諸仏を尋ねる ・ 今昔物語 ( 14 - 18 )
今は昔、
明蓮(ミョウレン・伝不詳)という僧がいた。
幼くして親の家を出て、法隆寺に住み、師について法華経を習い、日夜に読誦していた。後には、そらで誦し奉ろうと思い立って、第一巻より第七巻に至るまではそらで誦することが出来た。ところが、第八巻に至ると忘れてしまってそらで誦することが出来なかった
そこで、長年にわたって暗誦しようと唱え続けたが、ますます忘れて、第八巻はどうしても覚えられない。わが資質の鈍なるのを嘆いて、「そうであれば、前の七部も覚えられないはずだ。もし資質が聰敏であるならば、第八巻も覚えられるはずなのに、どういうわけで、前の第七巻までは一年で覚え、第八巻だけは何年経っても覚えられないのだろう。されば、仏神に祈請して、この事を教えていただこう」と思い、稲荷に参って、百日籠って祈請したが、何の験(シルシ)もなかった。
長谷寺、金峰山(ミタケ/キンプセン)に、それぞれ一夏の間(夏安居の九十日間)籠って祈請するも、やはり験がない。さらに、熊野に参って百日籠って祈請すると、夢の中に熊野権現のお告げがあった。
「我はこの事については何も出来そうにない。速やかに住吉明神にお願いするがよい」と。そこで明蓮は、すぐさま住吉明神に参って、百日籠ってこの事を祈請すると、明蓮の夢の中で住吉明神が、「我もまたその方法を知らない。速やかに伯耆国の大山に参ってお願いするがよい」と告げた。
明蓮は、また夢のお告げに従って、すぐさま伯耆国の大山に参って、一夏の間、心を尽くしてこの事を祈請すると、夢の中に現れて、大知明菩薩(ダイチミョウボサツ・「知明」部分は欠字なっている。大智明神とも。)が告げた。「我が、お前の前世の因縁を説いてやろう。疑うことなく、信じるべし。前世のことであるが、美作国の人が、食糧用の米を牛に載せて、この大山に参詣し、牛を僧房につないでおいて、主人は神殿にお参りした。その僧房には、法華経の信奉者がいて、初夜(午後八時頃)から法華経を読誦していた。第七巻まで読んだとき夜が明けた。牛は、夜もすがら経を聞いていたが、主人が帰ってきたので、第八巻は聞くことなく、主人に連れられて本国に帰ってしまった。その牛というのは、お前の前世の身である。法華経をお聞きしたことによって、畜生の身を離れて人間の身となり、僧となって法華経を誦している。だが、第八巻を聞かなかったので、今生において、その巻を覚えることが出来ないのだ。お前は、三業(サンゴウ・業を三分類したもの。身(身体)口(ク・言語表現)意(心)の三つに基づく行為によって生ずる罪障の総称。)を正しく保って法華経を読誦すれば、来世には兜率天(トソツテン・天界の一つで、内院は弥勒の浄土。)に生まれることが出来るだろう」と。そこで明蓮は夢から覚めた。
その後、明蓮は前世の因縁を明確に知り、心をこめて権現(大知明菩薩を指す)に申し上げた。「愚かな牛が法華経を聞いて、畜生の苦しみから離れ、人の身として生まれ法華経を信奉する僧となりました。ましてや、人として仏説の如くに修業をすれば、その功徳はいかばかりでしょうか。ただ、仏のみがご存知のことでしょう。願わくば、私はこれから先の世々において諸仏にお会いして、将来生まれつく生々において法華経をお聞きし、常に怠ることなく修業を続けて、無常菩提(最高の悟り)を悟りたいものです」と。このように願を立て終わると、権現を礼拝して帰って行った。
その後の明蓮の消息は分からない、
となむ語り伝へたるとや。
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