昔の人々 』
天文博士である安倍晴明という優れた陰陽師がいた。
幼い時から、賀茂忠行という陰陽師に師事してその道を学んだが、その才能はただならぬものであったという。
多くの逸話が伝えられているが、その幾つかを紹介しよう。
晴明がまだ若かった頃、ある夜のこと、師の忠行が下京の辺りに出掛けたが、晴明はその供をして車の後ろを歩いていた。忠行は車の中ですっかり寝入っていたが、晴明がふと前方を見ると、何とも恐ろしい鬼どもがこちらに向かってくるのが見えた。牛飼いに見えなかったが、晴明には百鬼夜行を見抜けたので、すぐに忠行を起こして伝えると、忠行は鬼どもがやって来るのを確認すると、術法でもってたちまち自分たちの姿をすべて隠し、無事に鬼どもを行き過ぎさせることが出来た。
これによって、忠行は晴明を特に可愛がり、あらゆる法を教えたが晴明も期待通りに受け継いでいった。そして、この道の一人者として公私にわたり重用されるようになった。
ある時、晴明の邸に、一人の老僧が訪ねてきた。十四歳ほどの童を二人連れていた。
「どういうお方でしょうか」と晴明が尋ねると、
「私は播磨国の者でございます。ご高名をお聞きして、ほんの少しお教え願いたくて、やって参りました」と老僧が答えた。
晴明は心の内で、「この法師は、この道でかなりの腕前のようだ。私を試そうとして来たようだ。このような者に試されて、まずい結果になるのもおもしろくない。反対に、少しなぶってやろう」と、いたずら心が起きて、「法師の供をしている童は識神(シキジン・式神とも。陰陽師に使われる下級の精霊。)であろう。もしそうであれば、ただちに隠してやろう」と思うと、心の内で念じて、袖の内に両手を入れて、印を結び、密かに呪文を唱えた。
それから法師に答えた。「分かりました。ただ、今日は時間がありませんので、後日よき日を選んでおいで下さい。何でもお教えしましょう」と。
それを聞くと法師は、喜んで帰っていった。
しばらくすると、法師が戻ってきて、邸のあちこちを探している。それから、晴明の前にやってきて、「私の供の童二人がいなくなりました。それを返していただきたい」と言った。
晴明は、「おかしな事を申される。私があなたの供の童を取ったりするものですか」と答えた。そこで法師は、晴明の術によるものと気付き、試そうとした無礼を詫びたので、晴明が術を解くと、二人の童は外から走ってきた。
法師は、「昔から、識神を使う人は大勢いますが、人の使う識神を隠すことが出来る人は聞いたことがありません」と言うと、ぜひ弟子に加えてくれと申し出た。
また、別の事であるが、広沢の寛朝僧正と申す方の僧房でお話を伺っていた時、若い公達たちも同席していて、晴明にいろいろと話しかけ、「あなたは、識神を使われるそうですが、即座に人を殺す事も出来ますか」と尋ねた。
晴明は、「いえ、そう簡単に殺す事など出来ません。しかし、少し力を入れさえすれば必ず殺す事が出来ます。虫などはごく簡単に殺せますが、生き返らせる方法を知りませんので、無益な殺生は避けています」と答えた。
ちょうどその時、蛙が五つ六つばかり池の辺りで飛び跳ねているのが見えた。
一人の公達が、「では、あの蛙を一匹殺して見せて下さい」と強く申し出た。
「罪作りなお方だ。そこまで仰せなら、試してみましょう」と言って、草の葉を摘んで、呪文を唱えながら蛙の方に投げると、草の葉が蛙の方に向かっていったかと思ううちに、蛙はぺしゃんこになって死んでしまった。
これを見ていた僧たちも公達たちも、真っ青になって震え上がった。
この晴明は、邸の中に人のいないときは、識神を使っていたらしい。誰もいないはずなのに、蔀が上げ下げされ、門が閉ざされたり開けられたりした。こうした不思議な事がたくさんあったという。
その子孫は今も朝廷に仕えていて、重んじられている。その邸は今も伝えられているが、つい最近まで識神の声らしいものが聞こえたと言っている。
このように、安倍晴明にまつわる不思議な話が多く伝えられているが、どうやら、大変な能力を持った陰陽師であったようだ。
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( 「今昔物語 巻二十四の第十六話」を参考にしました。)
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