都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

消費は誘惑する 遊郭・白米・変化朝顔(貞包英之):経済の知識が乏しく、体系的な社会学になっていない

2016-02-27 04:44:21 | マクロ経済

経済の3面等価( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%9D%A2%E7%AD%89%E4%BE%A1%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%89%87 )生産、分配、支出の面が整理されていない。生産から文明をとらえたジャレド・ダイアモンドが有名であるが、本作は消費(支出)を論じているのかというとそうでもない。社会、自治体、家族の社会領域を論じたものでもない。「消尽」という趣味の消費を切り口にしている。ミッシェル・フーコーの「エピステーメー」の論点を基にしているようだが、つながりが分からない。消尽とはフーコーの「自己技術」としての消費だというが、「快楽や幸福を実現、私的な感受性や論理を満たすほとんど唯一の手段に消費はなってきたのである」というのは疑わしい。無償の社会のアメニティ、共同体からの教育や歴史なども楽しみになるのは「消費」ではないが、快楽や幸福だ。定義に大いなる疑問がある。

 実に整理が行き届いていない、論文のつぎはぎのような著作だ。

 定義で「家」について、①性的交通、②物資・労働的交通、③情報・信仰的交通の順序で発達してというが、社会、生産、共同などの観点からは②(農業)、③(社会)、①(婚姻、クラスター間婚姻)ではないか。独自すぎてついていけない

 遊郭については、論じてあるが、芸妓と娼妓の区別がまず必要だ。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E5%A6%93  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E5%A5%B3 )

遊女のランクは太夫、格子、端 ( http://www.geocities.jp/pink_pink_shampagne/iran.html ) 妓楼は( http://bungetsu.obunko.com/newpage509.html )

人身売買と身請けで「遊郭をめぐる交換」とは疑問だ。夜這いと遊郭、身請けで都市の性処理としての分析ならわかる。

百貨店や勧工場の分析も他の書が詳しい。「前売」とは定価販売らしいがこの用語は知らない。陳列販売と並んで近代商業の発祥はあたりまえだ。

 指摘のヴァルター・ベンヤミン:パサージュ論( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3 )は未読であり読んでみたい

米の生産、消費、在庫・価格について、更なる経済学からの分析が欲しい。生産と消費の量的分析が無く、価格と政策のみの分析はいまひとつで資料になっていない。

 「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」において経済学と都市計画において「殆し」だ

コメント
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