観音寺裏の墓地にある小高い丘に如意輪観音石仏がある。
講中世話人が寄せた石仏は弘仁二年(810)八月吉日の刻印が見られたが如輪観音石仏が各地で奉られた年代とは大幅に違う。
どうやら見誤った山添村大塩の如輪観音石仏は次の機会に再訪することとした。
この日に訪れたのはカヤアゲ行事。
カヤアゲは茅を上げることであるが、実際は寺座と宮座年番の引き継ぎである。
年中行事費用を立て替え(入り用)していたドウゲと呼ばれる年番は引き継ぐ際に区費用で賄った費用を清算する。
午前中に寄りあった二人の年番さんは八柱神社の清掃にあたった。
夕刻になれば再び参集する二人。
集まる場所は集会所でもある村の構造改善センターだ。
それまでの時間を過ごした大塩。
南のほうの山は伐採された土面が露出している。
橿原考古学研究所が行っている大塩城跡周囲の発掘作業だ。

露出した山肌から「ぎょうさんの地蔵さんが現れた」と話すドウゲのFさん。
柳生宗厳の妹が大塩氏に嫁いだと伝わる。
山城からマトバ(的場)に向けて弓打ちをしていたと伝わっているとYさんが話す。
前日に行われた八柱神社の社守(宮守)さんは任期の2年を勤めて引き継いだが、カヤアゲに参列する。
その役目はドウゲの引き継ぎの立会人。
今年度の行事に際してはつつがなく済ませることができたと口上を述べる寺座のドウゲ。
引き継ぎの儀式は寺座が仕切るのである。
その社守さんが立ち会うのが寺座と宮座の年番になるドウゲの引き継ぎである。

それぞれの座箱に納めていた寺行事、宮行事の資料をもってドウゲの仕事内容を説明しながら伝えていく。
行事の内容は資料に書かれているからそれらの段取りをどうするかである。
経験談を交えながら説明する二人。
行事に参列するぐらいでは判らない経験ないようであるがおよそ30分で終えた。
こうした引き継ぎがきちんとされているかを確認するのが立会人。
引き継いだ座箱を寄進したのは立会人であったのだ。
27日は村の総会。
そこでは村の行事について意見交換されるという。
無事に引き継ぎを終えた5人はほっとされて直会の場となった。
その場で話題になったカヤアゲの名の謂れ。
かつての観音寺は萱葺きだった。
かつては12月25日に村の人たちが萱を持ってきた。
1戸について1束の萱を持ち寄った萱を観音寺の屋根裏のツシ(土敷)に揚げる。
そのときに行われていた引き継ぎである。
子供の頃だったというから随分と前のことのようだ。
何年間も寄せた萱が溜まれば屋根を葺き替える。
今でも萱葺き職人が住む大塩に二人。
隣村の堂前にも住んでいるという。
萱葺き屋根だった観音寺は瓦に葺き替えられた。
それからは萱を持ち寄ることはなくなったがカヤアゲの名称だけが残ったというドウゲの引き継ぎである。
27日は神社の注連縄掛けがある。
社守さんの最後の仕事だと話す。
ちなみにドウゲもまだ役目を終えたわけではない。
諸事情で1ヶ月間を次のドウゲに代わってもらった。
その期間がまだ残っているというから実にややこしい。
会食の合間はこの日に撮った発掘地蔵の地を拝見する社守さんとドウゲ。
7月行事の風の祈祷札立てに同行した際に教えてもらった七ツ地蔵。
そこは「ギョウジャ」と呼ばれる地。
死刑の場であったと社守さんが話す。
三人で探した「カサガミ」さんは耳の神さんだと話す。
「さすがに長老はよく存じあげている」と話す二人のドウゲだった。
ちなみに40年前までの社守は終身制だったそうだ。
社守の初仕事は1月1日。
カンヒキの人たちが朝から並ぶ。
元日は大塩の正月祝い。
初老や還暦、米寿祝いの元旦祭はモチ御供で祝うそうだ。
(H24.12.23 EOS40D撮影)
講中世話人が寄せた石仏は弘仁二年(810)八月吉日の刻印が見られたが如輪観音石仏が各地で奉られた年代とは大幅に違う。
どうやら見誤った山添村大塩の如輪観音石仏は次の機会に再訪することとした。
この日に訪れたのはカヤアゲ行事。
カヤアゲは茅を上げることであるが、実際は寺座と宮座年番の引き継ぎである。
年中行事費用を立て替え(入り用)していたドウゲと呼ばれる年番は引き継ぐ際に区費用で賄った費用を清算する。
午前中に寄りあった二人の年番さんは八柱神社の清掃にあたった。
夕刻になれば再び参集する二人。
集まる場所は集会所でもある村の構造改善センターだ。
それまでの時間を過ごした大塩。
南のほうの山は伐採された土面が露出している。
橿原考古学研究所が行っている大塩城跡周囲の発掘作業だ。

