「ロードサイド・クロス」 ジェフリー・ディーヴァーではブロガーの功罪、批判された加害者への批判となった人々、加害者情報の流布、ブログの意見の位置付け(茶の間の正義的なもの)などの分析がなされている。<o:p></o:p>
加えて、最近は尖閣諸島ヴィデオなどの論議もある。ネットでの情報提供と法的な位置付けを考えよう。切り口の軸は情報が特定のものしか知らない「内部情報」であるが、社会に「効用」があるか、社会の一部の「興味」となるかだ。もう一つの軸は法的に公表が「問題が(あまり)ない」か「問題が(大いに)ある」かだ。<o:p></o:p>
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① 社会効用があり、法的に問題が無い:最もネットで歓迎されるべき<o:p></o:p>
・内部告発で事件が明るみとなったようなもの:最近は多い<o:p></o:p>
② 社会効用があり、法的に問題がある:議論となる<o:p></o:p>
・尖閣諸島ヴィデオなど、公開に意義はあるが、流出経路などに問題があるもの<o:p></o:p>
③ 社会効用がなく、法的に問題が無い:聞き流し<o:p></o:p>
・スキャンダルなど:芸能人の三角関係などだろうか<o:p></o:p>
④ 社会効用がなく、法的に問題がある:一部の問題<o:p></o:p>
・流言飛語、暴露ものなどか<o:p></o:p>
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当面、①が増えて貰いたいが、増えると信憑性の判断が問題となる。大体、内部告発そのものが、今のところ労働関係に関する事項だという。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%83%A8%E5%91%8A%E7%99%BA )なかなか、法律整備と告発者の立場・趣旨の基準はないようだ。大阪市の内部告発者でも問題が生じている。<o:p></o:p>
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ネットは内部告発の場なのだろうか。堂々とした正義は違うところにあると感じる。<o:p></o:p>
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