雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

しばらくは トランプ トランプ

2025-01-21 18:35:27 | 日々これ好日

     『 しばらくは トランプ トランプ 』

    もしトラ から かくトラに
    当選した後は 現大統領を凌ぐ存在感
    それも 正式就任により 
    本当のトランプ 一本となる
    しばらくは その一言一句に 一喜一憂するのだろうが
    悪い面ばかり では ないはずだ 
    わが政権も 負けないほどの迫力を 期待したい

                   ☆☆☆
    
   

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一条天皇退位へ ・ 望月の宴 ( 133 )

2025-01-21 08:03:38 | 望月の宴 ④

     『 一条天皇退位へ ・ 望月の宴 ( 133 ) 』


まことに驚き入ったことに、帥宮(敦道親王。和泉式部と恋愛関係にある人物。)が思いがけなく、ほとんど患うこともなくお亡くなりになってしまわれたことは、なんとも哀れで悲しいことである。

今上(一条天皇)の一の宮(敦康親王。生母は定子。十二歳。)が元服なさったので、式部卿にとお思いであったが、それには東宮の一の宮(敦明親王)がすでに就いておられる。中務卿も東宮の二の宮(敦儀親王)がいらっしゃるので、ただ今のところ空席であるので、今上の一の宮を帥宮と申し上げることになった。
一の宮は、ご学才も深く、思慮も深くていらっしゃるにつけても、帝はたいそうお可愛がりになり、人知れず秘蔵っ子と思いになっていて、一品(イッポン・皇族の最高位)におさせになられた。それも、本来ならば、一の宮が跡を継ぐべきものを、しっかりとした御後見がない有様では、それは叶わぬ事と断念なさったことが、かえすがえすも残念な御宿命であることよと、悲しくお思いになられたのである。
中宮(彰子)は、帝のご様子を見奉って、何としても帝の御在位中に、ぜひともこの宮の御事を御意通りに実現させたいとのみ、お気にかけられていらっしゃった。

しかし、近頃では、帝は「何とか早く譲位したい」とお望みになり、仰せになられるので、中宮はたいそう心細いお気持ちである。
ところが、愛らしいお姿の宮たちが引き続いていらっしゃる有様を、行く末頼もしくめでたいことだと、世間の人々は取沙汰しているのだった。

こうして、帝は何とかして退位なさりたいとばかり仰せであるが、殿の御前(道長)はお聞き入れにならないうちに、いつもと違ってお苦しそうにしていらっしゃるので、どうしたことかと用心なさって、御物忌をなさった。
中宮も心穏やかならずお嘆きになられていたが、帝はいよいよお苦しさがひどくなられるようなので、これ以上重くおなりになってはと、万事御判断が出来るうちに、ぜひともご退位のことをとお思いである。
御物の怪なども、さまざまに現れるご様子である。この頃は、一条院(内裏が焼亡し仮御所に移られていた。)にお住まいであった。夏のことなので、元気な者でも楽でない季節なので、帝がたいそうお苦しそうになさっているのを、見奉る人々も気持ちが重く嘆かれている。
六月の七、八、九日頃のことである。

「今は、こうして退位しようと思うので、然るべき対応を執り行うように」と仰せになられるので、殿(道長)が御意を承って、東宮にご対面なさるのが先例になっているとして、そのつもりであられたが、次の東宮には帝は一の宮(敦康親王)をお立てになりたいとお考えであろうと、中宮のお心の中でもそのようにお決めになっていらっしゃったが、帝がお越しになって、東宮との対面のご準備をなさる。
世間の人々は、「いかなる結果になるのか」と、早く知りたいと取沙汰しているが、一の宮に近い方々は、「若宮(敦成親王)があのように頼もしく、たいそう立派な御仲から光り輝くようにお生まれになったからには、とても無視出来るものではなく、きっと若宮がお立ちになるだろう」との思いを述べ、またある者は、「いやいや、そうではあるまい。一の宮こそがお立ちになる」などと、推量し合っている。

       ☆   ☆   ☆

 

