分析が面白い。「ら抜き」、「過剰なへり下り」、「市民権を得た新語」、「断定回避の言葉」、「ヘンな言葉」など。「日本人は『言霊』の信仰から言語数を慎んだ、しかし後世の日本人は『言質』をとられることにきわめて用心深かった」というのは素晴らしい知見だ。しかも、最近は周りとの調和とあいまいさ演出のため「言い切らない」ないで「断定回避」が流行だ(反対に論文などで言い切らないのは、論文ではない)とは卓見だ。<o:p></o:p>
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「~させて頂く」は嫌いで、慇懃無礼な感すら覚える。「してみたいと思います」は、「~たい」がやると決めた訳ではない、希望に過ぎないという意図と「思います」というこれまたやらなくても悪く思うなというのが重なり責任回避の冗長もここに極めりだ。<o:p></o:p>
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嫌いな言葉は「大丈夫ですか?」がある。聞いてあげているという嫌らしい優越した立場を感じる。さらに、判読不能な問いかけや答えもあり「結構です」に似ている。大丈夫は「堂々たる男子」の意で危なげがないとか確実の意味で使われないというのは確かに訝る。「よろしいですか」も聞いてあげているようで、丁寧なようで、曖昧かつ不要だ。このような「サービス関連業種用語」はいらいらする。<o:p></o:p>
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「普通」は便利だ。「普通に美味しい」は表現として「美味しいが突出していない」意味で重宝する。「おいしい生活」みたいな、新しい使われ方である。ただし、「マジに」と同じ意味で使ったことはない。<o:p></o:p>
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「しっかり」、「きっちり」は副詞( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%AF%E8%A9%9E )だが、名詞に準ずる使われ方に転じている。どうも胡散臭い。「しっかり、きっちり、目標を達成することをここに述べさせて頂きます」と会議で聞くと「達成はあかんな」と思う。<o:p></o:p>
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載ってはいないが、話言葉での「~なので」、「~ので」が嫌いだ。原因や理由を軽くふれて、のっぺり続く言い回しだ。スポーツ選手などが「よく練習したので優勝できました」というのは「練習の成果で優勝できました」が良い、しかも「~ので」が続く。「~なので」は鼻にかかっている発音も嫌いだ。「~ですから」が好きだ。<o:p></o:p>
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だんだん、「言葉の」いじわる爺さんになってくる<o:p></o:p>
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