都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

京都の町家と町なみ(丸山 俊明):労作、町家について必読の書

2015-10-31 04:29:44 | 都市計画

副題:何方を見申様に作る事、堅仕間敷事 は建築規制の観点を示す。

 労作で建築学会論文を平易な文にまとめ直しており読みやすい。京都の歴史、町家の規制、工法、耐火、防災などの観点で書かれている。

 要望としては下記の点があるが、著者の専門ではないため高望みでもある

1.大阪の町割りと京都の比較

・40丈と40間の町割り

・両側町の違い

・排水、下水の違い

2.間口3間の謎

・「側おこし」に必要なのが高さから3間ではないか

・通り庭と木割の関係か

3.町家と仕舞屋(非物販)の割合

・仕舞屋(資産家)が多いと産業低迷では

4.道路の占有の歴史

・平安京は大路が大かったのに今は狭い

・太閤検地で官民確定だが、その時すでに狭い

・江戸時代に中心部は道幅3間+両側に1尺5寸の雨溝(合計6.8m)、それ以外は道幅2間半を定める(但し日射を嫌う市場の錦や椹木(さわらぎ)を除く)→太閤検地から私有化が進んだと思われる

・江戸時代はかずら石(側溝の民家側の端)から3尺2寸5分は引き込んでいたところに軒の戸口があったが、維新以後車除け石まで私有地化したとある(藤田元春)→さらに私有化がすすんだ

・軒に柱がなくカンチレバーなのも、通れる小店の形成と半私有地化のためか

 

知見を羅列する:

・平安京は鴨川と桂川でぎりぎり成立した規模、16世紀の戦国時代は上京と下京の惣構(囲われた自治都市)、秀吉の御土居と辻子整備、家康の洛中洛外町続き(御土居の外側に拡大し、東側に拡大)

・3間分割は門口と揚見世を確保して最短長さか、軒役(税金)負担が原因ではない

・厨子2階:消防のため、木の流通規格(筏の運び方)から3間木が14尺(丈4尺)の軒柱に丁度会う、

・2階の遊女の座敷は規制→物置にするよう規制

・表は厨子2階、裏の居住棟は本2階が発展

・桟瓦葺(1674年)発明、規制で普及が遅れたが天明の大火(1788年)以降普及

・ウダツよりケラバを伸ばすのを選択→雨じまいや隣地との関係で有利なはず

・建築工法」「側おこし」は柱が分散している→板の縦張りが多い理由はこれか、横張りでは起こせない

・梁間と桁行規制で梁間が3間だが上屋と下屋一体で上屋梁を持たない様式が町家

・ムシコの意味:城郭技術を転用、「武者」窓に通じる、「虫屋」、「虫籠」・「虫子」へ

・仕舞屋は開放的で物販や製造ではなく、閉鎖的で事業を終わっても暮らせる家の様式、格子の発達

・車除け石は何時の間にか官民境界、いまも「いけず石」は角に多い

・木戸の門は石と木の併用→大阪の愛珠幼稚園の扉もこのような様式で面白い

結論:建築規制のあった江戸時代の「京の町家」、規制が外れた明治以降「京都の家屋」、大正の市街地建築物法・都市計画法、昭和の建築基準法での「京都の住居」に定義

 いや面白い、お薦めです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする