雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

選定を争う ・ 今昔物語 ( 巻24-29 )

2017-02-11 08:38:59 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          選定を争う ・ 今昔物語 ( 巻24-29 )

今は昔、
藤原資業(フジワラノスケナリ)という文章博士がいた。鷹司殿(タカツカサドノ・藤原道長の妻倫子の屋敷)の御屏風の色紙形(シキシガタ・屏風の面に色紙の形の空白を設け、それに詩歌を書きつけるようにしたもの)に書くべき詩を、詩文に優れた博士たちに命じて作らせたが、この資業朝臣の詩が多く採用された。

その頃、斉信(タダノブ)民部卿大納言という人がいた。学才があり文章(モンジョウ・漢詩文)に優れているという事で、勅命を受けてこの詩の選定をされたが、資業の詩が多く採用されたことを、当時の藤原義忠(フジワラノノリタダ)と言う博士が、これを妬ましく思ったのか、宇治殿(ウジドノ・道長の子、頼通。平等院を創建)が[ 欠字あり。官職名が入るか? ]であられたが、義忠は訴え出た。
「この資業朝臣の作った詩は、大変おかしな詩ばかりです。他声(タショウ)にして平声(ヘイジョウ)に非ざる字共有り。(詩の文字の選定が適切でないことを言っているらしいが、うまく訳せず。)難点の多い詩です。しかし、これは、資業が現職の受領なので、斉信大納言がその饗応を受けて採用なさったのです」と。当時、資業は[ 欠字あり。丹波か播磨のいずれかか? ]守であった。

斉信民部卿大納言はこの事を伝え聞いて、大変憤り、これらの詩は、みな麗句微妙にして、選定にあたって私情はないと弁明されたので、宇治殿は義忠の訴えをとても納得できないものと思われて、義忠を召し出して、「どういうわけで、このようなでたらめを申し立てて、事を紛糾させようとするのか」と責め咎められた。
義忠は恐縮して蟄居した。明くる年の三月になって許された。
そこで義忠は、ある女房に託して、宇治殿に和歌を奉った。
 『 あおやぎの 色の糸にて むすびてし 怨みをとかで 春のくれぬる 』
 ( 資業の和歌を非難し、義忠自身の恨みをこめたものらしいが、うまく説明できません。)
この後、これといった仰せもなく、そのままに終わった。

これを思うに、義忠も非難する所があったので、非難したのであろう。ただ、斉信民部卿は当時人望のある人だったので、「私情を交えるという評判を取らないように」という、配慮があったのか。また、資業にしても、人の非難を受けるような詩はよもや作らなかっただろう。
この争いも、ただ才能を競うことから起きた出来事である。しかし、義忠が斉信民部卿に対して放言したのは良くない、と人々は言って義忠を非難した、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 紫式部の父 ・ 今昔物語 ( ... | トップ | 天神のお告げ ・ 今昔物語 ... »

コメントを投稿

今昔物語拾い読み ・ その6」カテゴリの最新記事