『 山の嵐の寒けくに ・ 万葉集の風景 』
み吉野の 山の嵐の 寒けくに
はたや今夜も 我が独り寝む
作者 文武天皇
( 巻1-74 )
みよしのの やまのあらしの さむけくに
はたやこよひも あがひとりねむ
意訳 「 み吉野の 山おろしの風が 寒いのに もしや今夜も 独りで寝るのだろうか 」
* 作者の第四十二代文武天皇(モンムテンノウ・即位前は軽皇子)の父は、草壁皇子です。
草壁皇子は、天武天皇の第三皇子で、母は持統天皇です。両親の、とりわけ持統天皇の期待を一身に担って、早くから政務に関わっていましたが、即位することなく、二十八歳で崩御しました。
その後は、持統天皇にとっては孫に当たる軽皇子の成長を待ち続け、十五歳になるや譲位し、文武天皇が誕生しました。
しかし、その文武天皇も在位十一年ほどで、二十五歳の若さで亡くなっています。
* 掲題歌の題詞には、「大行天皇 吉野宮に幸(イデマ)せる時の歌」とありますので、吉野に行幸した時の歌だと分ります。
なお、大行天皇(ダイギョウテンノウ)というのは、天皇が亡くなった後、まだ諡号が決められていない場合に使われます。ここでは、文武天皇を指しています。
* 掲題歌は、ごく分りやすい状況を歌っていますが、実は、吉野は、持統天皇は三十一回も行幸しているという特別な土地なのです。
文武天皇にとっても、この地は格別の意味を持っていたでしょうし、単なる儀礼訪問というより、何かの願いなり決断を胸に抱いていたのかもしれません。
また、古代人は夜を現代人以上に、畏れ、不吉といった感情を抱いていたようですし、「独り寝」も、単なる寂しさではなく、居城を離れている不安も加わっているのかもしれません。
後見者はいたとしても、まだ若くして即位した天皇の孤愁のようなものが聞こえてくるような気がするのです。
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