都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

京の花街ものがたり(加藤政洋):文献調査は面白いが、伝えたい骨子、実体験、ヒアリングは

2012-06-01 00:00:37 | 都市開発

 最近、若手研究者が風俗の文献調査が多い。どれも綿密だが知見とそれに至る骨子が弱いように思う、その原因は実際の地区でのヒアリングや体験がないのではないか。アメリカでは、プロジェクト分析などでも徹底的なヒアリング、仮説、文献調査での証明、論文化というフローがある。(ヒアリングなどの実証は日時・相手のデータが必要だ)<o:p></o:p>

 本著作は労作であるが、色々な要素が広範囲になりまとまりがついていないきらいがある。<o:p></o:p>

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  まずは、三業地(芸妓屋、料理屋、待合茶屋)とニ業地(芸妓置屋と貸席)の松川二郎の定義は本当なのだろうか(京都に仕出しや料亭はないとはとても思えない)( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%AE%E8%8A%B1%E8%A1%97 )<o:p></o:p>

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三業地 置屋、待合、仕出し(料理屋、料亭)、二業地は置屋と料亭で近年との見解が多い。( http://kenkai119.blogspot.jp/2007/06/blog-post_25.html )京都は独自だという説もある( http://pub.ne.jp/n7ohshima/?entry_id=2265427 )<o:p></o:p>

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私見だが、空間・料理・女性 要素で分けるのは取締など行政側の都合であり、学術的な意味があるのだろうか。<o:p></o:p>

( 税法 http://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/tsutatsu/kihon/hojin/15/15_01_15.htm )<o:p></o:p>

(河久(京都) http://www.kawahisa.com/cgi-bin/kawahisa/siteup.cgi?category=3&page=1 ) <o:p></o:p>

花街は場、食、相方(以上三業地 区分)ではなく、運営企業、公的規制、そして花街の利用目的、客層に分かれるのではないか。例示として:<o:p></o:p>

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①需要:利用者、利用状況、要望、動機<o:p></o:p>

②供給:サービス内容、サービス提供者、立地、施設形態<o:p></o:p>

③規制:立地制限、免許、規制・誘導、税制、取締<o:p></o:p>

3要素で考えてはどうか<o:p></o:p>

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なお、利権・規制・拡大・営業形態の歴史 盛り場や商業の変遷と同じようなもの 商業では、デパート、スーパー・マーケット(SM)、量販店(GMS)、ショッピング・センター(SC)、専門店、SPAなどの業種・業態が、規制(商調協、大店法 等)や所有形態(所有、テナント、MC 等)に変化や企業の入替りがあったのと同じだ。<o:p></o:p>

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 茶屋の利用者もはじめは社寺や演劇の茶屋の利用から始まったようだ。それが遊女になり目的は変わってきたのだろう。茶屋の許可と茶屋株を見ると、集積と新規開発の歴史が分かる。<o:p></o:p>

 開発の中でも七条新地など、段階的開発の事例ともなる。需要・規制・供給が三つ巴になり変化している。<o:p></o:p>

この中で鍵となる花街のサービス提供者の属性:茶汲女、茶立女、酌取女、芸妓、山猫(山根子)、娼妓、遊女、白人、もり女、雇仲居(やとな)、東京なら芸者で不見転がある。飛田には「居稼(てらし)」という楼閣毎の居付きの女性もあった。( http://pub.ne.jp/n7ohshima/?entry_id=4185077 )<o:p></o:p>

となると、居付きの女性であり、三業に分化したのは集積と色街の形成の以降かもしれない。特に置屋と検番の設置は集積と融通のような機能だ。色街の組合や地域組織、運営・所有組織があったはずだ。<o:p></o:p>

さらに、茶屋での料理の提供が、料理屋(仕出し)や宴席に繋がる。宴席が発展するなら、さらに花街の空間レンタルが貸席(おちやや)から席貸(要は女性を主たる目的としないホテルの宴会場みたいなもの)への変容になったのだろう。<o:p></o:p>

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立地は京都なら御所、東京なら皇居の周辺と御幸の経路を避けるのが常道だ。<o:p></o:p>

お参りできる近くか、非日常の演劇の近くか、結果的に都市の周縁部になったのでは。それでも、東三本木( http://www.gion-fukuzumi.com/mycom/?mid=109 ) は、御所にも近く、一時のものか興味がある。<o:p></o:p>

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余談だが、映画やドラマでは、しっぽり白川あたりで差し向かいで飲んで、次の間に蒲団というのは本当だろうか。お金がかかるだろうな。時代劇で「殿御無体な、あーれー(帯でくるくる)」というのはないだろうが。<o:p></o:p>

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労作で文献が多く、考えの参考になる、色街の研究は都市計画では一部の方しか関心がないかと心配だ。再整理し「色街と都市」として深耕すればもっと面白いだろう。応援したい<o:p></o:p>

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コメント
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