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間もなく米大統領就任式

2025-01-20 18:45:33 | 日々これ好日

     『 間もなく米大統領就任式 』

   あと数時間で 米大統領就任式が行われる
   就任後数時間で 100以上の大統領令に署名すると広言
   その内容も 幾つか伝えられている
   現地は既に お祭り騒ぎなのだろうが
   大統領令の影響が 心配されている人や国などは
   対応に 大わらわなのだろう
   わが国とて しばらくは 騒がしいことだろう

                ☆☆☆
   


 

   

    

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我が子羽ぐくめ ・ 万葉集の風景

2025-01-20 07:59:07 | 万葉集の風景

     『 我が子羽ぐくめ ・ 万葉集の風景 』  


 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば
       我が子羽ぐくめ 天の鶴群

           作者  遣唐使の母

( 巻9-1791 )
    たびびとの やどりせむのに しもふらば
             あがこはぐくめ あめのたづむら

意訳 「 旅人が 仮寝をする野に 霜が降るようであれば 我が子を羽で守ってやっておくれ 天かける鶴たちよ 」


* 遣唐使に任命されることは、大変名誉なことであったのでしょうが、その旅は、まさに命がけで、多くの船が難破し多くの人が命を失っています。送り出す母の気持ちは、天かける鶴の群にさえ祈る、切ないものだったことでしょう。
この歌は「反歌」となっていて、一つ前には「長歌」が載せられていますが、こちらの方はさらに切ないものです。


( 巻9-1790 )
    題詞
天平五年癸酉 遣唐使の船 難波を発ちて 海に入る時に 親母の子に贈る歌一首

秋萩を 妻問ふ鹿こそ 独り子に 子持てりといへ 鹿子じもの 我が独り子の 草枕 旅にし行けば 竹玉を しじに貫き垂り 斎瓮に 木綿取り垂でて 斎ひつつ 我が思ふ我が子 ま幸くありこそ

「 あきはぎを つまどふかこそ ひとりごに こもてりといへ かこじもの あがひとりごの  くさまくら たびにしゆけば たかたまを しじにぬきたり いはひへに ゆふとりしでて いはいつつ あがおもふあがこ まさきくありこそ 」

意訳 「 秋萩(可憐な牝鹿を指す)を 妻問う鹿こそ 一人の子を持つという(鹿は一産一子)。その鹿の子のように 私のたった一人の子が 草を枕の 旅に出ていくので 竹玉を たくさん緒に通して垂らし 斎瓮に木綿を取り付けて下げ 身を慎んで 私の何よりも大切な私の子よ どうぞ無事でいておくれ 」
なお、竹玉は、竹の輪切りに似た円筒状の装飾品で大変高価であったらしい。

斎瓮は、神事に用いる土器。
木綿は、木の皮から取る繊維で、後世の「わた」とは違う。


* 作者の子が、どのような地位の人であったのかは不明です。正使や副使でなくとも、相応の地位であれば、名前が残されている可能性が高いと思われます。かと言って、これだけの歌を残した女性の子ですから、単なる雑役夫として徴用された人の母とも思えないような気がします。
いずれにしても、子を思う母の懸命の歌を、うまく意訳出来ないのが残念です。
同時に、この歌などこそが、万葉集の存在価値を高めているような気がするです。

       ☆   ☆   ☆

  



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好天の一日

2025-01-19 18:23:59 | 日々これ好日

      『 好天の一日 』 

   当地は 今年になって 一番暖かだった
   朝は結構冷え込んだが 日中は春を思わすほどの陽気だった
   関東は寒かったようだが 全国的に暖かで
   大学入学共通テストも 前半部分は無事に行われたようだ
   わが家の庭も 枯れ木枯れ草が賑わっているが
   今日は少しばかり 刈り取ることが出来た
   あと数日は こうした陽気らしい
   大寒に向かうこの時期に ありがたいことだ

                 ☆☆☆
    

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人の値打ちが分る時 ・ 小さな小さな物語 ( 1845 )