露出した山肌から「ぎょうさんの地蔵さんが現れた」と話すドウゲのFさん。
柳生宗厳の妹が大塩氏に嫁いだと伝わる。
山城からマトバ(的場)に向けて弓打ちをしていたと伝わっているとYさんが話す。
前日に行われた八柱神社の社守(宮守)さんは任期の2年を勤めて引き継いだが、カヤアゲに参列する。
その役目はドウゲの引き継ぎの立会人。
今年度の行事に際してはつつがなく済ませることができたと口上を述べる寺座のドウゲ。
引き継ぎの儀式は寺座が仕切るのである。
その社守さんが立ち会うのが寺座と宮座の年番になるドウゲの引き継ぎである。

それぞれの座箱に納めていた寺行事、宮行事の資料をもってドウゲの仕事内容を説明しながら伝えていく。
行事の内容は資料に書かれているからそれらの段取りをどうするかである。
経験談を交えながら説明する二人。
行事に参列するぐらいでは判らない経験ないようであるがおよそ30分で終えた。
こうした引き継ぎがきちんとされているかを確認するのが立会人。
引き継いだ座箱を寄進したのは立会人であったのだ。
27日は村の総会。
そこでは村の行事について意見交換されるという。
無事に引き継ぎを終えた5人はほっとされて直会の場となった。
その場で話題になったカヤアゲの名の謂れ。
かつての観音寺は萱葺きだった。
かつては12月25日に村の人たちが萱を持ってきた。
1戸について1束の萱を持ち寄った萱を観音寺の屋根裏のツシ(土敷)に揚げる。
そのときに行われていた引き継ぎである。
子供の頃だったというから随分と前のことのようだ。
何年間も寄せた萱が溜まれば屋根を葺き替える。
今でも萱葺き職人が住む大塩に二人。
隣村の堂前にも住んでいるという。
萱葺き屋根だった観音寺は瓦に葺き替えられた。
それからは萱を持ち寄ることはなくなったがカヤアゲの名称だけが残ったというドウゲの引き継ぎである。
27日は神社の注連縄掛けがある。
社守さんの最後の仕事だと話す。
ちなみにドウゲもまだ役目を終えたわけではない。
諸事情で1ヶ月間を次のドウゲに代わってもらった。
その期間がまだ残っているというから実にややこしい。
会食の合間はこの日に撮った発掘地蔵の地を拝見する社守さんとドウゲ。
7月行事の風の祈祷札立てに同行した際に教えてもらった七ツ地蔵。
そこは「ギョウジャ」と呼ばれる地。
死刑の場であったと社守さんが話す。
三人で探した「カサガミ」さんは耳の神さんだと話す。
「さすがに長老はよく存じあげている」と話す二人のドウゲだった。
ちなみに40年前までの社守は終身制だったそうだ。
社守の初仕事は1月1日。
カンヒキの人たちが朝から並ぶ。
元日は大塩の正月祝い。
初老や還暦、米寿祝いの元旦祭はモチ御供で祝うそうだ。
(H24.12.23 EOS40D撮影)