2025-01-19 08:06:16 | 小さな小さな物語 第三十一部

一昨日17日は、阪神淡路大地震から30年を迎えた日でした。
各地で多くの追悼行事が行われ、天皇皇后両陛下も神戸においで下さいました。
ここしばらくは、関西では、新聞もテレビも、このニュースであふれていましたが、どうやら、今日あたりは、その種のニュースは殆ど見かけなくなることでしょう。
30年というのが、どの程度大きな意味を持っているのか、節目になる年なのかは分りませんが、ずいぶん長い時間だということは確かでしょう。
神戸をはじめとして、周辺の都市も、相当凄まじい被害を受けた場所もたくさんありましたが、すでに、その痕跡を見つけるのが難しいまでに復興を果しました。
しかし、このところの報道を見ていますと、人々が負った心の傷というものは、そう簡単に完治するものではなく、むしろ、増幅する部分も小さくないのだと教えられる思いでした。

当時、私の住居も勤務先も、甚大な被害を受けた地域からは少し離れていましたので、門塀や建物に少々の被害を受けただけですみました。しかし、同僚全員の安全が確認出来るまでには丸二日余りを要しました。
震災後の数ヶ月間の生活、私の場合は職場での対応でしたが、今思い出しても、よく乗り越えられたものだという気がします。
取引関係の中には、亡くなったり、家族を亡くされた人もいましたし、自宅も住居も燃えてしまった人もいました。小学校の体育館に非難されていた人を見舞った時に、「もう、駄目ですよ」と中小企業を経営していた親父さんが声を挙げて泣く姿に、掛ける言葉もありませんでした。
一方で、とてもありがたい経験もさせていただきました。災害発生から二か月ばかりは、私は朝5時頃に勤務先に入り、自分で出来る仕事は8時頃までに終え、後は、大半の社員は飲み水に困っていましたので、それを何とか集めることや、被災の大きかった取引先などとの対応などにあたっていました。そうしたある日、早朝に勤務先に着くと、その入り口近くに、何ケースもの飲料水の箱が積み上げられていました。そこには、「わずかですが社員の方々に」とのメモ書きが挟まれていました。50km以上離れた取引先でした。

当時のことを思い返してみますと、相当の被害を受けた人の中にも、「ハイ」になっていた人が少なくなかったような気がします。「火事場の馬鹿力」などというのは適切な表現ではないかもしれませんが、壊滅的な生活基盤を建て直すために、「つま先立ちで走り回るような状態」を続けていた人を何人も見たような気がします。同時に、「全くの無気力」に陥っている人もいましたし、残念ながら、「この機に一儲けを」という状況にも出会いました。
被害からいえば、ほんのかすり傷にもあたらない程度でしたが、私はこの期間に、多くのものを教えられたような気がします。

人は、平穏な状態であれば、賢いことも立派なことも言えます。
しかし、逆境に立ったとき、どういう振る舞いが出来るかが、その人の本当の価値ではないでしょうか。
かつて、ある著名な方(多彩な身分を持っていた)から、こんな話を聞いたことがあります。
「金持ちの人が金持ちの間は立派なことが言える。貧乏人が貧乏の間は賢いことが言える。ところが、金持ちが貧乏になったり、貧乏人が大金をつかんだ時には、そうはいかない。その時にこそ、その人物の値打ちが分る」といっものでした。
幸か不幸か、私は金持ちになったことがありませんし、明日食べる物がないというほどの貧乏も経験していません。つまり、本当の値打ちを示す機会もなかったということになります。幸か不幸か分りませんが。
おそらく私の生涯はこの状況が続きそうな予感があるのですが、もし、大金持ちになるか、明日の食べ物もなくなってしまった時に、どういう行動が取れるのか、根性を鍛えておくことも必要な気もするのですよ。

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トランプ氏と習氏が電話会談

2025-01-18 18:32:14 | 日々これ好日

    『 トランプ氏と習氏が電話会談 』

   トランプ次期大統領と 習近平国家主席が
   17日に 電話会談をしたとの報道
   大統領就任を控えての 慌ただしい会談だが
   今行うだけの 意味があるのだろう
   難問山積みの 米中関係が
   一度の電話会談で どうなるわけでもないだろうが
   米中間の軋轢は さらに増すことが懸念されているだけに
   トランプ氏の就任前の意思疎通は 必要だろう
   現在の世界にとって 米中間の安定した関係確立は
   何よりも望まれる 
   世界は固唾を呑んで 見守っている

                   ☆☆☆

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キャットスマイル  微笑みをありがとう ( ご案内 )

2025-01-18 08:04:55 | キャットスマイル 微笑みをありがとう

        キャットスマイル

           微笑みをありがとう



          全体で十二回の中編の小説です。ぜひ、ご覧下さい。

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鎮魂の一日

2025-01-17 18:48:35 | 日々これ好日

     『 鎮魂の一日 』

   阪神淡路大震災から 30年が過ぎた
   神戸市を中心に 各地で鎮魂の行事が行われた
   深刻な被害を受けた 方々に比べると
   かすり傷ほどの 被害だったが
   阪神高速道路が 倒れる姿や
   その後数か月間の街の様子は 今も思い浮かんでくる
   街は蘇ったが 人の心は 同じように行かないようだ
                   合 掌

                   ☆☆☆ 

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天竺から来た天狗 ・ 今昔の人々

2025-01-17 08:01:26 | 今昔の人々

     『 天竺から来た天狗 ・ 今昔の人々 』


天竺に大変優れた天狗がいた。
天竺(印度)で学ぶ事がなくなったのか、震旦(中国)に渡ろうとして飛び立ったが、海の水の一筋が、
『 諸行無常 是生滅法 生滅々已 寂滅為楽 』
( ショギョウムジョウ ゼショウメッポウ ショウメツメツイ ジャクメツイラク )
「 万物の無常なることは 必然の法則であるが 生滅変化の法を超越して初めて涅槃に達し 安楽自在の境地を得る・・・涅槃経の一部 」
と鳴っているので、天狗は、「海の水がこのような尊く深遠な法文を唱えるはずがない」と不思議に思い、「この水の正体を突き止めて、邪魔をしてやらねばならない」と思って、水の音を追っていったが、震旦に至っても、まだ同じように鳴っている。

震旦を過ぎて、なお追っているうちに日本の境の海まで来たが、なお鳴っている。
そこから、筑紫の波方(博多)の津を過ぎ、文字(門司)の関まで来て聞いてみると、少し声が大きくなっている。
天狗はいよいよ怪しく思い、水からの声を追っていくと、国々を過ぎて淀川の河口まで来た。さらに大きくなっている声を追って、淀川から宇治川に至り、さらに川上に上っていくうちに近江の湖に入った。さらに大きくなった声を尋ねていくと、比叡山の横川(ヨカワ・東塔、西塔と共に比叡山三塔の一つ。)から流れ出ている一筋の川に入ったが、法文を唱える声はさらに大きくなり耳を塞ぎたいほどである。
川の上流を見ると、四天王や諸々の護法童子がいて、川の水を護っている。これを見た天狗は、驚いて近くに寄ることも出来ない。不審に思いながら隠れて声を聞いていたが、恐ろしくて仕方がない。

しばらくそうしていると、それほど法力がなさそうな天童子が近くにいるので、天狗は恐る恐る近寄って、「この川の水が、このように尊く深遠な法文を唱えているのは、どういうわけでしょうか」と尋ねた。
天童子は、「この川は、比叡山で学ぶ多くの僧の厠からの水の流れ道になっています。そのため、このように尊い法文を水も唱えているのです。それで、このように天童子もお護りしているのです」と答えた。
天狗はこれを聞いて、「声のもとを邪魔してやろう」という心がたちまち消え失せてしまった。「厠から流れ出た水でさえこのように深遠な法文を唱えている。いわんや、この山の僧たちはどれほど尊いのだろうか。されば、我もこの山の僧になろう」と誓うと姿を消してしまった。

さて、その後、この天狗はどのような修行をしたのだろうか。
宇多法皇の御子に、兵部卿有明親王(正しくは、醍醐天皇の第七皇子。)と言う人がいらっしゃるが、その北の方の御腹に宿って生れたのである。
そして、誓いの通り、比叡山の僧となり、延昌僧正の弟子となり、僧正にまで昇られたが、名前を明救(ミョウグ)と申される。
このように、たいそうな霊験をお持ちのお方には、不思議な前世があるものなのだろうか。

     ☆   ☆   ☆
        ( 「今昔物語 巻二十の第一話」を参考にしました )

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